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~2014年 7月25日~ その③


「雨宮先生、スマホが鳴っていましたよ」

「え?」

 左隣に座っていた、若い放射線技師に声をかけられる。

 雨宮は梅酒が入ったグラスを置くと、ポケットに手を伸ばした。たしかに着信があったようだ。スマートフォンの画面を見ると、不在着信が1件と表示されていた。

 ……誰からだろうか。

 少しだけ酔いが回った頭で考えながら、雨宮は立ち上がる。

「悪いな、少しどいてくれ」

 いつの間にか右隣で飲んでいる榊を跨いで、襖に手を伸ばす。個室から出て襖を閉めたときに、再び着信音が鳴り出した。

「何だ?」

 スマートフォンの画面に表示されている名前を見て、雨宮は首を傾げる。そこには、柊未羽という見慣れた名前が見て取れた。

 店の外に出て、スマートフォン耳に当てる。

「どうした、何か用か?」

 雨宮はアルコールの入った頭で電話に出た。

 それゆえに、事の重大さに気づいていなかった。

 一瞬の沈黙。

 電話の向こうからは何も聞こえてこない。

「未羽?」

「……雨宮、先生」

 スマートフォンから聞こえてきた未羽の声は、とても小さく、弱々しいものだった。

 まるで、泣いているようだった。

「ねぇ、雨宮先生。どうしよう?」

 電話越しの未羽は、うわ言のような声で話しかける。

 小さく、細く、今にも途絶えてしまいそうな声だった。

 そこでようやく、雨宮の意識が切り替わった。

 酔いは一瞬で覚め、頭を高速で回転させる。

「未羽、落ち着け。何があった」

 目を細めてながら淡々と問いかける。

「コジローが」

「コジローがどうした?」

「様子が変なの。ご飯を食べているときは何にもなかったのに、さっき見たらぐったりしてて。声をかけても動かないし、目も閉じたままで」

 未羽は今にも泣き出してしまいそうだった。

「雨宮先生、お願い。助けて」

 雨宮の目が険しくなる。

 そして、小さく息をはいた。

「すぐに行く。待っていろ」

 雨宮は未羽の返事を待ってから電話を終わらせる。そして、すぐさま店内に戻ると個室の襖を乱暴に開けた。

「急用ができた。俺は帰る」

 寝そべっている榊に告げると、襖を閉めることもせず店の外へと向かった。この辺りは居酒屋が並んでいるため、タクシーには困ることはない。手近なタクシーを止めていると、店から榊の姿が見えた。

「おい、雨宮。どうしたんだ?」

「急用だと言っただろうが」

「未羽ちゃんに何かあったのか?」

 酔っているくせに無駄に鋭い男だ、と雨宮は心の中で舌打ちをする。

「未羽には問題ない。だが、緊急事態なのは変わらない」

 雨宮はタクシーの後部座席に乗り込むと、運転手に行き先を指示する。その時に、タクシーの外にいる榊が窓を叩く。雨宮は窓を開けると、訝しむように目を細めた。

「何だ。俺は急いでいるんだ」

「俺も行こうか?」

 出し抜けに榊が言った。その目は真剣で、恐ろしいまでの冷静さを放っていた。

 そこにいたのは酔っ払いの男ではない。年間300件以上の心臓の開胸手術をこなす、腕利きの心臓血管外科医であった。

「大丈夫だ。問題ない」

 雨宮は告げる。恐らく榊は心配しているのだろう。未羽のことを。そして、未羽を受け持っている雨宮のことを。病院とは違い、彼女のそばには医者は雨宮しかいない。緊急時には人手がいくらあっても足りないのだ。

 ……だが、それは余計な心配だ。

 雨宮は声に出さずに呟く。こんなことに気を使うのであれば、急患に備えて酒を控えていればいいんだ。

 そのまま雨宮は何も言わず、黙って窓を閉める。運転手に再度指示を出してタクシーを出してもらう。大通りに出る時に一度だけ振り返ると、榊は店に戻るところだった。先ほどまでの真剣な目はすでになく、ただの酔っ払いに戻っていた。


 1時間後、雨宮を乗せたタクシーはダリオ宮に到着した。雨宮は運転手に待つよう言うと、乱暴にドアを開けてダリオ宮へと駆け出した。

 明かりはついている。2階の未羽の部屋と玄関だけだ。

 雨宮は慌しく玄関を開けると、転がるように屋敷の中に駆け込んだ。

「未羽!」

 玄関に入った雨宮は愕然とする。

 彼女はそこにいた。

 ぐったりとした子犬を抱いたまま、玄関に座って。

 泣きはらしたような赤い目と、疲れきった表情が、雨宮の心に突き刺さる。

 ……待っていたのだ。

 未羽は雨宮が来るのを、ずっとこの場所で待っていたのだ。

 雨宮は声を出すことができなかった。

 嗚咽のような音が喉から絞り出しては、何も言えず口をつぐんでしまう。

 かける言葉すら見つからなかった。

 ……愚か者だ。

 ……俺は愚か者だ。

 雨宮は自分自身を罵った。

 こんなことがないように、この屋敷に住んでいたはずなのに。

 必要な時に限って、何で俺はいないんだ。

 情けない。

 雨宮は自分の手を握り締める。行き場のない苛立ちを、静かにその身で耐える。

「……あ、雨宮先生」

 一瞬、それが誰の声なのかわからなかった。

 それほどまでに、未羽の喉は枯れてしまっていた。

「先生、どうしよう。コジローが死んじゃう」

 子犬を抱いたまま、雨宮のことを見上げる。

 まるですがりつく子供の様に。

 そんな未羽を見て、雨宮は両手の力を抜いた。

 軽く目を閉じて、静かに息をする。

 表情を消した。感情を切り離し、何がベストに最も近い選択なのかを冷静に考える。そして、いつものように淡々と言うのだった。

「大丈夫だ。コジローは死なせない」

 雨宮の言葉に未羽は小さく頷く。

 未羽を待たせてあるタクシーに乗せると、雨宮も彼女の隣に乗り込む。夏川動物病院まで30分。その間、彼女との間に会話はなかった。 

 ただ、不安そうに伸ばされた未羽の手を、雨宮は黙って握り締めていた。


 雨が降ってきた。

 あの時と一緒だった。

 初めてコジローを病院につれていった時と同じ。

 あの時も大粒の雨が降っていた。

 今日は、細かな雨がさらさらと降っている。

 まるで誰かの涙のようだった。

「未羽、大丈夫か?」

「……うん」

 雨宮と未羽は処置室の前にある長いすに座っていた。彼女はその小さな体を雨宮に預けている。

 コジローが処置室に運ばれてから、すでに1時間が経っていた。皺が刻み込まれた夏川獣医はコジローを一瞥すると表情を険しいものに変えて、大急ぎで処置室に連れていった。夏川獣医から説明があったのは、それからしばらくしてからだった。

 血の混じった嘔吐、激しい下痢、意識の混濁。その全てが危険な兆候だと言う。雨宮は未羽の手を握り締めながら、獣医の話に黙って頷く。うつむいたまま顔を上げない未羽は、獣医が去った後もその場に立ち尽くしていた。雨宮に促されて、ようやく長いすに腰をかけたのだ。

「雨宮先生」

 未羽は自分の小さな手を握り締めながら呟く。

 雨宮は返事をしようと口を開く。

「……」

 だが、何も言えなかった。

 自分が歯痒かった。

 語彙が貧弱すぎる自分が呪わしかった。

 雨宮は諦めて口を閉じた。

 だが、すぐに口を開いて、未羽にかけるべき言葉を懸命に捜す。

 そして、何とか声を形にする。

「……すまなかった」

 雨宮が喉から搾り出した言葉は、彼女への謝罪であった。

「本当に、すまなかった。こんなことがないように、あの屋敷で暮らしていたはずなのに、必要な時に力になれなかった」

 項垂れるように頭を下げる。床のタイルの溝を見つめながら、雨宮は言葉を続けた。

「お前が泣いているときに、俺は何をしていたと思う? 飲みたくもない酒を飲みながら、榊の得意げな馬鹿面を眺めて。あんな下らないことをするくらいだったら、真っ直ぐ屋敷に帰ればよかったんだ」

 雨宮は眉間に皺を寄せて、苦々しい表情を浮かべる。

「情けない。本当に、自分が情けない」

 こんなに苦しくなることは久しぶりだった。春先に、助けられる命を救えなかったとき以来だった。

「雨宮先生は悪くないよ」

 未羽は小さな声で答えながら、寄り添うように肩を傾けた。

 両手を雨宮の胸元に置いて、ゆっくりと体を預けていく。そして、首の辺りに顔を埋めると大きく息を吸った。まるで小さな子犬が飼い主に甘えるように。

「本当だ。お酒の匂いがする」

 未羽が顔を埋めたまま、何度も息を吸う。両手で雨宮の体にしがみついて、涙で赤くなった顔を何度も擦りつける。

「雨宮先生でも、お酒を飲むんだね。なんか意外だなぁ」

「そうか」

「私も19歳だから、もうちょっとしたらお酒を飲める歳になるんだよ」

「あぁ、知ってる」

「そうだよね。雨宮先生は私の担当医だもんね。私のことは何でも知っていて、いつも私のそばにいてくれる」

 未羽はそう言うと、動きを止めた。小さな両手を握り締めて、顔を強く押し付ける。

「……ごめんね」

 彼女の声は耳からではなく、体に、心に、直接届いた。

 そのせいで未羽が泣いていることに気がついてしまった。

「ごめんね、雨宮先生。こんな私のためにいっぱい苦労をかけちゃって。先生が病院をやめたことも、とても大事なことだったんだよね。いつも私のそばに居てくれるのも、先生の自由な時間を奪っているのもわかっているんだ。それなのに、私は自分のことも1人でできない。子犬の世話でさえ、誰かに助けてもらわくちゃいけない」

 未羽は泣いていることを隠そうとせず、しゃくり声を上げながら口を開く。

「ねぇ、雨宮先生。先生が大変だったら、やめてもいいんだよ。私なんかのために、先生の大切な時間を無駄にしたくないよ。だって雨宮先生は、私だけの先生じゃないんだから」

 そんな彼女の言葉に、雨宮はすぐには返答できなかった。

 だが、俯いたまま未羽の頭のほうに手を伸ばす。そして、黙ったまま未羽の頭を撫でてやる。長い黒髪が指の隙間をさらさらと流れていく。

「余計な心配はいらない。俺には俺の考えがあって、お前の担当医をしているんだ。途中で投げ出すことなんて考えたことはないぞ」

 自分に寄り添う未羽を見て、優しそうに目を細める。

「それに、今お前が心配することは、俺のことじゃなくて、コジローのことだろう」

「うん、そうだね」

 未羽も顔を上げて、泣きはらした真っ赤な目で雨宮を見る。額を雨宮の肩につけたまま。

「ありがとう、雨宮先生。いつもそばにいてくれて」

「今更、何を言っている。俺は医者で、お前は患者なんだ。患者のために医者が尽くすのは当然のことなんだよ」

 雨宮は未羽の頭に載せていた手に力を入れると、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。

「だから、もう泣くのはやめだ。笑顔でコジローを迎えてやれ」

「ちょっと、雨宮先生。髪がぐちゃぐちゃになっちゃうよ」

 未羽は困ったように笑いながら雨宮の手を振り解くと、両手を頭の上に乗せる。その仕草が拗ねた子供のようで、ちょっとだけ愛らしかった。


 夏川獣医から説明があったのは、降っていた雨が上がる頃だった。

 未羽は眠ってしまい、雨宮の膝の上で小さな寝息を立てている。雨宮は彼女の頭に手を当てながら、黙って夏川獣医の話を聞く。

「治療は無事に終わりました。あとは子犬の体力次第です」

 夏川獣医は言葉少なめに説明すると、再び処置室に戻っていった。それからも処置室の明かりが消えることはなかった。

 もうじき夜が明ける。夏川獣医も徹夜でコジローに付き添ってくれるのだろうか。

 たぶんそれは、善意から来るものではなく、獣医としての責任からくるものなのだろう。雨宮は明かりが零れる処置室の扉を見ながら、共感のようなものを感じていてた。少し前までは、雨宮もそちら側の人間であった。

「う、……うん」

 雨宮の膝の上で未羽が身じろぎを立てる。起きる様子などはなく、再び寝息を立てて眠ってしまった。そのほうがいい。こんなに重々しい空気の中、ずっと待っているなんて1人で十分だ。

 外を見る。雨が上がり、薄く伸びた雲が東のほうから白けてくる。蝉も小鳥も鳴いていない。少しだけ肌寒むさを感じて、着ていた上着を未羽にかけてやる。未羽は少しだけ眉をひそめて、それでも安心したように小さく丸くなる。そんな彼女のことを、雨宮は優しそうな目を見ていた。

 夏川動物病院の玄関が開いたのは、そんな時だった。控えめに開かれた扉から足音をたてないように入ってきて、その人物は雨宮の前に立つ。

「遅かったですね。もっと、早く来ると思っていました」

 雨宮の声に、その人物は驚いたようにのけぞった。だが、すぐに雨宮と向かい合って口を開いた。

「未羽さんは、大丈夫ですか?」

 お手伝いの小林有子だった。有子は複雑そうな顔をしながら、雨宮と眠っている未羽のことを見る。

「こんなときでも未羽のことが心配ですか。お手伝いさんの鏡のようですね」

 雨宮は少しだけ目を細める。その顔には相変わらず表情はなかった。

「家政婦であるあなたが、今までどこにいたんですか?」

 有子は話しづらそうに目を逸らした。少しだけ迷って口を開く。

「お屋敷に、…ダリオ宮にいました。子犬の様子がおかしくなったときも、未羽さんが病院につれていくときもそうです」

 一度、軽く息を吸って、ゆっくりとはいた。

「子犬の様子がおかしいことに気づいたのは、私でした。未羽さんにそのことを伝えると、酷く取り乱して。泣きながらずっと、あなたに連絡を取ろうとしていました」

「俺のことなんて待たなくても、あなたが病院に連れていけばよかったのに」

 自然と雨宮の口から零れていた。

「そうしようと思いました。だけど、未羽さんが聞かないんです。私の言葉に耳を傾けず、弱りきった子犬を抱いたまま、あなたが来るのをずっと—」

「……」

 何かを言おうとして、雨宮はその口を閉じる。他人の責任を追及する資格が自分にはないことを悟っていた。

「その時に、私は気づきました。未羽さんが信頼しているのは、あなただけということを。未羽さんのおじいさんから、孫を無理やり退院させた危ない医者だ、と聞いていたので」

「まぁ、あながち間違いじゃないです」

 雨宮は思わず苦笑してしまう。どうやら未羽の祖父、柊葉蔵はいまだにご立腹らしい。

「でも、それは勘違いだと、すぐにわかりました。あなたは本当に、未羽さんに尽くされていましたから。素っ気無い態度を取っていても、常に未羽さんのことを気づかっていました」

「俺はそんな立派な人間ではないですよ」

 本心だった。自分はただ、医者としての責任を果たしているだけだ。

 いや、これも違うか。

 雨宮は否定するように頭をふる。

 責任を果たせるように足掻いているだけだ。その醜い足掻きは、いつも無駄な努力となって結果に結びついてこない。常勤医をしているときも、未羽の担当医になってもそれは変わらない。睡眠時間を削って仕事に没頭しても、急患のために酒を控えようとも、救えない命は確かにあるのだ。指の隙間からぼたぼたと垂れるように水のように、人の命はあまりにも簡単に零れ落ちる。

 だからこそ、零れる命を一人でも少なくさせるために。命に対しての誠実さが試されている。その誠実さこそが医者の責任だ。

 自分は医者としての最低限の責任すら果たせていない。

 立派な人間どころか、一人前の医者ですらないのだ。

 その事実だけが、雨宮の一握りの自信を足元から崩そうとする。

「いつだって、俺は中途半端な医者ですよ」

 雨宮はポツリと呟いた。

「時々、思うことがあります。このまま未羽の担当医を続けていてもいいのかと。俺以外で適任な医者がいるんじゃないか」

 膝の上で寝息を立てている少女を見る。果たして、自分はこの少女を守るのに足りる存在だろうか。

「それは違います」

 有子の声に雨宮は頭を上げる。

「他の誰かじゃない、あなただから未羽さんの医者が務まるんです。未羽さんが信頼しているあなただからこそ、未羽さんの命と向かい合う資格があるんです」

 有子の言葉に、雨宮は驚きを隠せない。

「あなたがそんなことを言うとは、意外ですね」

「私だって悔いているんですよ。もっと、未羽さんの信頼を得られるようにしていればよかったのに」

 有子は悔しそうに顔を歪める。

「きっと私は解雇されるでしょう。未羽さんのおじいさんにも報告をしていますし、来週にも新しい人が来ると思います」

「そうですか、残念ですね」

 雨宮はいつものように淡々と言った。

「せっかく、未羽のために子犬を連れてきたというのに」

「っ!」

 雨宮の言葉に、有子は虚をつかれたように驚いた。目を見開いて、返事もできす口を開けている。

「どうして、そのことを知っているんですか?」

「屋敷の庭に、迷子の子犬がいるわけがないでしょう。きっと、未羽に見せる前に逃げてしまったのですね」

 有子は黙ったまま頷く。

「はい、そうです」

 ため息のような息をはいて、視線を右へと動かす。そこには扉から光が漏れている処置室があった。

 そんな彼女を見て、雨宮は口を開く。

「あの子犬があなたのしたことなのか、それとも未羽のおじいさんの指示なのかは知りません。ですが、これだけは言わせてください」

 有子がこちらに向くのを待ってから口を開いた。

「……ありがとうございました。あの子犬が、コジローが来てから未羽は以前より明るくなりました。家族が増えることが、未羽にとって本当に嬉しかったのでしょう」

 雨宮は深々と頭を下げる。

 すると、有子は慌てたように両手を振った。

「やめてください。私は、そんな感謝されるようなこと」

「それでも、あなたは彼女を笑顔をしてくれた。それだけは事実です」

 未羽が眠っていて助かった。起きていたら、こんなことは言えないだろう。

 視線を膝から外に移す。白みがかっていた空が、いつのまにか淡い青色に染まっている。雲はなく、海のような青空が広がっている。

 遠くのほうから蝉の鳴き声がする。

 山の隙間をぬって、太陽が顔を出す。

 きっと、今日は晴れるだろう。

 辛いことがあっても、こうやって太陽は昇る。

 今日はきっと散歩日和だ。

「あなたが望むのならば、このまま家政婦を続けていただけませんか。未羽には、俺から言っておきます」

「……ありがとうございます」

 淡々と語る雨宮に、有子が静かに頭を下げた。



 数日後、雨宮と未羽はいつもの散歩コースを歩いていた。元気いっぱいの子犬を連れて。

「いい天気だね、雨宮先生」

「あぁ、そうだな」

 雨宮は返事をしながら、隣を歩く彼女のことを見る。その表情は、いつもよりも穏やかなものだった。

 昨日のことだ。

 未羽に心臓移植ができるかもしれない、と移植学会から連絡があった。未羽の病状と重症度から、次に心臓のドナーがでれば優先的に手術できるという話だった。

 まさに朗報である。

 真っ暗な視界の中に、一筋の光を見出した気分だった。

 彼女を、助けられるかもしれない。

「雨宮先生、どうしたの?」

 未羽が曇りのない笑みを向けてくる。

 どうか、もう少しでいいから。彼女が笑顔でいられる時間をください。

 そんな想いを胸に、雨宮は真夏の日々を彼女と共に過ごしていく。 



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