第四話 ヴィトの油断
おばさんとリィルと別れ、レイリアとヴィトは再び街を歩き始めた。時刻は昼を過ぎた頃で、昼食はおばさんにごちそうしてもらった。
「店主の手料理は美味しかったね。ちょっと驚いた。」
ヴィトにそう言われて、レイリアは自分の事ではないのに胸を張る。
「でしょう?温かい味なのよね。けどヴィトのご飯も美味しいよ!」
にっこりと言われて嬉しいのに、何故かちょっとだけ悲しい。
「あ、ありがとう・・・」
逆の立場だったら良かったのに。けれどレイリアの笑顔を見ると、やはり嬉しさが勝ってくる。
「レリィの母上はどんな方?すごく社交的だって聞いたけど。」
「うーん、そうね・・・。」
しばらく考えて、レイリアはゆっくりと口を開いた。
「・・・外に出るのが好きで・・・人と話すのが好きで・・・噂話が大好きで・・・知らない間に相手の弱みを握るのが得意な人。」
「・・・・・・・・・へえ・・・」
レイリアから聞くだけに、末恐ろしい人な気がしてきた。ちょっと緊張したヴィトに気付いて、レイリアはぎゅっと手を握って微笑んだ。
「大丈夫よ、ヴィト。根は優しい人だから。ね!」
するとヴィトの目線が泳いだ。何か不安になるような事を続けて言ってしまっただろうかと、レイリアが覗き込む。
「あの、ヴィト?」
覗き込まれて逃げ場がなくなったヴィトは、足が止まった。そうすると当然、レイリアの足も止まる。
「ヴィト?」
思わずレイリアの肩を掴んでそれ以上距離が縮まらないようにして、ヴィトは声を絞り出した。
「れ、レリィ・・・」
掴んでからしまったと思った。これじゃあ離れられない。
「どうしたの?」
相変わらず握られた手が熱を帯びて、レイリアの眼差しがすぐ近くにあって。
ついでに、じっと見つめられて。
「・・・・・・」
人通りが多いにも関わらず、そんな目気にしなくてもいいか、と自分が囁く。
「あの、ヴィト?具合でも悪くなった?目眩でもする?」
そんな理由があってもいいかもなぁ、なんて思って。掴んだ肩をちょっとだけ引き寄せた。
「レリィ・・・」
「レリィ!」
え?
そう思ったのはヴィトだけではないらしく、レイリアも驚いて声の主を探していた。
(・・・誰だ、呼んだの。)
ほっとしつつも若干機嫌が悪くなったのは仕方ないだろう。見渡す先に、どこか見た事のあるような男がいた。
(男?)
まさかと思って見つめる先で、男はどんどんこちらに近づいてくる。セティエスには及ばないが中々の美丈夫だろう。
「レリィ・・・?」
「あ、うん。あの人はね・・・」
(知り合い?)
誰だそんな知り合い。人目がなければ睨み殺してやるのに。なんて思っている間に、男は目の前まで来て、微笑んでレイリアの頭に手を置いた。
「久しぶりに見たら、随分綺麗になったなぁ。」
言われてレイリアは恥ずかしくて視線を逸らした。
「今日はイルア様が綺麗にしてくださったから・・・」
恥ずかしがるレイリアからするりと視線をヴィトへ向けて、その男は睨んできた。
特に、レイリアの肩に置かれた手と、つないだ手を。
「で、こちらは?レリィ。まさか誘いを受けてたわけじゃないだろう?」
ざわりとヴィトの攻撃性を逆撫でする。
「そんなわけないでしょ!兄さん、あんまり失礼な事言わないで!」
「・・・兄さん?」
聞こえた単語に目を見張った。
(どうりで見た事あるような気がすると思った・・・)
レイリアに似ていたのだ。
「じゃあこちらは、バルクス家の・・・」
すっかり我に返ったヴィトは、すぐにレイリアから手を離して、丁寧に頭を下げた。
「バルクス家侍従のヴィトと申します。」
「失礼致しました。私はレイリアの兄で、シェルキスと申します。伝書館で働いております。」
(伝書館・・・ああ、文書のやり取りをするところか・・・)
イルア達は侍従を使って文書や物のやりとりをするので、使うのは庶民ばかりだ。
「今日はどうして街へ?」
「イルア様が暇を下さって、今、おばさん達に挨拶に行ってきたところなの。それでこれから、家へ行くところ。」
話すレイリアはとても楽しそうで、兄だと分かっていても若干嫉妬してしまう。そんな自分に、苦笑した。
(なに嫉妬してるんだか・・・)
レイリアは、誰のものでもないのに。
レイリアの実家は街の隅っこにあった。大きな通りを離れ、喧噪から逃れたところにある。
途中出会ったシェルキスは昼休憩へ出ていたようで、挨拶が済むとすぐに帰っていった。どうやらレイリアを見つけて声をかけただけのようだ。
(良かった・・・気付かれてなくて。)
一人ほっとするヴィトをよそに、レイリアは嬉しそうに自分の家の扉を開けた。
「ただいま、お母さん!」
すごくわくわくした声が聞こえて、その表情がすごく見たい衝動に駆られる。だが、先程の事もあり、冷静に踏み止まった。
レイリアが家の奥へ駆けていく。ヴィトは追いかけるわけにも行かず、取りあえず家の扉を閉めて、その側へ佇んで待つ事にした。
ほどなくして家の奥からレイリアと、すっきりとした目鼻立ちの女性が現れた。いかにも洞察力がありそうで、少々きつい印象を受ける。
その女性—レイリアの母親は、ヴィトを見るなり目を見張った。
「レリィ!お屋敷でお婿さん掴まえたの!?」
「「えっ!?」」
息ぴったりに慌てて、二人して大急ぎで弁解した。
「ち、違うのお母さん!ヴィトは同僚だから!」
「そうですよ!レリィには・・・」
殿下がいる、そう言おうとして慌てて口を噤んだ。
「今日はヴィトの手が空いてたから一緒に来てくれたの!」
レイリアが捲し立ててくれたのでほっとしていたら、母親の目がきらりと光っていた。
(うわっ)
兄の時とは違い、背筋が凍る様な目だった。
「分かったわよ、レリィ!そんなに捲し立てなくても〜」
「お母さんが勘違いするからでしょ!」
ヴィトの本能が、この母親は危険だと察知した。
レイリアの母親は、庶民にしておくのが勿体ないくらいに情報網が広く、それを有効に活用出来る人だった。
実際、若い頃には城からの誘いもあったらしいが、レイリアの父親と出会い、迷いなくその話しを蹴って、結婚したらしい。
「父さんは優しいけど鈍感な人でね。私が“城には行かないわ。あなたと結婚するから”って言うまで気付いてもいなかったのよ、私の気持ち!」
と、涙ぐんで笑いながら言っていた。
そして帰り際、ヴィトの肩を掴まえて囁いた言葉に、ヴィトの中でレイリアの母親は、超危険人物に加わった。
「レリィは人気があるみたいですね?私の情報網を甘く見ていると痛い目に遭いますよ。そう、狙ってる方々にお伝え下さいな。」
「・・・・・・・・・」
レイリアの実家を離れ、ヴィトはぐったりしていた。
(精神的に疲れた・・・これならイルア様にいびられてる方が楽だ・・・)
心無しか足取りが重い。
「ヴィト、大丈夫?ごめんね、話し始めると止まらないから・・・」
(そういう事じゃ、ないんだけどな)
しかし、レイリアを落ち込ませたまま帰ったら、イルアにどんな目で見られるか。
「大丈夫だよ、レリィ。優しい方だっていうのは、ちゃんと分かったから。」
(賢い方みたいだから、無駄に敵をつくるような真似はしないだろうな。)
心の声を抑えて言うと、レイリアの顔に笑顔が戻った。
「そう?良かった!」
(ああ・・・)
この笑顔が見られれば、それで。
(疲れてもいいや。)
そう、思えるのだ。
街外れから、イルアの屋敷がある奥までの間に、貴族達が利用する店の並びがある。そこまで戻ってきて、レイリアとヴィトは人ごみに揉まれていた。
「なんだか、もう夕方になるのにすごい人だね・・・」
しっかり手を繋いでいないと、すぐにはぐれて、流されてしまいそうだ。
「今日は夜市があるからじゃないかな。特殊な商品が並ぶから、それが目当てだと思う。」
「そう・・・なんだ・・・」
こうして歩くだけでも結構疲れる。ヴィトはレイリアの手を引いて、人ごみを逃れて細い路地へ入った。
「ふぅ・・・」
「すごいね。」
人ごみを背に、ヴィトはレイリアに笑いかけた。と、その時。
とん、と軽く押され、ついでにぱたり、と何かが落ちる音がした。わずかに振り返ると、かなりの美貌を持った男が通り過ぎるところだった。
「ああ、すみません・・・」
すぐに人ごみに紛れてしまったものの、足下に落ちている財布が男のものだと気付いて、声をかけようとした。
「あ・・・!?」
一瞬だった。
財布を拾うためにレイリアの手を放した。
その、一瞬。
「レリィ!?」
レイリアとは違う気配がして振り返ると、いなかった。すぐに五感を研ぎ澄まして気配を追う。
(あっちか・・・!)
細い路地を曲がると、人目に触れないようにしながら、その優れた身体能力を使う。
影を走り、屋根を伝い、確実に後を追う。しかし、相手も同じ様な速さで逃げていく。
(どうして・・・)
いくら鍛えたとしても、ヴィトの―獣族の能力には及ばない筈だ。それなのに相手は、多分レイリアを抱えた状態であるのに、ヴィトと同じ様な速さで動いているのだ。
(こっちだ・・・!)
屋根を降りて角を曲がる。
「!?」
そこに、一人の男が倒れていた。
「バーレク!」
男は地面に倒れていて、その左足からは、ひどい量の血が流れていた。
「バーレクさん!どうしたんですか!」
さっと辺りを伺うものの、すでにレイリアを拉致した何者かは遠くへ去ってしまった。レイリアを追いたいものの、声をかけた手前、放っては置けない。
男は、イルアが受け持つ擁護院にいる、バーレクという男だった。あまり擁護院には行かないヴィトが、唯一見知っている男だった。
(レリィ・・・!早く知らせないと・・・!)
「バーレクさん!」
バーレクはぐったりしていた。意識がないのだろう。元々悪くしていた左足は、多分、使い物にならないくらいの怪我を負っている。
(バーレクさんのいる擁護院はここから遠い筈だ。この人が一人でここまで来られるわけがないし・・・)
考えを巡らせながらその傷を見て、ヴィトは、心臓が鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
(・・・一体・・・どういう事だ・・・)
目眩がする。
それは、まるで自分が付けたかのような・・・獣に抉られたかのような、傷だった。