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~2014年 7月15日~

~2014年 7月15日~


 翌日は晴天だった。

 これから高く昇ろうとする太陽が、アスファルトの地面をじりじりと焦がす。

 まだ、早朝だというのに、気だるくなるほどの日差しだった。

「……今日は暑くなるな」

 雨宮が太陽に右手をかざす。

 指の隙間から、橙色の光が溢れ出る。

 その光を見て眩しそうに、すぅと目を細めた。

 風の音に耳を傾けていると、遠くで蝉が騒ぎだしたのがわかる。真夏の暖かい風が前髪をわずかに揺らした。

 雨宮は駐車場からダリオ宮を振り返る。自分の軽自動車はエンジンをかけて冷房を全開にしてある。これから未羽と一緒に、隣の高崎市にまで買出しにいくことになっていた。あの子犬を飼うために必要なものを揃える必要があったからだ。

 高崎の市街地までは、車で約1時間ほど。暑くなる時間帯は避けるつもりだったが、今日の日差しではあまり意味がなさそうだった。

 今頃、未羽は自分の部屋で外出の準備をしているはずだ。どのような準備が必要なのか検討もつかないが、年頃の女の子というのであれば色々とあるのだろう。そう自分に言い聞かせ、雨宮は炎天下に晒されながら彼女が出てくるのを待つ。


「ん?」

 そんな時、ダリオ宮の駐車場に、騒音まじりのエンジン音を響かせる車が入ってきた。イタリア製の真っ赤なランボルギーニだった。その目立つ車を見て、雨宮はどこかで見たことのあるような気がした。

 やがて、それは確信に変わる。運転席から降りてきた人間を見て、雨宮はわかりやすく顔をしかめた。

「なんでお前がここに来るんだ。ここは手術室ではないぞ」

「固いこと言うなよ、俺と雨宮の仲じゃないか」

 心臓血管外科の医師、榊誠士郎が片手を上げて挨拶をしていた。

「へぇ、ここがお前の別荘か。いいところだな」

「俺のではない。柊家の別荘だ」

「同じようなものだろう。お前もここで寝泊りしているんだから」

 榊は雨宮の隣に立つと、眩しそうにダリオ宮を見る。

「それで、調子はどうだ。病院の激務から開放されて、さぞかし優雅な暮らしをしているんだろうな」

「そうだな。PHSの呼び出し音に脅えることはなくなったな」

「ははっ。うらやましいことだ」

 榊は遠くを見ながら目を細める。

「お前が循環器内科からいなくなったせいで、カテーテル室は大忙しだぜ。新人の2人なんか、急患が来ないようにと怯えていたぞ」

「誰だって、最初はそんなもんだろう。経験を積めば、自然と技術も度胸もついてくるはずだ。俺がいなくなったところで、代わりはいくらでもいるさ」

 雨宮は隣に立つ同僚を見る。その視線に気づいたのか、榊も雨宮のことを見た。そして、いつになく神妙な口調で問いかけた。

「なぁ、雨宮。病院に戻ってくる気はないのか?」

「……どういう意味だ?」

「実を言うと、循環器内科の北部長に頼まれてな。どうやらあの人は、お前に新人や後輩の指導をやらせたいらしい。知識があって経験も豊富で腕も立つ。そんなお前を手放したくはないんだろうな」

 榊の問いに、雨宮は答えなかった。

 黙ったまま視線を逸らして、ダリオ宮の2階を見つめる。そこは未羽の部屋がある場所だった。

「俺はここでやることがある。それが終わるまでは病院に戻るつもりはない」

「そうか」

 榊が短く答える。

 雨宮はゆっくりと口を開く。

「循環器内科の医局には、まだ俺の席は残っている。それに医者の仕事は、数多くの患者を診ることだけじゃない」

「お前がそういうなら、別にいいんだが…」

 榊は頭をかきながら、ため息をつく。

 そして、真剣な目をして雨宮のことを見た。

「なぁ、雨宮。たった1人の患者を最後まで看取ってやることは、医者の仕事じゃないんだぜ。それは家族の仕事だ」

「……わかっているさ、そんなこと」

 雨宮は静かに答えた。

 目を閉じて、何か考え込むように立ち尽くす。

 それ以上は榊も何も言わなかった。

 初夏の柔らかい風が2人を包み込んでいく。

「それで、未羽ちゃんとはどうなんだ?」

 おもむろに榊が口を開いた。

「何がだ?」

 雨宮は疑問符を頭に浮かべながら榊を見る。すると、榊は下心丸出しに、にやりと笑った。

「年頃の女の子と同棲中なんだろう。雨宮とはいえ、間違いの1つや2つくらいあるんじゃないか?」

 同棲ではない、と断りといれながら雨宮は続ける。

「あいつは患者で俺は医者だ。医者として患者に不利益をもたらすつもりはない」

「はっはっは、それもそうか。環境が変わったくらいで、お前が変わるわけもないか。まぁ、俺も期待しちゃないけどな」

 雨宮の答えを聞いて、榊が豪快に笑う。

「用がないなら帰れ。手術室がお前を呼んでいるぞ」

 雨宮が病院のあるほうを指差す。

 すると、榊は笑ったまま首を横に振る。

「今日は休みだ。だからこうやって好きなことをして過ごしている」

 そう言って、榊は自分の車に戻ると大きな紙袋を取り出した。白い紙袋に赤い文字が書かれている。有名ブランドのロゴだったが、雨宮にはわからなかった。

「深層のご令嬢に挨拶にいくのに、手ぶらだと恰好がつかないだろう。幸い、未羽ちゃんの身長や体格は電子カルテに入っているしな。CT画像を使えば、スリーサイズも服のサイズもバッチリだぜ」

「そんなことに診断用の画像データを使うな」

 雨宮は心の底から呆れた。

「それに、あいつはご令嬢なんてものではないぞ。痛い目にあわないように気をつけろよ」

「はっはっは、何を言っているんだ。俺は未羽ちゃんのことを、入院していたときから見ているんだぜ。あの子はそんなことをする子じゃない」

 榊は親指を立てて、にやりと笑う。

 じゃあ行ってくる、と言い残して榊はダリオ宮に入っていった。その後ろ姿を、雨宮は興味がなさそうに見送った。


 数分後、悲劇は起きた。

 2階の部屋から悲鳴が聞こえてきたのだ。

 榊の悲鳴だった。

 雨宮は車のワイパーに挟まったゴミを取りながら、榊が出てくるのを待つ。しばらくすると、ダリオ宮の玄関から榊が転がるように出てきた。目の下には大きな痣が出来ている。

「……おい、雨宮。これはどういうことだ」

 榊は難しい表情を顔に貼り付けて言った。

「何がだ?」

「あんなに可愛かった未羽ちゃんが、別人のように凶暴になっているぞ」

 榊は頭を抱えながら、ぶるぶると肩を震わせる。

「俺はあんな子なんて知らない。部屋に入って挨拶をするなり、分厚い本を顔面に向けて投げてきやがった。雨宮、お前はあの子に何をしたんだ?」

 虚ろな目をしている榊に、雨宮は問いかける。

「お前こそ、あいつに何を言ったんだよ」

「何も言ってねぇよ。ただ普通に挨拶をして、お土産の服を手渡しただけだ」

「本当にそれだけか?」

 雨宮が訝しむような目で榊を見る。すると、榊は視線を逸らしながらボソボソと答えた。

「まぁ、ちょっとした冗談は言ったかもしれないけど…」

 何を言ったんだ、というような目で榊に無言の追求をする。

「身体的な特徴かな。未羽ちゃんって19歳のわりに子供っぽいだろう。身長とか体格とか、あと胸とか。未羽ちゃんなら子供服売り場でも間に合うね、下着選びに苦労しそうにないね、とか。そんなことを冗談まじりで言っただけだ」

 雨宮は黙っていた。

 それと同時に、自分の同僚に蔑みの視線を送っていた。

「そしたら、未羽ちゃんが急に怒り出してさ。近くにあった分厚い本を投げてきたんだ」

「世界遺産の写真集か?」

「いや。子犬の飼い方、と書いてあったな」

 榊は目の下に出来た痣を触りながら答えた。

 雨宮が榊のことを呆れたように見ていると、ダリオ宮の玄関が開いた。


「雨宮先生、おまたせ」

 未羽が雨宮に向けて手を振る。彼女が着ているのは、白のワンピース。肩にはレースのカーディガンを羽織っている。ゆったりとした風が吹くたびに、ワンピースの裾と彼女の黒い髪が静かに揺れた。

「……っ」

 そんな彼女を見て、雨宮は言葉が出なかった。

 未羽はゆっくりと雨宮のところまで歩いてくる。だが、その途中で榊がいることに気がついて、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた。

「あら、榊先生。まだいたんですね。もう帰ってもいいですよ」

 敬語だった。引きつったような笑顔を浮かべて、榊に対して他人行儀な態度をとる。

「未羽ちゃん、似合っているぜ。すげー、かわいい!」

「用事はそれだけですか。だったら、すぐに帰ってください」

「つれないなぁ。俺としては、もっと親密になりたいんだけど」

「私は嫌です。榊先生みたいにデリカシーのない人は嫌いです」

 未羽は憮然とした態度で言い放つ。

 そんな彼女を見て、榊は声を出して笑う。

「はっはっは。手厳しいな、未羽ちゃんは」

 榊は高笑いをしながら、自分の車に乗り込む。そして、駐車場から出るときに窓から頭を出して、未羽に手を振った。

「じゃあね、未羽ちゃん。また来るよ」

「二度と来ないでください」

 未羽は不機嫌そうに答えながら、榊の車を見送った。赤い車体が見えなくなったころに、彼女はわかりやすくため息をはいた。

「もう、なんなのよ。あれで雨宮先生と同じお医者さんだなんて。本当に信じられない」

「まぁな。でも、あれでも腕はいいんだ。病院の若手医師の中でも、指折りの技量を持っているらしい」

「ますます信じられない」

「そう言うな。あいつはお調子者だが、無駄なことはしない男だ。今日来たのだって、お前の様子を見てくるように言われたのかもしれないしな」

 雨宮が榊のことを弁解するようなことをいうと、未羽が首を傾げる

「雨宮先生と榊先生って、仲がいいの?」

「……どうだろうな。榊とは大学時代の同期なんだ。同じ医学部を卒業して、研修医のときも同じ職場だったな。今は専門の科が違うから、職場の同僚ってところだ」

「ふぅん。友達なんだ」

「冗談いうなよ」

 雨宮は苦笑いを浮かべる。

「同じ大学を出たやつなんて大勢いる。榊とも在学中に特別親しくしていたはけではない。友達というよりも、腐れ縁だな」

 そんなことを語る雨宮は、どこか楽しそうな表情だった。

「俺達もさっさと出るぞ。今日は暑くなりそうだから、早めに買い物を終わらせよう」

「うん、そうだね」

 未羽は頷くと、軽自動車の助手席に向かった。

 と、その途中で雨宮のほうにくるりと振り返った。

「ねぇ、雨宮先生。今日の私の格好どう思う?」

 白のワンピースの裾を掴み、くるりとその場で回る。スカートの裾がふわりと揺れた。そして、何かを期待しているかのような目で雨宮のことを見上げる。

「……ふむ」

 雨宮は手を顎に添えて目を細める。そして、どう答えたらいいのか考える。

「雨宮先生?」

 未羽は不思議そうに首を傾げる。

 雨宮は考える。考えた末に結論を出す。

「買い物に行くぞ」

 考えることを放棄する。という結論に達した。雨宮は何事もなかったように運転席に乗り込む。

「あっ、ちょっと。雨宮先生!」

 そんな雨宮に不満だったのか、助手席に座った未羽がぶつくさと文句を言う。こんなことなら、怒られることを承知で素直に褒めてよけばよかった。人との付き合いかたの難しさを改めて実感させられる。

 そんなことを頭の中で反省しながら、雨宮はアクセルを踏み込んだ。


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