~2014年 12月25日~
~2014年 12月25日~
「準備できたか?」
「もうちょっと待って」
扉越しに未羽から返事がある。雨宮は腕を組んだまま、彼女の部屋の前に立っていた。
クリスマスの当日だ。本日は朝から快晴で、珍しく雲ひとつない。だが、夜になれば再び厚い雲で覆われるというのが天気予報の情報だ。群馬県は三方を山で囲まれているせいか、意外に天気予報はあてにならない。念のために、雨宮は防寒用のコートを持っていくことにした。
「まだか?」
「少しは待ってください。女の子は準備に時間がかかるものなのです」
今度は小林有子の不機嫌そうな声が返ってくる。しかたなく雨宮は、冬用のコートを片手に壁にもたれかかる。
クリスマスのデートのことを話してから、未羽の容体は一応の安定を保っていた。今日に至るまで比較的に好調で、少しではあるが食欲も増えていた。
だが、相変わらず倦怠感はあるようで、体のむくみや、時折見せる苦しそうに呼吸。未羽自身は何も言ってこないが、もっと酷いときもあるかもしれない。
それでも本日のデートを押し進めたのは、未羽自身の希望でもあったからだ。きっと、これが最初で最後のデートになるだろう。そんな予感めいたものが雨宮の頭から離れない。
そっと、雨宮はポケットに入っている薬袋を確認する。中には抗癌剤と鎮痛薬が山のように入っている。多少の激痛なら、やせ我慢と鎮痛薬でなんとかできるが、どうにもできない状況にもなってしまうかもしれない。そんなときは、榊が電話一本で駆けつけてくれることになっている。頼りになる友人がいてくれて心強いと、雨宮は心の中で呟く。
「おまたせー」
突然、未羽の部屋の扉が開いた。暗いことばかり考えていた雨宮は、はじかれたように顔を上げた。そして、彼女の姿を見て声を失う。
「あ、あぁ」
車イスに乗った未羽が、有子に押されながら部屋を出てきた。赤のワンピースに白のコートを羽織っている。胸元には緑のチェックのリボンがつけられていて、長い黒髪はゆったりと編まれて肩に流している。
「どうかな。クリスマスをイメージしたんだけど」
未羽が照れながら雨宮に聞く。
「えーと」
雨宮は返答に困りながら、心に浮かんだ言葉をたどたどしく口にする。
「に、似合っている。うん、綺麗だ」
「あ、ありがとう」
未羽は頬を染めながら、恥ずかしそうに俯く。雨宮も目の置き場に困ってしまい、とりあえず玄関に置いてある猫の置物を凝視する。
「それでは。私はこれで」
未羽と雨宮の間を不機嫌そうな声が割って入る。小林有子だ。有子は未羽の前を通ると、軽く頭を下げて玄関へと歩いていく。そのままダリオ宮から出て行くと思われたが、外へは向かわずリビングへと姿を消していった。
「小林さん、今日はダリオ宮で留守番してくれるみたい。何かあったら連絡してほしいって、さっき言われたよ」
未羽が内緒話するように小声で言う。
なるほど、それは安心だ。榊といい、彼女といい。雨宮と未羽の周りには頼りになる人間が多い。雨宮は今更になって、自分の周りにいる人の心遣いに感謝する。
「それじゃ、行くか」
「うん」
雨宮が未羽の車イスを手にとって、ゆっくりと押していく。玄関を出たところで息を大きく吐いた。白く濁った息は、冬の風にさらわせて一瞬で消えていく。
「寒いな」
「うん、寒いね」
未羽は背中を丸めながら手を擦り合わせる。それでもどこか楽しそうで、表情から笑みが絶えない。雨宮はそんな未羽を車の助手席に乗せると、高崎市郊外を目指して車を走らせた。
榛名山から三十分ほど。高崎市の寂れた場所に、お門違いなショッピングモールがある。洋服から食料品、映画館も併設されているため、ちょっとしたデートスポットでもある。ましてクリスマスともなると、中は若者のカップルばかりだ。
その中に車イスに乗った少女と、それを押す男の姿があった。当然ながら、未羽と雨宮である。他のカップルよりも明らかにゆっくりとした足取りで、時折立ち止まっては二人して顔を見合わせながら笑いあっている。
「映画まで時間があるね。どうしようか?」
煌びやかなイルミネーションを潜りながら、未羽が雨宮に尋ねる。
「そうだな。デートらしく、服でも見て回るか」
「いいね。あっ、あの帽子かわいい」
未羽がとあるブティックを指差して声を上げる。雨宮が車イスを押して近寄ると、未羽がうんと体を伸ばして目当ての帽子を手に取ろうとする。
「これか?」
「うん。それそれ」
雨宮がその帽子を手にとって、未羽に渡す。白いニット帽で、かぶると頭の上に猫の耳のような突起ができる。未羽は鏡で確認しながら、最後に雨宮へと顔を向けた。
「ねぇ、雨宮先生。どう? 可愛い?」
「うーん、なんか子供っぽくないか?」
「えー、そうかな」
未羽は不服そうに、もう一度鏡を見る。ふてくされたように口を尖らせる姿を見て、雨宮は頭をかきながらため息をはく。
「あー、わかったわかった。お前は可愛いよ。なんだったら、その帽子を買ってやろうか?」
「え、いいの?」
「あぁ。だから機嫌を直せって」
雨宮は未羽の頭から白のニット帽を取ると、そのまま店のレジへと持っていく。清算を済ませて未羽のところに戻ってくると、その帽子を再び彼女の頭に載せた。
「へへ。ありがとう、雨宮先生」
「はいはい、どうも」
雨宮は一応、不機嫌そうな態度を見せる。しかし、嬉しそうに頬を緩ませている彼女を見て、雨宮も表情を和らげた。元より、機嫌が悪いはずもなかった。
「次はどうする?」
「とりあえず、ぶらぶらしていこうよ。他にも見たいものがあるし」
「なんだ? 言ってくれれば、真っ直ぐそこに行くぞ」
「いいの。今はこうして雨宮先生と一緒に歩いていたいから」
「そうか」
雨宮は未羽の答えに静かに頷く。
ゆっくりとした足取りで、雨宮が未羽の乗った車イスを押していく。何人もの人間が2人を追い越していったが、二人は気にすることはなかった。
「なぁ。ところで映画は何を見るんだ? 俺は何も聞かされていないんだが」
「あぁ、そうだったね」
未羽がポケットからスマートフォンを取り出すと、車イスを押している雨宮に見えるように上に掲げた。
「これを見たかったの」
「アニメーション映画か?」
意外といわんばかりに、雨宮は声を上げる。
「てっきり恋愛映画とばかり思っていたのだが。それでいいのか?」
「うん。だって恋愛ものを見ていたら、雨宮先生は寝ちゃうでしょ」
「自信はないな」
雨宮は胸を張って答える。そんな雨宮を見て、未羽がくすりと笑った。いぶかしむように彼女のことを見ていると、未羽は遠くを見ながら口を開いた。
「恋愛映画が苦手。恋愛小説も好きじゃない。仏頂面でいつも不機嫌そうな顔をしている」
とうとうと語りだした未羽に、雨宮は静かに耳を傾ける。
「でも、本当は優しくて。温かくて、いつも大切な何かのために頑張っている。自分だって不安で押しつぶされちゃいそうなのに、絶対に顔に出さない。弱音も言わないし、逃げ出すこともしない」
未羽がそっと目を閉じる。
「この1年で雨宮先生のことをいっぱい知ることができた。良い所も悪い所も。その全部が、今はとても大切に思えてくる」
雨宮は黙ったまま未羽の車イスを押す。周囲は若者たちの雑踏で騒がしいはずなのに、なぜかとても静かな心地だった。車輪の音が異様に大きく聞こえ、この世界には自分と未羽しかいないような。そんな錯覚にさえ陥る。
「雨宮先生はどうだった?」
くるりと未羽が振り返って、雨宮のことを窺う。
雨宮は答えようとして口を開く。だが、いつものごとく自分の気持ちが言葉になることはない。雨宮は自分自身に呆れたように息を吐いた。
そして立ち止まった。騒がしあった車輪の音がなくなり、本当に何も聞こえなくなる。
どうしたのかと小首を傾げている未羽。
雨宮はそんな彼女に手を伸ばし、そっと頭を撫でた。
白いニット帽が歪み、長い黒髪がさらさらと揺れる。
それだけの行為だった。
言葉は必要なかった。
未羽が大切といってくれた時間は、紛れもなく雨宮にとっても大切な時間であった。医者であることに迷い、生きることにも苦悩していた雨宮にとって、未羽は夜道を照らす街灯であった。雨宮はだだ、その街灯に沿って歩いてきただけだ。
だが、今にして振り返って見ると。その迷いながらも歩いていた夜道でさえ、とても愛しく感じる。未羽と出会えて、未羽のそばにいられて、自分の生き方に間違いはなかったと確信できる。
雨宮は何度も何度も未羽の頭を撫でる。
未羽もそっと目を閉じて、その身を雨宮に委ねる。
忙しそうに行きかう雑踏の中、雨宮と未羽だけは時が止まったように立っていた。
まるで、それが2人の願いと言わんばかりに。
映画を見て、雨宮と未羽は近くの喫茶店に入ることにした。店頭に展示されている甘味に引き寄せられた形だが、この際理由などどうでもよい。
「映画、どうだった?」
「うむ。よくできていた。あの白くて柔らかいロボットは良かったな」
雨宮は車イスを押しながら、窓際の席へと歩いていく。すると、車イスに座った未羽を見た店員が、すぐに車イスの移動やテーブルの位置を変えてくれた。まったくもってありがたい。雨宮は心の中で感謝を述べながら、未羽の対面に腰を下ろした。
「雨宮先生は何か食べる?」
「いや。俺は甘いものは苦手だ」
「そういえば、小林さんが作るプリンも眉間に皺を寄せて食べてたよね」
「あの人は見かけによらず甘党なんだ。いつもは苦瓜のような表情なのにな」
雨宮がおどけて見せると、未羽は手を口に当てて笑う。
「ふふっ。そんなことを言ってもいいのかな。後で小林さんに言っちゃおう」
「おいおい、勘弁してくれ」
「えー、どうしようかな」
一通り笑ったところで店員が注文をとりに来た。雨宮はコーヒーを注文し、未羽は散々迷ってチョコレートパフェを選ぶ。
店内は思いのほか客が少なかった。雨宮と未羽を除けば、家族連れの一団と学生服を着たカップルらしい2人組がいるだけ。雨宮は運ばれてきたコーヒーに口をつけながら店内を眺めていると、未羽が頬に手を当てながら口を開いた。
「あー、なんか憧れるなぁ」
雨宮は疑問符を浮かべながら、未羽の視線のほうを見る。そこには学生服のカップルがいた。
「私ね、夢だったんだ。学校の帰り道に、友達や恋人と買い物したり喫茶店に寄ったりするのが。ほら、私って中学校までしか行ってないじゃない。高校はろくに通わず自主退学しちゃったし」
未羽の声に沈んだものはなかった。ただ、昔話をするように静かに語る。
「ねぇ、雨宮先生の高校生活って、どんな感じだったの?」
「唐突だな」
「いいじゃない。どんな友達がいたの? 恋人はいたの? 部活は何をしていたの?」
矢は継ぎの質問に雨宮は黙ってコーヒーカップに手を伸ばす。そして、一呼吸入れるようにカップの中の黒いコーヒーを見つめる。
「友達も特別に仲のいいやつはいなかったな。3年間を通して図書委員なんてやっていたから、図書室で勉強ばっかりしていた。部活も週に1回しかない零細部で、集まってもただ喋っているだけ。部の名前すら忘れたよ」
「恋人は?」
「図書室に引きこもっていたやつに、そんな薔薇色な青春があると思うか?」
未羽の質問に、雨宮は質問で返す。自明の理過ぎて、まともに答える気がしなかった。
「ふーん、そうなんだ」
未羽は納得したように頷きながら、どこか嬉しそうにしている。恋人のいない高校生活と知って、喜んでいるに違いない。そんなふうに雨宮は勝手に解釈した。
注文したチョコレートパフェが来たので、会話は一度途切れた。
雨宮はそっと、自分の脇腹に手を当てる。大丈夫だ。痛みはない。不思議と体も軽い。無理をして平然を装う必要もない。
未羽はどうだろうか。雨宮はパフェにスプーンをつき立てる未羽を見る。取り立てて異常はないように見える。顔色、唇の色、呼吸の状態、冷や汗の有無。どれをとっても正常そのものだ。
「どうしたの、私の顔をじろじろ見て」
「気にするな。日課みたいなものだ」
「ふぅん」
未羽はさして興味もなさそうに返事をして、パフェとの格闘に戻った。
「うーん、あまーい」
スプーンを口にくわえたまま未羽が嬉しそうに頬を緩ませる。その表情に見とれて、雨宮まで表情を柔らかくする。
「どれ、俺にも一口くれないか」
「えー、どうしようかな」
「そう固いことを言うな」
「うーん、じゃあね…」
意地悪そうに目を細めながら、何か思いついたように唇を緩ませる。
「それじゃあ、私の可愛いところを3つ言ってくれたら、一口あげる」
「は?」
思わぬ提案に雨宮は思わず聞き返す。そんな雨宮の反応を楽しむように、未羽はじっと見つめる。
「どう、雨宮先生?」
「ふむ」
雨宮は手を顎に乗せて考える。
なるほど、おもしろい。
「まず一つめ」
「うんうん」
「笑顔が可愛い」
「え?」
雨宮の答えに、未羽が聞き返した。だが、その顔はすぐに真っ赤に染まっていく。まさか本気で答えるとは夢にも思わなかったのろう。
「二つめは、怒った顔もまた可愛い」
「ぐっ」
未羽が視線を逸らす。恥ずかしさのあまり、瞳が潤んでいる。
「三つめだが」
「ちょ、ちょっと待って! もう、いいから!」
未羽が片手を上げて静止してくる。
だが、もちろん。雨宮は聞く耳を持たない。
「三つめは、恥ずかしそうにしているところも可愛い。ちょうど今のようにね」
「ぐはっ!」
がっくしと未羽は頭を垂れる。浮いた片手が力なくテーブルに落ちていった。
「自分から言いだしたことだけど。こういう会話って、すごく恥ずかしいんだね。世の中の恋人たちは、どうしてこんな話ができるのかな?」
「さぁな。俺にもわからん」
雨宮が淡々と答えると、未羽は恨めしそうな目を向けた。
「ふんだ。そんな意地悪をする雨宮先生には、絶対あげないんだがら」
「はいはい。好きにしろ」
唇を尖らせる未羽を見て、雨宮は穏やかに微笑む。
その時、店の外から軽快な音楽が流れ込んできた。何事かと、雨宮と未羽が首をひねっていると、店員が乾いた笑みを浮かべていた。
「午後の三時から、一階でミニコンサートをしているんですよ。おかげでお客さんはさっぱりです」
店員の説明に、雨宮は納得したように頷く。どうりで店内に他の客が少ないわけだ。
「ねぇ、雨宮先生。私達も行こうよ」
「別にいいが、それはいいのか?」
雨宮が一口しか食べていないチョコレートパフェを指差すと、未羽が困ったように笑う。
「ははは。正直に言うとね、これ以上は食べられそうにないんだ」
未羽の返答を聞いて、雨宮は心配するように目を細める。
その様子に気がついたのか、未羽は慌てながら手を振った。
「大丈夫。気分が悪いとか、そんなことはないから。ただ、食欲がないって言うかさ」
「そうか」
未羽の言葉を聞いて、雨宮はほっと胸を撫で下ろす。肩の力を抜き、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「それでは、そのミニコンサートでも見に行くか」
「うん」
雨宮は勘定を済ませると、未羽の車イスを押して店を出た。モール内は締め切った室内と変わらないため、コンサートの音もよく響く。雨宮と未羽はその音楽に導かれるように、ゆっくりと歩き出した。




