第九話 彷徨う心
(イルア様、どうしてるかな・・・)
ベッドの上でうつ伏せに寝ながら、レイリアはバルクス家の皆の事を思い返していた。
(ヴィト、心配してるよね・・・)
ふわりと風が髪を弄んだ。
(セティエス様がきっとイルア様を見守って下さってる筈だよね。)
もそりと寝返りを打って横向きになり、溜息を吐く。
(ガイアスがリュミエルの事見てくれてる筈だし・・・)
さらりと顔にかかっていた髪がどかされた。
(後は私が・・・・・・・・・?)
ぱち、と目を開く。どうもさっきから不自然に髪が躍る。そして、目を開いたまま、レイリアはあまりの事態に呼吸を忘れた。
(え・・・・・・・・・え・・・?)
にこり、と目の前の少年が笑う。邪気のない、明るい笑顔だ。
が。
(・・・・・・・・・・・・・・・ぇえっ!?)
距離があまりにも近かった。手を伸ばせばなんて距離ではない。むしろ手はすでにレイリアの髪を弄んでいるし、セミダブルのベッドの上に二人。かなり、近い。
驚き過ぎて頭が真っ白になったレイリアを眺めて、少年は穏やかに微笑んだ。
「レイリア?」
びくっ、と身体が跳ねた。見知らぬ少年—もう僅かに少年の域を脱しているようにも思うが―に教えてもいない名前を呼ばれて、平静でいられるものか。レイリアはなんとか口を動かそうとして、上手く出来ずにただ、瞬いた。
すると少年はにっこり笑った。
「だよね。セーヴィから聞いてたから、間違いないよね。」
(・・・!じゃあ、この人もセーヴィアスの仲・・・っ!?)
レイリアの思考はいきなり少年が抱きついてきた事で中断された。思いっきり抱きついてレイリアを下敷きにする。
「なっ・・・なっ!?」
「んーっ可愛い!柔らかい!気持ち良い!」
(だ、誰かーっ!)
声が出ない。いくら頑張っても声が出てくれないので、必死に暴れて身を捩ろうとするが、がっちり抱き込まれてびくともしない。少年は嬉しそうにレイリアの首筋に頬を擦り付けてくる。
(なになに!?どういう事!?イルア様セティエス様ガイアスヴィト!助けてーっ!)
半泣きのレイリアなどまったく目に入らない様子で、少年はますますレイリアを抱きしめる。
(あ、危ない・・・!ロシルより怖いこの人・・・!)
本気で危険を感じていると、突然少年は顔を離した。
(あ・・・気が済んだ・・・?)
ちょっとだけほっとしつつも少年の様子を見ると、ばっちり目が合った。
(うっ、近い・・・)
吐息がかかる程。そして、少年がとろりと微笑んだ。
(まずい!絶対にまずい気がする!)
思わずぞくりと身を震わせた時——。
ドカッ!と派手な音がして扉が開いた。
ひどい音がしたからどこか壊れたのかも知れないが、そんな事を確認する間もなく何かが少年に激突した。
「ちっ!」
「っ!?」
ベッドを挟んで少年と対峙したのは、ロシルだった。
(た、助かった・・・?)
が、二人は臨戦態勢だ。
「おいロシル・・・俺の邪魔するとどうなるか分かってるよな?」
少年は、さっきまでの無邪気さはどこへいったのか、別人かと思う程冷たく、狂気を孕んだ目をロシルへ向けていた。対するロシルも、これまた退く気の全くない様子で闘気をむき出しにしていた。
「良い度胸だなテメェ!」
少年は叫んでロシルへ飛びかかっていった。
(こ、ここで喧嘩!?)
当然の如くベッドの上を飛び越えていくものだから、レイリアは慌ててベッドの上の方へ移動して小さくなった。
さっきとは違う意味で、危険だ。
少年もロシルも殴るわ蹴るわで、あっという間に乱闘になってしまい、レイリアは縮こまっているしかなかった。
しかし。
(終わらない・・・)
二人とも結構本気でやりあっているのだと思うのだが、一向に収まる気配がない。
(どうしたらいいの!?)
途方にくれたレイリアの耳に、救世主の声が聞こえた。
「ロシル、ラヴィアス、止めろ!」
その声に、二人はぐっとお互いの胸ぐらを掴んで睨み合ったまま、取りあえず止まった。
(よ、良かった・・・!)
扉の方を見ると、怖い筈のセーヴィアスが輝いて見えた。
(今だけは、今だけは救世主に見える!)
そんなレイリアと目を合わせ、セーヴィアスは優しく微笑んだ。が、すぐに少年へと視線を戻すと表情を改めた。
「ラヴィ、帰って来たらどうすると教えた?」
「うっ・・・ただいま。」
「ちゃんとこちらを向きなさい。」
「・・・・・・」
ラヴィと呼ばれた少年はしぶしぶロシルから手を離し、きちんとセーヴィアスへ向き直った。
「・・・ただいま。」
するとセーヴィアスは、険しい顔から一変して、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「おかえり。今リリィが一人で店番をしているから、行ってあげてくれ。」
「・・・・・・分かったよ。」
名残惜しそうにレイリアを見て、少年は部屋を出て行った。
(い、行った・・・)
ほっと肩の力を抜いたレイリアを見て、ロシルが猛然と近づいてきた。
「なっ、なに・・・?」
じろりと全身を眺め見て、何故かセーヴィアスを見た。
「大丈夫だよ。ロシルはいつも通り警護に戻って。」
「・・・・・・分かった。」
頷いて、あっさりと出て行った。
(・・・・・・一体なんだったんだろう・・・)
呆然とするレイリアの側、ベッドの傍らに膝をつき、セーヴィアスは申し訳無さそうに、僅かに微笑んだ。
「大丈夫だった?」
「え・・・」
思いがけず優しい声音に、レイリアは素直に頷いた。
「はい、あの・・・だ、抱きつかれました・・・」
思い返して恥ずかしそうにするレイリアに、セーヴィアスは苦笑した。
「・・・レイリア・・・ロシルが来なかったら、それ以上の事をされていたかも知れないよ?」
「あ・・・」
さあぁっ、と青ざめた。それを見て、セーヴィアスは思わず笑ってしまった。
「くくっ・・・、レイリアは本当に素直だね。」
「・・・・・・・・・」
(からかわれた?)
憮然としながらセーヴィアスを睨んでいると、すぐに笑いを引っ込めてくれた。
「すまない。・・・彼はラヴィアス。我々の仲間だよ。一番よく働いてくれている。」
(仲間・・・)
先程の、ロシルが来てからの様子を思い出して、レイリアはぞくりと身を震わせた。
(じゃああの人も・・・リリィみたいに怖い人かも知れないんだ・・・)
恐る恐るセーヴィアスを伺い見ると、じっと様子を伺われていた。ぎくっとして目を逸らす。
(なんだろう・・・)
どきどきしていると、セーヴィアスが問いかけてきた。
「・・・朝食を食べなかったそうだけど・・・」
ぎくり、と身体が強ばる。
(ちょ、調子が悪かったって言おう。お昼は・・・)
「リリィと何かあった?」
「!」
思わずセーヴィアスと目を合わせてしまった。くすり、と柔らかく微笑まれる。
「レイリア。僕はイルア=バルクスにも、君にも危害を加えるつもりはない。けれどイルアにレーヴェとして、そして闘い無しで会う為には、君が必要だ。」
「・・・・・・・・・」
相変わらず膝をついたままで、セーヴィアスは真剣にレイリアの目を覗き込んでくる。それを、怖さを必死に耐えて見返す事しか、レイリアには出来なかった。
「だから、レイリア。どうか逃げずに、一緒にいて欲しい。例えイルア側から攻撃があったとしても、反撃はしないと誓おう。」
反撃はしない。
その言葉にレイリアは反応した。まっすぐにセーヴィアスの目を見つめる。
「本当に?」
セーヴィアスは少しだけ緊張を解いた。
「ああ。反撃はしない。傷つける様な真似は、絶対にしない。」
その目は誠実だと感じられた。軽々しく口にした言葉ではない、と。
(でも・・・もし嘘だとしても、私には見破れそうもない・・・)
大体、敵がこうも条件良く取引をするのだろうか。けれどイルアに会いたいという理由を教えてくれた時も、今の誓いの言葉も、とても真剣な気持ちのように思える。
(分からない・・・イルア様。どうしたらいいですか?)
返る事のない答えを、ついセーヴィアスの瞳の中に探してしまう。するとセーヴィアスは、返事を聞かずに立ち上がった。
「さあ、レイリア。お昼は食べるだろう?降りておいで。」
「あ・・・」
笑いかけて立ち去るセーヴィアスを見送り、レイリアは、怖さの薄れた心に気付いた。
(・・・怖いけど・・・イルア様にとって、悪い人ではないのかな・・・)
窓から見える空を仰いでも、答えは見つかりそうにない。諦めて、元気をつけなくちゃと部屋を出て食卓へ向かった。
セーヴィアス達は常に四人揃っているわけではなかった。レイリアが攫われて来た時もそうだったが、とにかく四人揃う、という事は少ないようだった。
数日様子を見ていたが、今も昼食の席にはラヴィアスとリリィしかいない。
「・・・貴方達は、四人一緒に過ごさないの?」
ずっと気になっていた事を訊ねてみると、ラヴィアスがあっさり答えてくれた。
「いつも一緒だろ?」
「え?」
驚いて聞き返すレイリアを見て、ラヴィアスが首を傾げた。つられてレイリアも首を傾げる。
「だって、ご飯を食べる時は、一人や二人しかいないじゃない?」
「・・・ああ!そういう事か。だって店番しなきゃいけないだろ。皆店からいなくなったらタダで持ってってくれって言ってるようなもんだからさ。それは出来ないよ。」
「・・・お店?」
今度は反対に首を傾げると、くすりと笑われた。
「そうだよ。なんだ、レイリアは知らないのか。」
言いながらラヴィアスがちらりとリリィを見るが、リリィは瞬いただけだ。なんで私に聞くのとでも言いたげだ。
「俺たちはシュル・ヴェレル。一応、商人なんだよ。」
「商人!?」
驚き過ぎてつい大きな声が出てしまったが、二人は意に介した様子もない。
「そ。」
「な、何を売ってるの?」
レーヴェと似た様な事をしてきたという人物が、一体まともな商売をしているとだろうかと不審に思って訊ねると、ラヴィアスはさらりと答えてくれた。
「んー、色々だよ。珍しい布とか石とか薬とか、花の種だとか?」
「・・・・・・」
(意外とまとも・・・?)
思いながら、別の疑問が浮かんでまた訊ねた。
「あの・・・貴方も商人なの?」
そうは見えない。リリィもだが。
「そうだよ?まあ俺は商人よりあっちのが向いてるけど。」
「・・・あっち?」
思わず覗き込むようにして聞くと、ラヴィアスはにこりと笑った。
「あっち。」
そして首を傾げる。
「セーヴィから聞いてないの?」
「・・・何を?」
「商人だって事も知らなかったんだろ?」
「う、うん。」
「・・・レイリアってさ、攫われてきたのにのんき過ぎない?」
「・・・・・・!」
言われて初めて、レイリアは状況のまずさに気付いた。
(私・・・怖がってばかりで、この人達が何者なのか知らない・・・!)
驚愕するレイリアを、今度はラヴィアスが覗き込む。
「教えてあげようか?」
ゆったりとラヴィアスの唇が弧を描く。それに魅入られたように、レイリアは頷いた。
「じゃあこれ片付けてからね。リリィ逃げるんじゃねーよ。ちゃんと片付けろ。セーヴィにチクるぞ!」
可愛いリリィが、舌打ちしたように聞こえた。こころなしかむすっとした顔で、すごすごと食器を流しへと持っていく。それに続いてラヴィアスとレイリアも片付け始めた。
「俺たちの噂、聞いた事ないかなぁ?結構有名だと思うんだけど。」
リリィが黙々と食器を洗い、レイリアがそれを拭き、ラヴィアスがそれを棚へ戻す。
「噂?」
「あのさ、シュル・ヴェレルだよ?ほんとに聞いた事ない?」
言われてレイリアは考え込む。
(シュル・ヴェレル・・・前にどこかで聞いたような・・・)
「あっ」
思い出した。
「聞いた事あるだろ?どんな噂だった?」
(イルア様から聞いたんだ・・・)
「・・・その一団が通ると、必ず小さな事件が起こるって・・・」
『だから、その一団が来たら屋敷から出ちゃ駄目よ。』
そう、言われていたのだった。
「まあ、その通りだよ。俺たちは表向きは商人だ。色んな物を売ってる。けど、それはあくまでついでで、その小さな事件ってのは本業の為の実験みたいなもんなんだ。」
ラヴィアスは特に面白がる風でもなく、そう言う。
「本業って・・・」
どくり、と心臓が嫌な音を立てる。
「え、それ聞いちゃう?」
呆れたように言われ、さらに嫌な予感を煽られる。
「まさか・・・」
にこり、とラヴィアスが楽しそうに笑った。その、邪気の無さ。
「レーヴェと一緒だよ。国の不祥事の処理とか、陰謀を阻止する為の暗殺。」
「・・・・・・!」
一瞬、目の前が暗くなった。セーヴィアスは今でも続けているのだ。
「けどさあ、イルアはやりにくいだろうね。」
イルア、という名前にはっと我に返る。慌てて食い付いた。
「ど、どういう意味?」
最後の食器を片付け終えて、ラヴィアスは不思議そうにレイリアを見た。
「どういうって、イルアは自分の国に留まってるだろ?それに政治関係者とは顔見知りで仲が良いっていうし。」
「貴方達は違うの?」
驚いてそう聞くと、得意げに笑って答えてくれた。
「違うよ。俺たちは一つの国に留まらない。セーヴィに言わせれば、自分の国の人間とは関わりが薄くなるから感情移入も少なくなって、仕事がやりやすいって。」
「・・・・・・・・・」
(そっか・・・イルア様が関わっている人達は・・・例えばザクラス様みたいに、手をかけなきゃいけない時もあるんだ・・・)
もしかしたら、エルフィアやシールスでさえ。
ずきり、と胸が痛む。
(私・・・まだまだ知らない事が多い・・・)
イルアの事が大切で、その心を守ってあげられたらと思うのに。
(考えが至らない・・・)
胸が、痛くて。痛くて。レイリアはぎゅっと胸元を握りしめた。
「どうかした?」
はっとして顔を上げると、ラヴィアスが不思議そうに顔を覗き込んでいた。
「あっ・・・ううん、何も。」
慌てて言葉を紡ぎ出す。
「あの・・・貴方達が一つの国に留まらないなら、一体どこの国を守っているの?」
「・・・守るっていうのは、ちょっと違う気がするけど・・・皆国が違うんだ。」
(皆、国が違う?)
そのままじっとラヴィアスの目を見て待っていると、ラヴィアスはにこりと笑って答えてくれた。
「そう。自分の国の依頼がきたら、そいつだけ国に帰って仕事するんだ。それで、また合流する。そうすれば殺す奴に余計な感情が沸かないだろって、セーヴィが言ってた。」
(・・・確かに・・・そう・・・なのかも知れない・・・)
誰かを殺すなんて恐ろしい事だが、レイリアの主人は、国を思ってそれを行っている。決して辛くないわけじゃない。とても、とても苦しんでいる。そういう対象となるかも知れない人達と顔を合わせる今の状態は、イルアにとってどれほど苦しい事なのだろう。
(だったら・・・その人達とは離れていた方が、イルア様の苦しみも減るのかな・・・)
再び胸元を握りしめて考え込んだレイリアの耳元へ唇を寄せて、ラヴィアスは囁いた。
「胸が痛むの?」
「えっ・・・?」
するりと背中に両手を回されて、レイリアは咄嗟に固まった。
「診てあげようか?」
すーっと右手が背中から前へと、ゆっくりと滑る。
「えっ・・・え?」
嫌な予感に硬直したレイリアをくすりと笑い、ラヴィアスの右手が肋骨を撫で上げようとした、その時——。
ひゅん、とラヴィアスの首に糸が巻き付いた。
(これ・・・リリィの・・・?)
昨夜を思い出してぞくりとした。が、ラヴィアスは微塵も恐れを感じない様で、すぐにリリィへと視線を移し、唸った。
「リリィ・・・!テメェ・・・殺す!」
「!」
ぎらぎらと殺気を漂わせるラヴィアスに、リリィはびしっと言い返した。
「望むところ。」
「ええっ!?」
あまりの返答にレイリアが焦った。
「リ、リリィ!?そんな事・・・」
「バラバラにしてやろーか・・・」
ブチッ、とどこからか短剣を取り出し、それで易々とリリィの糸を断ち切り、ラヴィアスはリリィへと足を進める。
「リリィ!」
叫んだレイリアの声も空しく、リリィは決然と言い放つ。
「セーヴィの言いつけは守る。ラヴィがレイリアに淫乱行為出来ないように。」
「い、いん・・・」
(リリィ、その言葉どこで覚えたの!?まさかセーヴィアスさん!?)
色んな意味で慌て始めたレイリアをよそに、二人は額がぶつかりそうな距離で睨み合い始めてしまった。
(・・・・・・あ、二人とも同じくらいの身長・・・)
ちょっとだけ和んでしまいそうになりながら、慌てて二人の元へ駆け寄った。