第二十三話 愛しい想い
それから三日後。今度はレイリアを連れて、イルアは再び登城していた。今日のお供はヴィトだ。
「それじゃあレリィ、多分中庭にいらっしゃると思うから、行って差し上げて。」
「はい!」
笑顔で返事をして、レイリアは中庭へと入っていった。その背を見送り、イルアはヴィトを連れて行く。
「ほら、行くわよ。」
「・・・はい。」
ちょっと不服そうなヴィトの顔を覗き込んで、イルアはにやりと笑った。
「なあに?心配?」
「えっ、何がですか?」
きょとんとするヴィトに、にこりと笑って囁く。
「殿下がレリィを押し倒さないか、よ。」
「・・・それはさすがに・・・」
ない、と言おうとして、初めてユーセウスに出会った時の事を思い出す。あの時、はっきりとは分からなかったが、二人して地面に座っていたような気がする。しかも、距離が近かったような。
黙りこくったヴィトを見て、イルアはにやりと笑みを深めた。
「心配よねぇ。ヴィトが押し倒したいくらいだものね?」
「なっ、ち、違いますよイルア様!」
「あらそうなの?」
全く信じていない様子で笑われて、ヴィトはがっくり肩を落とした。
(わあ・・・すごい。季節によってこんなに景色が変わるのね・・・)
この城の庭師には尊敬する。いつも綺麗に整っていて、四季の花々が移ろう。
(あ・・・そうだ、ルセ様を捜さなくちゃ。)
きょろきょろと見回すと、ふわりと白い物が目の前を横切った。
「あ!」
それは、ユーセウスのセレイン・ドゥールだった。
「ララ・・・ルセ様はどこ?」
ララは宙を滑るように、しかしゆっくりと飛んで、レイリアを振り返る。
(ついていけばいいかな・・・)
ララに合わせてゆっくりと足を進める。
(あ・・・)
ユーセウスはすぐに見つかった。彼は、低木に囲まれた巨木の下で眠っていた。
(・・・珍しい・・・疲れていらっしゃるのかな。)
そっと歩み寄って、側へ腰掛けた。そんなレイリアの気遣いなど目に入らないのか、ララがユーセウスの顔に降り立った。
「あっ・・・」
(ララ!そんなところに降りたら)
「ん・・・」
案の定、起きてしまった。
「あっ・・・」
「ん・・・?」
深い青の瞳がぼんやりこちらを見つめた。ララを取り上げようとしていた恰好のままで、レイリアは固まった。ララがふわりと飛んでいく。と、ユーセウスが目を見開いた。
「・・・レイリア・・・?」
呼びかけがどこか弱々しく、瞳はまだぼんやりしているような気がした。
(びっくりして夢だと思ってらっしゃるのかな・・・)
レイリアは少し迷った後、なんだか気恥ずかしくて、はにかんだ。
「はい。あの・・・ご、ご心配おかけしま——」
イルアから、ユーセウスには相談したという事を聞いていた為そう言ったのだが、ゆっくり伸ばされた指がレイリアの頬に触れた途端、ユーセウスが飛び起きて、気付けばぎゅっと抱きしめられていた。
「あ、の、ルセさ・・・」
「・・・・・・っ」
それは、掻き抱く、という程強い抱擁だった。バルクス家に戻ってすぐにイルアにされた抱擁に似ている。
(あ・・・そうか・・・)
ユーセウスも、同じくらい心配してくれていたという事だ。だからレイリアも、その背にそっと腕を回した。ぎゅっと、応えて。
「・・・あの・・・すみません、ご心配おかけして・・・」
ユーセウスが震えているような気がして、レイリアはちゃんと声が届くように、その耳元へ囁くように声を絞り出した。
「レイリア・・・」
それに応えるように、ユーセウスの小さな声がレイリアの耳をくすぐった。ざわりと首筋が震える。良かった、と消え入りそうな声が聞こえて、ああ、本当に心配させてしまったんだな、と思う。それと同時に、これほどまでに案じてくれていた事が、涙が出るくらい嬉しい。
(ルセ様・・・)
胸がじんわりあったかくなる。それを手放したくなくて、レイリアはじっと身体を預けていた。
どれくらい経っただろうか。ユーセウスはようやく掻き抱く腕を緩めた。しかしそれは僅かで、やっとお互いの顔を見られる程度だ。
間近でじっと目を見つめられ、レイリアはどうしたらいいのか分からず、取りあえず、ここにいますよ、という思いを込めて微笑んだ。するとユーセウスの表情も綻んで、久しぶりに見る事が出来た笑顔にほっとした。
「・・・おかえり。無事だね?」
おかえり、と言われてちょっと気恥ずかしくなってしまう。
「はい、大丈夫です。あの・・・た、ただいま戻りました・・・」
その台詞に、くすりと笑ってユーセウスは頷いた。
「うん。おかえり・・・」
じっと目を見つめられ、いたたまれない。そして、腕は緩められる気配がない。これだけ間近にユーセウスの顔があると、それ以外のものがあまり見えない。しかも、なんというか、座った状態で上半身だけ思い切り引き寄せられているので、ユーセウスに体重をかけるしかないのが、心苦しいし心許ない。
「あ、あの・・・」
「うん?」
あれだけ心配してもらっておいて、離して下さい、とは言い辛い。結局笑ってごまかすだけになった。
「レリィ」
「!・・・は、はい・・・」
初めて愛称で呼ばれた気がする。イルアがそう呼んでいるから、移ったのだろうか。呼んだままじっと見つめるユーセウスに戸惑っていると、そっと、レイリアの頬に自分の頬をあてがい、ユーセウスが囁く。
「本当に良かった・・・無事に戻ってきて・・・」
「・・・はい・・・ご心配、おかけしました・・・」
多分、顔は真っ赤なんじゃないだろうか。そして心臓が大きな音を立てているのがユーセウスに伝わっていないか心配だ。
「あ、あの・・・!」
「ん?」
心臓がもちそうになくて、やっぱり言おうと決意する。
「その・・・ルセ様に思いっきり体重がかかってしまって、申し訳ないので・・・」
離して下さい、とはやっぱり言えなかった。すると、くすりと笑われた。吐息が耳にかかってくすぐったい。
「・・・つらい?」
「え?」
なんの事かよく分からずに聞き返すと、そっと頬が離れた。そしてまた、間近で見つめ合う形になる。
「こうしているのは、つらい?」
(・・・・・・あ!体勢の事?)
思いついて、慌てて言葉を探す。
「いえ、あの、そうではないです。それは大丈夫なんですけど・・・!」
「じゃあ、ごめん。このままで。」
「えっ、あ、あの・・・」
戸惑っている間に、こつん、と額を合わせられた。するともう、身動きが取れないどころか何も考えられない。
目の前に深い青色の瞳がいっぱいにあって、その色が深く優しくて、落ち着くような、ざわめくような気分になる。鼻先が触れ合いそうだ。そして、吐息が。
わずかに、ほんのわずかに、回された腕がレイリアを引き寄せる。
(・・・ルセ、様・・・)
なんでこういう状況になっているんだろう?と場違いにも考えた。
「あ、ララ!殿下は!?」
「「!」」
びくっ、とお互いの身体が跳ねた。
咄嗟に回りを見回すと、向こうにウィルの頭が見える。幸いこちらは見えないようだが、時間の問題だ。
「・・・残念。」
諦めたように笑うユーセウスに、レイリアはどことなく不安になった。
「ルセ様・・・?」
するりと腕が離れた。距離が空く。
「俺はこれからしばらく子城にいるから、用がある時は子城においで。」
「あ・・・は、はい!分かりました!」
慌てて頷くと、くすりと笑われた。
「イルアの様子はどう?」
「あっ、お元気ですよ!傷も大分良くなったようですし・・・セティエス様は、まだ本調子じゃないみたいですけど・・・」
「そっか。なら、ひとまず良かった。」
笑いながらユーセウスが振り向くと、丁度ウィルが低木をかき分けてこちらへ来ているところだった。
「ユーセウス様!陛下がお呼びですよ!」
ララを頭に乗せてやってきて、初めてウィルはレイリアがいる事に気付いた。
「あっ・・・、す、すみません!お邪魔してしまいましたか!?」
「大いにな。」
「「えっ!?」」
慌てふためく二人に笑って、ユーセウスは歩き出す。
「じゃあ、レリィ。また。」
「あ、はっ、はい!」
慌てて頭を下げる。それに微笑んで、ユーセウスはウィルを連れて去ってしまった。
(・・・・・・・・・び、びっっっっっっくりしたぁ・・・)
今更顔が熱い。手も熱い。身体も火照っているような。
(な・・・何が、どうしたんだろう・・・)
心臓がばくばくいっている。胸を殴られているような衝撃だ。
(し、心臓が・・・っ!)
破裂しそうで怖い。その場にじっと踞って、レイリアは自分が落ち着くのを待った。