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第五話  悪魔の蜜



「いない?」


 イルアが首を傾げると、擁護院ようごいんの院長は不安気に顔を曇らせた。

「ええ。今朝からなんです。朝食を食べ終わるまではいたんですよ。それは、間違いありません。子供達も見ていますから。」

「・・・けれど、この敷地を出た形跡はないのでしょう?」

「ええ・・・一応、私たちが確認したところでは・・・。けれど所詮は素人ですので、警備所に頼もうかと思っているのです。」

(警備所か・・・あのバーレクが、誰にも見られずに姿を消せるとは考えにくいわね・・・)

「そうね・・・私から伝えておくわ。それと、三将軍にも相談してみます。」

「さ、三将軍様に・・・?」

 院長の驚きように、イルアはふわりと微笑んだ。

「私の預かる擁護院の事ですもの。出来る限り早く、皆に安心してもらいたいの。」

「イルア様・・・!」

 感動する院長に少し罪悪感を感じながらも、出来る限り優しく微笑む。

「しばらくはこちらに警備兵を置いて頂けるよう、進言してみます。」

 途端に不安そうになった院長に、イルアは小さく頷いた。

「もちろん、子供達には分からないように配慮してもらうわ。」

「・・・ありがとうございます、イルア様・・・!」




(院長から警備所に連絡がいけば、騒ぎになり兼ねないものね・・・。)

 イルアは帰りの馬車に揺られながら、考えを巡らせた。

(バーレクは元兵士だから、何かしら政治的な思惑で、突発的な理由で動く事も考えられるけど・・・でも、左足がほとんど動かないから、兵力は期待できないのよね。)

 イルアの目に、以前会った時のバーレクの様子が思い浮かんだ。

(それにねぇ・・・。あの変態が私の訪問日が分かっていて、わざわざその日を選んで姿を消すとは考えにくいのよねぇ。あいつなら私に会ってからやるわね。十中八九。)


 バーレクは軽薄でしつこい男だ。イルアを見れば足を引きずってまで飛んで来て、足が悪いのを理由にイルアに抱きついたりする変態だ。

 セティエスやガイアス、ヴィトに睨まれようが蹴られようが、へらへら笑って懲りない様な男。


(そのバーレクが、姿を消す。ねぇ・・・)

 嫌な予感がしてならない。イルアの目が鋭く細められた。






 屋敷へ着いたのは夕暮れ時だった。ここからバーレクのいる擁護院までは遠く、早朝出かけて昼頃につき、少し様子を見て帰るまでには日が暮れる。

 馬車を降りるとすぐにヴィトが扉を開けて出迎えてくれた。しかし、その表情に緊急事態だと察して、すぐに居間へ入る。

「どうしたの?」

 問いかけると、ヴィトではなく、セティエスが答えた。

「お嬢様。こちらへ。」

 言われるままに客間へと足を運ぶ。

「レリィは?」

 訊ねた言葉に、ヴィトの表情が凍り付いた。

「・・・ヴィト、レリィはどうしたの?」

 思わず詰問するような口調になった。が、セティエスがそれを諌める。

「それもお話します。」

 そう言って、客間の扉を開けた。


「!」


 開けた途端に血の匂いが鼻についた。

「バーレク・・・」

 その左足が真っ赤に染まり、手当の為に巻かれた布も、寝台さえも赤く染めあげていた。

「どういう事・・・?」

 訊ねながらも寝台へ歩み寄り、巻かれた布を丁寧に解いていく。

「レリィが攫われました。」

「!」

 ぱっとヴィトを見据える。と、セティエスが言葉を続ける。

「追おうとした際に彼を発見したようです。」

 それで、理解した。おそらくヴィトが追えないように、この男を晒したのだろう。

「・・・あれを取って来て。」

 言われてセティエスが部屋を出て行った。残されたヴィトは、イルアに事の詳細を報告する。

「俺でも追いつけませんでした。気配も一瞬しか感じられなかった。・・・そして、バーレクさんの足の傷ですが・・・」

 ぱらり、と布を外して、イルアは驚愕した。

「・・・・・・これは・・・」

 深く抉る様な、まさしく、爪痕。

「イルア様・・・」

「信じられないわね・・・」

 呆然としているのに、我知れず苦笑する。

「貴方が気配を察知出来なくて、貴方が追いつけなくて、貴方と同じ様な“爪痕”を残す。・・・こんな事、本当にあるのね・・・」

 言いながらヴィトを振り返った顔には、優しい眼差しがあった。


(イルア様・・・)


 その目はヴィトを責めてもいなければ、ヴィトを疑ってもいない。同族の行いに嫌悪を示すものでもなく・・・ただ、優しかった。


 こういう事実があるのを仕方ないと受け入れているのか、ただヴィトを安心させようと思っているのか、それは分からない。けれどヴィトには、その眼差しだけ十分だった。まだ、イルアに信頼してもらえているのだと確信した。


「お嬢様、お持ちしました。」

 セティエスが言われた物を持って戻ってきた。手渡したそれは、イルアだけが扱う事を許された、“悪魔の蜜”だった。

 イルアは己の人差し指の腹に、一緒に手渡されたナイフの切っ先を当てた。ぷつりと切れて、鮮やかな赤が溢れ出す。爪先をわずかに濡らし、鮮血が蜜へと滴り落ちた。少し振って混ぜ合わせると、今度はそれを自ら口へ含む。

 そうしてそれを、バーレクの傷へと吐き出した。

「・・・何年もお嬢様と供におりますが・・・本当に不可思議なものですね・・・悪魔の蜜というのは・・・」

 セティエスの呟きには、ヴィトも同感だった。


 悪魔の蜜は、イルアの血を混ぜると猛毒となる。わずかにでもその香りを嗅げば途端に虜になり、口に含めば甘やかな蜜の味が、安らかな永遠の眠りへ誘う。例え甘い物が嫌いなエルフィアでも、もしもその香りを嗅いでしまえば抵抗もなく魅了されてしまう。それが、“悪魔の蜜”だった。

 しかしそれに、さらにイルア—蜜を扱う事を許された者―レーヴェの体液を混ぜ合わせれば、瀕死の怪我や病気も瞬く間に治す。

 それ故に大昔は、悪魔の蜜を巡って世界戦争が起こった程の代物だった。


 今、蜜に触れたバーレクの怪我は、見る間に出血が止まり、身体の組織が再生しようとしていた。流れた血は瞬時には戻らないが、明朝には顔色も幾分か良くなっているだろう。

「・・・これで心配ないわね・・・」

 ほっと息をつくイルアにセティエスが声をかける。

「しかしお嬢様。どのように説明なさるおつもりですか?」


 バーレクならば、自分が負った傷がどの程度のものなのか理解出来る。今回の傷は、到底治るものではなかった。普通ならば、切断していただろう。


 イルアは長く息を吐いて、苦笑いをした。

「・・・記憶が曖昧だって事にするしかないわね。文字通り“瀕死”だったわけだし。普通の手当てしてたら一時間後には死んでいたわよ。」

「ひどい出血でしたからね・・・」

 イルアの言葉にヴィトは頷いた。

「・・・そうですね。」

 バーレクには睡眠薬でも盛るしかない。目覚めが速過ぎると記憶をごまかせなくなる。

「では、バーレクの事は私が請け負います。」

「そうね・・・任せたわ、セティ。」

 セティエスに笑いかけて、イルアは客間を後にした。





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