~2014年 1月14日~
~2015年 1月14日~
雨宮は誰かに揺らされて目を覚ました。自分の肩に触れている小さな手を見て、雨宮は嬉しそうに目を細める。
「……ねぇ、雨宮先生。……こんなところで寝ていると、風邪を引くよ」
「問題ない。病院に勤務していたころは、医局の机が俺の寝床だった。ふかふかの羽毛布団なんて、かえって寝心地が悪いくらいだ」
「……まったく、もう」
未羽が僅かに微笑む。
もう、体を起こすこともできないのだろう。顔だけを雨宮に向けて、必死に手を伸ばしている。
雨宮は未羽の手をとりながら口を開く。
「おはよう、未羽」
「うん。おはよう。雨宮先生」
「今日は顔色がいいな。調子も良さそうだ」
「もう、雨宮先生ったら。そんな嘘をついちゃダメでしょ」
未羽は青白い顔で笑った。
「でも、目が覚めたら雨宮先生がいるのは悪い気がしないかな」
「そうか。じゃあ、存分に感謝してくれ」
「うん。そうだね」
彼女は微笑みながら、雨宮の目を見つめる。
「……雨宮先生。ありがとうね。いつも私のそばにいてくれて」
「……未羽」
「私、本当に幸せだった。……ううん。今も幸せなの。こうやって雨宮先生と手を繋いでいるだけなのに、心の底から幸せだと思える」
未羽が目を閉じる。その時、一筋の涙が頬を伝っていく。
「……こんなに幸せでいいのかな」
「いいんだよ、未羽。お前は十分に頑張った。だから幸せでいいんだよ」
「うん、そうだよね」
未羽は薄く目を開けて雨宮のことを見つめる。潤んだ瞳が美しく、儚い笑顔が可憐であった。
「……ねぇ、雨宮先生。最後のお願いを言ってもいい?」
「なんだ?」
雨宮は淡々と返事をする。
「……名前で、呼んでもいい?」
「え?」
「……雨宮先生のこと、……名前で呼びたいの」
未羽の健気な想いに、雨宮は黙って頷く。
彼女はわずかばかり頬を朱に染めながら、ゆっくりと口を開いた。
「……雨宮、……紡人さん」
「うん」
「……紡人さん、紡人さん」
「あぁ」
未羽の呼ぶ声に、何度も頷く雨宮。恋人が互いの愛を確認するように。
「……嬉しい。夢が叶ちゃった。もう本当に、思い残すことがないや」
「そうか」
雨宮は未羽の頬に手を当てながら、優しく頭を撫でる。未羽は優しい笑顔を浮かべたまま目を閉じた。そして、掠れた小さな声で言った。
「……紡人さん。……あなたのことが、……本当に、……大好きでした」
未羽の呼吸が止まった。
身体は力なく横たわり、握っていた手も零れ落ちた。
静寂だけが、部屋を包み込んだ。
「……未羽」
雨宮がそっと問いかける。
だが、返事はない。
それでも雨宮は小さく微笑んだ。
「眠ったのか。疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
雨宮はもう一度、彼女の頭を撫でると、愛おしいそうに頬に触れる。
「俺もすぐに行くから。ちょっとだけ待っててくれよな」
そう言って、未羽から離れてベッドに寄りかかる。天井の模様を眺めながら一人呟く。
「……よくやったよな。俺は、やり遂げれたんだよな」
問いかけるが答えるものはいない。
時計の秒針がいやに大きく聞こえる。
雪が積もる音、風が吹く音。それらを子守唄に、雨宮も目を閉じた。
そして、思い返す。
瞼の裏に、未羽と過ごした一年間を映し出す。
春に、彼女と出会って。
夏に、木漏れ日のなかを散歩して。
秋に、世界中を旅行して。
冬に、最後のデートをして。
……幸せだった。
……本当に、幸せだった。
こんなに幸せでいいのかと、不安になるくらいだった。
「未羽」
愛する人の名を呼ぶ。
結局、最後まで自分の想いを口にすることができなかった。
だが、仕方ない。
今まで一度として、自分の気持ちを素直に言えなかったのだ。
最愛の人を前に、言葉で想いを伝えることなどできるわけがない。
言葉は重なれば重ねるほど無粋となっていく。
だから、ただ静かに想い合えばいい。
「なぁ、未羽。俺は最後まで医者でいられたのかな」
ふっ、と笑う声が漏れた。
それと同時に、雨宮の手が力を失った。身体はベッドに寄りかかったまま、だらんと腕がぶら下がる。
呼吸が止まり、脈が止まった。
やがて、静寂が訪れる。
誰も侵すことのできない本当の静寂が、雨宮と未羽を包んでいく。
雪と風の音だけが、今もなお響いていた。




