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~2014年 4月26日~ 

~2014年 4月25日~ 


「……家族との連絡はどうなった?」

「急いでこっちに向かっているそうです」

 深夜のICU(集中治療室)で、若い医師が看護師と言葉を交わしている。落ち着いた態度と、清潔な白衣が印象的な男だった。

「血圧は?」

「60台をきりました。心拍数は32で不整脈あり。血液検査は結果待ちです」

「そうか。この状態では明日までもたないかもしれないな」

「同感ですね。とりあえず、家族が来るまで粘りましょう」

 時刻は、深夜0時になろうとしている。

 真っ暗なICUには、数えるほどの灯りしかなかった。ナースセンターに置かれた卓上スタンド。非常口の場所を知らせる誘導灯。そして、電子カルテのディスプレイ。それらが暗闇の中で、ひっそりと輝いている。

「先生、血圧下がっています」

「昇圧剤を上げて。ノルアドレナリンを10ミリに増量」

 看護師の問いかけに、白衣の男は淡々と指示を出す。目の前で患者の命の炎が消えようとしているのに、その姿はあまりにも冷静であった。

 男の名前は、雨宮あまみや紡人つむひと

 今年で二十九歳になる、循環器内科の若い医師だった。


「急患、通ります!」

「八番ベッドに入れるよ!」

「心電図のモニターと点滴ライン、急いで!」

 雨宮が電子カルテを入力していると、ICUの入口の灯りがついた。その直後に、看護師たちに囲まれたストレッチャーベッドが慌ただしく通り過ぎていく。一時間ほど前に連絡のあった緊急搬送の患者だろう。高齢者の女性で、救急隊が駆けつけたときには既に意識がなかったらしい。

 雨宮が見つめる先では、別の医師が看護師たちに指示を出していた。急患だというのに、看護師も含めて慌てた様子はない。このあたりは経験と、くぐってきた修羅場の数がものをいう。

「……」

 雨宮は視線を外して、再び電子カルテと向かい合う。そんな時、声をかけてくる男がいた。


「よぉ、雨宮。そんなところから高みの見物か?」

 その声は、深夜の病院とは思えないほど大きなものだった。男の名前は、さかき誠士郎せいしろう。雨宮とは大学の医学部からの仲で、研修医の時も同じ病院で過ごしていた。

 この病院では、心臓血管外科に所属している。

 雨宮とは違い明るい性格であった。短めに整えた髪を茶色に染めていて、人当たりの良い笑顔を浮かべている。その姿が患者からの人気を集めていた。

 だが、今の榊にいつもの笑顔はなかった

「あー、くそ。家族待ちとかマジで最悪だ。どうせ手術はできないんだから、さっさと来いよ」

「機嫌が悪そうだな、榊。寝不足か?」

 雨宮がディスプレイから目を離して、イスの背もたれに寄りかかる。時計を見てみると、ちょうど日付が変わる頃だった。まだ寝るには早い時間だ。 

「おい、雨宮。お前と一緒にするなよ。俺くらいになると四十八時間の勤務くらい余裕でこなせるようになるんだよ」

 自信ありげに、榊はにやりと笑った。

「そうか。だったら、患者の家族が来るまで大人しく待っていろ」

「無意味に待たされるのが嫌なんだよ」

 榊はナースステーションに入ってくると、電子カルテのマウスに手を触れる。暗転していたディスプレイに再び灯り、雨宮は不機嫌そうに目を細めた。


「これがあの患者の既往歴だ。弓部大動脈瘤で切迫破裂の危険あり。手術を勧めるも家族の希望により拒否。以後、経過を観察中だ」

「手術を断ったのは本人じゃなくて、家族なのか?」

「そうだ。まぁ、入院や手術となると、いろいろと面倒だからな」

 その通りだな、と雨宮も同意する。

 入院や手術することになれば患者本人の負担はもちろん、その患者の家族にだって大きな負担がかかる。手術の話をしただけで、渋い顔になってしまう家族もいるくらいだ。

 榊が電子カルテに患者IDを入力して、ご丁寧にCT画像まで表示させる。胸の高さで切られた心臓の断面図には、瘤のように膨らんでしまった血管が映し出されていた。

「患者の年齢は?」

「八十七歳だ。今年で米寿か。まぁ、迎えるのは無理だろうな」

 雨宮はマウスを操作しながらCT画像を凝視する。真剣な目つきになって、他に異常がないか探していく。肺、心臓、肝臓、腎臓。頭の方から動脈の流れに沿って順番に見ていった。年齢的なこともあるのだろうが、ざっと見ただけでも大きな問題がいくつも見つかった。

 弱った心臓、硬くなった血管、小さく潰れた腎臓。肺には腫瘍のような影もある。とても手術に耐えられるとは思えなかった。


「つまり、俺が言いたいのは。こんな天寿をまっとうしたような婆さんに、無駄な手術をしたくないんだよ」

「酷い言いようだな」

「本当のことだろう。今だって点滴と昇圧剤で無理やり血圧を上げているけど、あれだって時間稼ぎにしかならない。俺には、あの点滴すら無駄に思えてくるね」

 榊は肩をすくめて、悪びれる様子などない。

 榊誠士郎とは、こういう男なのだ。社交的な性格で患者からの人気を集めているが、この男の医療観はとても冷めている。もう手遅れな人間に無意味な治療をしたくないのだろう。

 ちなみに雨宮は鋭い目つきと冷静な話し方で、患者からは怖いというクレームが殺到していた。内科部長から何度も怒られて、その度に自分なりに気をつけているのだが、評判はいっこうに良くならない。

「なんで、お前みたいな医者に人気があるんだろうな?」

「顔じゃないか? あとは目つきとか。なんにしても雨宮は真面目すぎるんだよ」

「真面目で何が悪い?」

 雨宮が真顔で問うと、榊が呆れた顔をする。


「悪いね。だって患者は、医者の顔しか見てないんだよ。外来を受診する爺さん婆さんだって、言っていることの半分が愚痴だ。腰が痛いとか、膝が痛いとか。そういった人間には、話を聞いてやって湿布薬でも出してやればいいんだ。それなのにお前ときたら、生活習慣の改善だとか、なるべく動くようにとか。患者にとって嫌なことしか言わないだろう。評判も良くなるわけないさ」

「嫌がられようとも、それが俺たちの仕事だろう。俺たちには医者としての責任がある。それは決して、患者にとって不利益になってはならない」

 雨宮は真剣な目つきで榊を見る。

 そんな同僚の姿を見て、榊は呆れたように溜息をついた。ディスプレイに照らされたその顔は、目の前の男を哀れんでいるようにも見えた。

「雨宮。お前のそういうところ、マジで尊敬するぜ。でもな、そうやって医者の義務とか責任に囚われていると、そのうち押しつぶされるぞ」

「何を言っている。医者とは患者に尽くすために存在している。そうだろう?」

 雨宮が同意を求めるのに対して、榊は飄々としてみせた。

「いや、違うな。医者に問われるのは、患者を救えたかどうかだ。つまり結果だよ。スポーツとかでもそうだろう。結果があれば、誰も文句を言わない。義務や責任なんか感じなくても、患者を救ったという事実だけあればいいんだよ」

 榊の言葉に、雨宮は鋭い視線を送る。

 だが、すぐに思案顔になって、再びCT画像へと目を向けた。

「……お前の考えには同意しかねるが。まぁ、それも一理あるだろう」

「ははっ、そうだろう」

 榊はにやにやと笑いながら、雨宮の隣に座ってCT画像を見つめる。

 それからしばらくの間、二人は互いの治療方針について語り合った。



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