~2014年 7月15日~ その②
隣の高崎市まで、車で1時間ほど。うねうねと曲がる山道を抜けると、なだらかな下り阪がどこまでも続いている。周りの風景も、雑林から静かな田園へと変わっていく。若草色に染まった稲穂が、山からの風でゆったりとなびいている。やがて、人家もちらほら見えてきて、最後には大きな国道へと合流する。
「まずはどこに行くんだ」
「とりあえずペットショップだよね。あの子に必要なものを揃えないと」
雨宮がちらりと助手席の未羽を見る。未羽は何か走り書きがされているメモ帳を熱心に見ていた。子犬を飼うのに何が必要なのか、本やインターネットで勉強をしたに違いない。雨宮は近づいてくるペットショップの看板を見ながら、そう思った。
駐車場に車を止めて、ペットショップの中に入っていく。未羽の持っているメモを覗き見ると、とても片手間では買いきれない量が記載されている。未羽が買い物かごを持とうとしているのを見て、雨宮は黙って彼女より先に手を伸ばした。
「うん?」
「買い物かごは俺が持つよ」
未羽はそんな雨宮のことを不思議そうに見上げる。だが、雨宮が無然とした顔で歩き出すのを見て、彼女は嬉しそうについていった。
「それで、何が必要なんだ?」
「まずはエサ入れと水入れでしょ。それに首輪とリードに、ワンちゃん用のブラシも欲しいな」
「多いな。順番に回っていくぞ。今日中に、あの子犬を引き取らないといけないからな」
「うん、そうだね」
未羽はメモを片手に楽しそうに笑った。
雨宮がそんな彼女を見ながら口を開く。
「楽しそうだな」
「そうだね。楽しいというか、嬉しいかな。なんか新しい家族が増えるみたいでさ。ほら、私って入院生活が長かったから、家族一緒の時間がほとんどなくてね。一家団欒の生活に憧れているんだよ。入院中は食事も1人だったし、話し相手もいなかったし」
「……そうか」
雨宮は小さく頷く。
2人の間にわずかな沈黙が続くと、ふと彼女が足を止めた。どうやら棚に並ばれている犬用の首輪を見て頭を悩ませるようだった。それから5分ほど悩んで赤い首輪を選んだ未羽は、今度は首輪に繋げるリールの色に悩みだす。
「色なんて、別になんだっていいだろう」
「ダメだよ。重要なところなんだから」
「どうせ3日もすれば真っ黒になるぞ」
「むぅ。そんなことを言うんだったら、雨宮先生が決めてよ」
未羽はピンクと黒の2種類のリールを突き出した。
すると、雨宮は悩む素振りを見せることなく1本のリールを選んだ。黒色のリールだった。
「なんで、黒色なの?」
「子犬とはいえ、男にピンクは可哀想だろう」
「え?」
未羽は意味がわからなかったように首を傾げる。やがて、その意味がわかったのか、急いで首輪の色も交換する。首輪の色は赤色から青色となった。
「雨宮先生、よく気がついたね。あの子が男の子だったなんて知らなかったよ」
照れ隠しをするように笑った。そんな彼女を見て、雨宮は淡々と次の言葉を言った。
「ほら、次に行くぞ」
「あっ、待ってよ」
雨宮と未羽は必要なものを買い揃えてペットショップを後にした。犬小屋だけは持ち帰れなかったので、後日配達してもらうことにした。その際、配送先の住所を書くと、担当の従業員はあからさまに嫌そうな顔をした。犬小屋を届けるために、榛名山の山道を登ることになるとは思ってもみないだろう。雨宮は心の隅で同情する。
「あとは何が必要なんだ?」
車のエンジンをかけながら助手席の未羽に訊く。
「あの子の必要なものは、一通り揃えられたかな。あとは私が買いたいものがあるんだけど」
「じゃあ、そこに行くぞ。何度も買い物に付き合わされたくないからな」
雨宮が呆れたように言うと、未羽は唇と尖らせる。
「むぅ。女の子の買い物に付き合うのも、男の器量だと思うんだけどな」
「はいはい、勝手に言ってろ」
雨宮は適当に答えながら、静かに車を走らせる。未羽が行きたかった場所は、大手の電化製品の量販店であった。てっきり服などの買い物につき合わさせると思っていたので、雨宮は肩透かしをくらった気分だった。
「なんだ? スマートフォンでも新しくするのか?」
「うん、ちょっとね」
駐車場に着くなりに、未羽は雨宮を置いて店内に入っていく。雨宮は別段慌てることもなく、彼女の後姿を歩いて追いかける。
未羽が向かった先は映像機器のコーナーだった。整然と並ばれた棚には、デジタルカメラや取替え用のレンズなどが所狭しと並んでいる。
ふと気づくと、未羽の姿を見失っていた。雨宮は辺りを見渡す。すると、レジのほうで彼女が手を振っているのを見つけた。もう買い物が済んだのか、手には小さなビニール袋を持っていた。その姿は、いつになく上機嫌そうに見えた。
「何を買ったんだ?」
「ふふっ、見たい?」
雨宮の返事を待たずに、未羽は手に持ったビニール袋を広げる。中には小さな箱が入っていて、そのピンク色の外観を見て雨宮は首を捻った。
「……これは、ビデオカメラか?」
「うん」
未羽は満面の笑みで答える。
「何で、そんなものが必要なんだ?」
意外といわんばかりに未羽のことを見る。彼女はそんな雨宮を見て、小さく笑った。
「えーとね、ずっと欲しかったんだ」
「ずっと?」
「うん。ずっとね」
未羽は嬉しそうに笑いながら、いつもどおりの口調で答えた。
「ほら私って、もうすぐ死んじゃうじゃない? だから、なにか形に残るものがないかって考えていたの。私が見たり聞いたりして、どんなことを考えていたのか。そういったものをこのビデオカメラで撮っておこうと思って」
「……つまり、日記みたいなものか」
雨宮に動揺はない。
「うん、そんな感じ。でもどうせなら、楽しかった思い出だけを残しておこうかな」
未羽は鼻歌を歌いながら、雨宮の先を歩き出す。
そんな彼女を見ても、雨宮の表情に変わりはない。静かに後を追うだけだ。
「ねぇ、雨宮先生」
彼女がくるりと振り返る。
「私が死んじゃったら、雨宮先生にこのビデオを見てほしいの。私がここに生きていたことを、先生だけには覚えてもらいから」
「……わかった」
雨宮は静かに答える。
穏やかな日々の中、2人が一緒にいられる時間の期限が少しずつ迫っていく。そのことを、じりじりと肌で感じていた。




