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~2014年 12月9日~ 


~2014年 12月9日~ 


 雪が降り始めた。

 灰色の空から、ふわふわと白い雪が降ってきて、地面を真っ白に染める。あれだけ鮮やかに色づいた木々も、今はわずかに雪を積もらせている。

 雨宮は窓から見える景色に目を細めながら、時折、気にするようにベッドのほうを見る。そこには未羽が静かな寝息を立てていた。顔色は雪のように白い。このまま目を覚まさないのではないのか、というような不安に駆られた。

 ふと、そばにある棚に目を向ける。そこには一枚の写真がガラス製の写真立てに納まっていた。遠い異国、北イタリアの街角で未羽と雨宮が楽しそうに笑っている。

「……う、ん」

 未羽が寝返りを打ちながら、小さく声を零す。しばらく見守っていると、再び規則正しい寝息が聞こえてきた。

 旅行から帰ってきたのが一週間前。幸いなことに旅行中は体調を崩すこともなく、未羽も雨宮も病気のことを忘れてしまうほどだった。まるで奇跡が起きたような時間だった。もしかしたら、誰かが神様に祈ってくれたのではないのか。そう思ってしまうほど、幸せな旅路だった。

 だが、本当に神様がいるのだとすれば、それはずいぶんと意地悪な存在なのだろう。雨宮と未羽が帰国して、ダリオ宮へと戻った次の日。未羽が心臓発作で倒れた。意識はなくなり、心臓も停止していた。雨宮がそばにいなかったら、確実に未羽は助からなかっただろう。雨宮による懸命の蘇生により、彼女はようやく目を覚ました。症状から見るに、心不全の悪化による心室細動と思われた。これまでの発作とは異なり、心臓の機能が完全に停止してしまっていた。

 あの日から今日まで、目立った発作は起きていない。だが、未羽の体は目に見えて衰弱していった。食事もあまり摂れておらず、倦怠感があるのかベッドで横になっていることが多くなっていた。

 それでも調子の良い日は、雨宮と一緒に散歩を楽しむことができた。彼女を車イスにのせて、雨宮がゆっくりと押して歩くのだ。残された時間を噛み締めるように。

「あ、雨宮先生だ」

 雨宮を呼ぶ声がして、ベッドの方へと振り向く。未羽がうっすら目を開けて微笑んでいた。顔色はいつもより悪い。元々が雪のように白い肌のため、よりいっそう青白く感じてしまう。

「気分はどうだ?」

「うん。平気」

「喉は渇いていないか?」

「大丈夫だよ。雨宮先生、心配しすぎだよ」

 未羽はゆっくりと体を起こしながら、窓の外へと目を向ける。

「わぁ、雪だ」

 目を細めながら、未羽は嬉しそうに笑みを零す。

「もう、そんな時期なんだね。雨宮先生と出会ってから、もうすぐ1年になるんだ」

「そうだな」

 雨宮は短く答える。

 それだけだった。そう答えただけで、雨宮も未羽も何も言わない。もはや2人の間に長々とした会話は必要なかった。ただ静かに雪の降る風景を眺めていればいい。それだけでいい。

「起きたのなら、何か食べたほうがいい。食欲はあるか?」

 雨宮が問うと、未羽は静かに首をふる。

「あんまりない。でも、雨宮先生が、あーんってしてくれたら食べるよ」

「普通に食べてくれ」

「むぅ、ケチ」

 雨宮はむくれている未羽の顔を見ながら、呆れたように肩をすくめる。

「わかったよ。何でもいいから、少しでも食べてくれ」

 頭をかきながら身を翻す。

 すると、未羽はにっこりと笑った。

「あ、デザートに小林さんの作ったプリンもお願いね」

「はいはい」

 雨宮は呆れ顔のまま部屋を出る。

 玄関を横切って、台所にある冷蔵庫の前に立つ。冷蔵庫を開けて作り置きされている雑炊とプリンに手を伸ばした。

 その瞬間、雨宮が苦悶の表情を浮かべた。

「くそっ」

 胸の辺りを握り締め、がくっと膝をつく。額に脂汗を滲ませながら、ポケットに入っている薬を手探りで探しだす。

「はぁ、はぁ」

 震える手で鎮痛剤を取り出すと、数も確認せず口に放り込む。そして、そのまま無理やり飲み込んだ。

「……あと、もう少し。もう少しでいいんだ」

 そう呟きながら、雨宮は冷蔵庫にもたれかかる。ずるずると床に座り込みながら、体中を走る激痛に耐える。

 雨宮の体は、すでに限界だった。

 日に日に強くなっていく痛みは、すでに激痛と呼べるものになっていた。全身に飛んでいる癌細胞が、雨宮の体を休むことなく蝕んでいく。少しでも動けば体が悲鳴を上げた。また、未羽以上に食事がとれていないことから、体重も減っていく一方であった。血液検査の値も正常値とはかけ離れていて、検査をするだけ無意味でさえあった。

 そんな満身創痍の雨宮が、こうして普通の生活を送れているのは、やはり彼女の存在があったからだ。

 未羽を残して一人で死ねない。医者として彼女に最後まで付き添う。その想いが、雨宮の体を突き動かしていた。

「せめて、未羽の前では医者でいさせてくれ」

 雨宮は誰に告げるわけでもなく呟いた。

 もしかしたら、神様が聞いているかもしれない。消えそうになる意識をしかっりと捕まえながら、そんな陳腐な願いが頭に浮かんでいた。


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