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~2014年 4月27日~

~2014年 4月26日~ 


 群馬県前橋市。

 豊かな山々に囲まれたこの土地に、雨宮が勤務する群馬県循環器センターがあった。心臓の専門病院で、ベッド数は130床。ICUは12床。救急指定の病院でもあり、二十四時間体制で患者を受け入れている。


「まったく、災難だったぜ」

 榊が心臓血管外科の医局でぐったりとしていた。

 イスの背もたれに寄りかかり、天井を見上げている。散らかし放題となっている机に両足を乗せて、行儀悪く体を揺らしていた。

「ずいぶんと疲れているな」

「当たり前だ。俺が何をしていたか、お前だって知っているだろう」

「緊急手術だな」

 雨宮が淡々と答える。

「そうだ。それも弓部大動脈瘤の人工血管置換術だぜ。疲れないわけがない」

 榊が大げさに溜息をつく。

 昨夜のことだ。搬送されてきた患者に緊急手術をすることになったのだ。そのことに榊を含めた心臓外科医たちは、そろって難渋の顔を浮かべた。とても手術に耐えられる状態ではなかったからだ。だが、家族の強い希望もあって、手術に踏み切ることになった。

 それが深夜の二時過ぎのことである。

「深夜からの手術が終わってICUに戻ったのが、朝の九時。それから病棟回診、外来の診察。予定されていた手術。それを全部、徹夜明けの頭でこなしてきたんだ。もう、クタクタだぜ」

 榊が額に手を当てる。午後からの手術の予定はないのが、せめてもの救いだ。

「しかし、あの状態の患者を緊急手術して、よく無事に終わらせたな」

「おい、雨宮。それは皮肉か?」

「皮肉じゃない。素直に感心しているんだ」

 雨宮が真顔なのを見て、榊はため息まじりに言った。

「あれのどこが無事だ。もう一度、ICUを見てこいよ。患者の状態と、その本人に取り付けられた医療機械もな」

 榊が吐き捨てるように言った。

「人工呼吸器に血液透析。それに血圧を保たせるための人工心肺装置。それを全部取り付けても、血圧は50台を切っているんだ。おまけに機械を止めようものなら、心臓はピクリとも動こうとしない。俺達がメスを入れたときから、あの患者の心臓は止まったままだ」

 榊が薄目を開ける。

「あれは生きているんじゃない。ただ、死んでないだけだ。…俺としては、手術なんかせずに、静かな最後を迎えさせたかったな」

「…」

 雨宮はコーヒーに口をつける。

 唇を軽く湿らせてから、口を開いた。

「……でも、それが家族の希望だったんだろう」

 ここに来る前に、雨宮は患者の家族を見てきた。彼らの誰もが顔を青白くさせて、変わり果てた患者の前で呆然としていた。。医師の反対を押し切って手術をした結果、大きな機械をいくつも取り付けられ、それでもなお生かされている姿を見て、彼らは何を思っているのか。

「ああなってしまえば、今度は機械を外すのが難しくなってくるな。機械の電源を切ったら、患者も死んでしまう」

 雨宮は自分の経験から、あの患者の行く末を推測する。

 すると、榊が乾いた笑い声を上げた。

「ははっ。機械の電源を切ろうと切りまいと、状況は変わらないさ。あの婆さんの心臓はもう止まっている。肝臓も、腎臓も、たぶん脳も動いていない。高度の医療機器を使って、血管に酸素を送っているだけだ」

「ずいぶんと卑屈に考えるんだな」

「俺は疲れているんだよ。無駄な手術をさせられて心も体もボロボロだ。あぁ、誰か傷ついた俺を癒してくれないかな」

 大げさに振舞う榊を、雨宮は無視することにした。

 コーヒーを飲み干したので、雨宮も循環器内科の医局に向かおうとする。そろそろ看護師との合同カンファレンスが始まる頃だった。

「じゃあな。俺は仕事に戻るぞ」

「……なぁ、雨宮」

 雨宮が心臓血管外科の医局から出ていこうとしたときに、榊が声をかけた。相変わらずぐったりとイスに寄りかかっているが、視線だけは雨宮のほうに向いている。

「なんだ?」

「お前は、神様のサイコロって信じるか?」

「……何の話だ?」

 雨宮は首を傾げながら、頭に疑問符を浮かべる。

「神様のサイコロだよ。まぁ元々は、どっかの物理学者の言葉らしいんだがな。人の命は神様に握られていて、生きるか死ぬかをサイコロで決められている。そんな話だ」

 神様?

 生きるか死ぬかをサイコロで決める?

 ……くだらない。

 そう答えようとした。だが、こんなことを言う榊を見たことがない。何か予感めいたものを感じながら、雨宮は口を開いた。

「……神様はいない。だから、神様はサイコロを振らない」

「ははっ、そうだな」

 その答えに、榊は薄く笑う。

 まるで、雨宮がそう答えたことで安堵したようだった。

「お前らしい答えで安心した。これで、もしお前が神様を信じる殉教者だったら、この話をするのに骨が折れたところだ」

 榊は体を起こすと、自分の机の引き出しを開ける。

 専門書とカップ麺でぐちゃぐちゃになっている引き出しに、A4サイズの封筒が入っていた。榊はその封筒を取り出すと、雨宮に差し出す。

「明日、都内の大学病院からウチに転院してくる患者だ。元々、心臓外科の患者だったんだが、転院にあたって循環器内科に移ることになったそうだ」

 雨宮はその封筒を受け取り、その中の書類を取り出した。医者宛ての手紙に、患者のこれまでの経過や血液検査のデータ値などが入っている。

「担当医はお前になる予定だそうだ。今日にでも、内科部長からお達しがくるはずだぜ」

 榊の言葉を聞きながら、雨宮は黙って書類に目を通す。一枚一枚。書類を読んでいくにつれて、雨宮の表情は険しくなっていく。

 そして最後に、改めて患者の年齢を確認する。

 そこに記されている数字に、雨宮は驚きのあまり目を見開いていた。

「……おい、榊。これって」

「あぁ、笑えないよな」

 榊は疲れたような笑みを浮かべる。

 雨宮は黙り込んでしまう。

 眉間にしわを寄せて、険しい顔をしたままだ。

 そんな雨宮に、榊がからかうように問いかける。

「なぁ、雨宮。もう一度、聞くぞ。神様はサイコロを振ると思うか?」

 雨宮は何も答えない。

 自分の手にした書類を、ただ黙って読み直している。


 患者氏名:ひいらぎ未羽みう

 性別:女性。

 年齢:十九歳。

 現疾患:拡張型心筋症、慢性心不全。

 経過:先天性の心不全で、出生後から心臓に機能的問題が指摘されています。

 五年前に心不全の増悪のため、緊急入院。同月に当院にて、バチスタ手術を施行するも心機能の回復には至らず。

 その後も、心不全の傾向がたびたび見られるため、二年前に再度、同術式を施行。手術は滞りなく終わりましたが、依然として心臓の機能は低いです。

 家族の希望により、これ以上の手術を希望されないとのこと。保存的治療のため、心臓外科から循環器内科に転科。それに伴って、貴院への転院が決まりました。

 余命は恐らく、一年未満と思われます。

 どうぞよろしくお願いします。


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