第二十二話 それぞれの日常へ
はあ、とイルアは溜息を吐いた。
「お嬢様。」
すかさずセティエスが窘めるが、イルアは聞かなかった事にした。
「そろそろちゃんと考えなさいと言われてしまったわ。」
「・・・?」
瞬きするセティエスに、イルアはふっと力無く笑った。
「人生のパートナーというやつよ。」
「・・・お嬢様・・・一体どこでそんな言葉を?」
呆れるセティエスには目もくれず、イルアは一路、エルフィアがいるであろう鍛錬場を目指していた。
「分かってはいるのだけど・・・跡継ぎが必要だというのは。」
「・・・・・・」
バルクス家という貴族の跡継ぎというよりは、レーヴェという職の跡継ぎが。
「でもねぇ。誰かを子供が欲しいと思う程好きになるなんて、想像もつかないわ。」
「お嬢様。せめて馬車の中か屋敷内にして下さい。そのような発言は。」
すぅ、と目を細めたセティエスに、イルアは慌てて頷いた。
「わ、分かってるわ!」
「ならいいのですが・・・」
尚も睨んでくるセティエスから視線を逸らすと、丁度良くシールスを発見した。
「シールス様!」
「お嬢様!」
駆け出したイルアにすぐさま叱責が飛ぶが、イルアは聞こえない振りだ。まだセティエスの腹部の傷が治り切っていないのを良い事に、追いつけないのが分かっていてシールスに走り寄る。
「イルア嬢!どうされました?」
突然駆け寄ってきたイルアに驚き、シールスは何事かと目を見張っていた。
「お久しぶりです。エルフィア様をお探ししているのですけれど、ご存知ありませんか?」
“お嬢様”にあるまじき行動だったが、そんな事は知らないとばかりにイルアはにっこり笑いかけた。するとシールスも、にこりと笑う。
「それが・・・今まさに逃げられた後でして。」
「まあ、逃げられた?」
驚くイルアの後ろに、セティエスが追いつく。
「お嬢様、走るものではありませんよ。」
「はあい。気をつけるわ。」
肩をすくめて見せたイルアに、シールスは思わず笑った。
「イルア嬢は活発な方ですね。将軍と気が合うわけだ。」
「あら・・・」
活発、といわれてしまい、さすがに少し恥ずかしくなった。
「それで、逃げられたというのは?」
話しを逸らすと、素直にそちらに乗ってくれる。
「ええ。いつもの通りです。俺の隙をついていなくなったんですよ。」
「まあ。」
エルフィアが完全に楽しんでいるのが分かって、可笑しくなってしまう。
「エルフィア様も活発な方ですからね・・・それに、シールス様と相性がよろしいのでしょう。でなければこうして、からかうような事はなさいませんから。」
セティエスの台詞に、シールスが苦笑した。
「これが相性が良いという事なら、まあ、悪い事ではないですが・・・俺としては、もう少し部下の鍛錬に付き合って頂きたいですね。」
苦笑しておどけてみせるシールスに、イルアも笑ってしまった。
「お疲れさまです。」
言われてシールスがにこりと笑う。
「ありがとうございます。・・・さて、イルア嬢の為にも将軍を見つけなくてはいけませんね。」
「あら、お手伝いしますわ。」
「いえ、イルア嬢のお手を煩わせるわけにはいきません。将軍に怒られてしまいますから。」
「あら・・・」
苦笑するイルアに、シールスは悪戯っぽく笑いかける。
「それに、イルア嬢がお探しだと言いふらせば、ご自分から出ていらっしゃるでしょう。」
その台詞に笑いながら頷いた。
「それではイルア嬢、今日はこれで。」
「ええ。」
走り去っていくシールスを見送って、イルアとセティエスは顔を見合わせた。
「さて、如何致しましょう?」
「そうねぇ。・・・まあ、エルフィア様にお会い出来るまでふらふらするしかないわよね。」
「そうですね。」
くすりと笑い合って、二人は歩き出した。
「それで、話というのはなんだ?」
イルアが退室した後、入れ替わるように入ってきたのは息子であるユーセウスだった。その表情から、何か大きな決意の元でここへ来たのだと悟る。
「・・・イルアの事です、父上。」
「・・・・・・」
王はじっとユーセウスの目を見つめた。それは揺るがず、王の目を見つめ返している。
「レーヴェの事か?」
「・・・それもあります。」
も、という事は、イルア自身についても何か思う所がある、という事だろう。
「まさか、娶る気が起きたのか?」
冗談まじりで言った言葉に、ユーセウスはじっと黙って王を見ていた。
「・・・本気か?」
王は思わず目を見開いた。
「ただいまー!」
元気の良いイルアの声が聞こえて、夕食の仕度をしていたレイリアはヴィトと共に玄関に駆け寄った。
「お帰りなさいませ!」
「ただいま!」
扉を開けて笑いかけると、イルアはすぐにレイリアを抱きしめた。
「うーん、レリィは可愛いわ!癒される!」
「そ、そんな事ないです、イルア様・・・」
照れるレイリアに笑って、セティエスは外套をヴィトに渡した。
「リュミエルの様子は?」
「傷口は塞がりましたが、まだ動き回ると危ないようです。」
「・・・そうか。」
ちらりとレイリアを振り返る。彼女を守る為、リュミエルは深い傷を負った。その傷は、レイリアの、主としての責任感を強くした。
「・・・仕方のない事だが、どんどんレリィをこちら側へ引っ張ってしまうな。」
「・・・そうですね・・・」
リュミエルを従えられるようになれば安心ではある。だが、それと同時にレイリアはますます“普通”ではいられなくなる。
「でも、セティエス様。」
ヴィトの声音が柔らかく、セティエスは少し驚いてヴィトを見つめた。
「レリィはそれで良いと言ってくれています。・・・変わる事で俺たちと経験を分かち合えるなら、その方が幸せだと。」
「・・・そうか・・・」
再びレイリアに目を向ける。と、何やらイルアに押されてこちらへ来ていた。
「どうしたんだい?」
ちらりとイルアを見ると、にっこり微笑まれる。と、レイリアが意を決したようにきりりと目を合わせてきた。
「あ、あの!」
「?」
イルアに何事か囁かれ、ヴィトが目を丸くしたのが見えた。
(なんだ?)
「ありがとうございました!」
「・・・!」
そう言って、レイリアはそっとセティエスに抱きついた。傷に触らないように、そっと。遠慮がちな抱擁に、ぞわりと背筋が震える気がした。
「レリィ・・・」
見ると、耳まで真っ赤だ。
「お嬢様・・・一体何をおっしゃったんですか?」
するとイルアはにっこり微笑んだ。
「あら、公平に、と言っていたじゃないの。だから。」
「・・・・・・」
セティエスが困るのを楽しんでいるわけだ。それに気付いて、セティエスはわざとレイリアを抱きしめ返した。
「っ!セ、セティエス様・・・!?」
慌てて離れようとしたレイリアを逃さず、ぴったり抱き寄せる。
「セティ!」
にっこり笑顔から一転、むくれるイルアに極上の笑みを贈る。
「公平にさせて頂けるのでしょう?では、これくらいは許されますよね?」
「駄目よ!男は駄目!」
「セ、セティエス様・・・!」
胸元から頼りない声が聞こえて、セティエスは覗き込んだ。
「なんだい?嫌?」
「っ・・・!」
間近で囁かれ、レイリアは真っ赤になりながら必死に首を横に振った。
「レリィったら!そこは思いっきり縦に振るところよ!」
「イルア様・・・」
ヴィトが苦笑するしかない。元々イルアが蒔いた種だ。
くすくす笑うセティエスからレイリアを奪還して、イルアはレイリアにまた抱きついた。そんなイルアを放置して、セティエスはヴィトへ向き直る。
「さて、夕食にしよう。ガイアスを呼んでくるよ。」
「あ、は、はい。」
慌てて準備を再開したヴィトを見て、レイリアも慌てて飛んでいく。その後ろ姿を見つめながら、セティエスはむくれたイルアに囁いた。
「いつも通りですね。」
「!」
驚いて隣を見ると、穏やかなセティエスの微笑みがあって。
「・・・そうね。」
レイリアとヴィトが談笑しながら夕食を作っている。その様子を見ていると、心がじんわりあったまって、ほっとする。
「・・・レリィがバルクス家のお嫁さんになってくれるといいわよね。」
「バルクス家の、ですか?」
怪訝そうに聞き返すセティエスに、イルアはくすりと笑う。
「別にセティでもガイアスでも、ヴィトのお嫁さんでもいいけれど、」
言った途端に台所から派手な音がした。
「わっ!ヴィト大丈夫!?どうしたの!?」
「だっ、大丈夫・・・ちょっと手が滑っただけだよ。」
ごまかしてはいるが、あの耳にはしっかり聞こえていただろう。
「でもそうなるとレリィが私にべったりしてくれなくなっちゃうじゃない?だから、バルクス家のお嫁さんがいいわ。」
「・・・お嬢様・・・」
くすくす笑うセティエスに、イルアも一緒になって笑う。
「ずっと一緒にいて欲しいわ。・・・というか私が男なら良かったのに。」
「お嬢様が男性でしたら、私はきっと仕えていなかったでしょうね。」
意外な台詞に、つい目を丸くしてしまう。
「そうなの?」
セティエスはくすりと笑って頷いた。
「ええ。そうなのですよ。」
「・・・それって、あまり理由がないように聞こえるのだけれど。」
なんとなく拍子抜けした感じのイルアに、セティエスは小さく笑った。
「あのアウル様のご令嬢だったから、すぐ側で助けたいと思ったのです。」
セティエスの目にはきっと、父・アウルの姿が鮮明に映っているのだろう。
「・・・セティ・・・」
アウルが亡くなったのは、イルアが十三の時だった。それからもう十年近く、セティエスはバルクス家にいて、ずっとイルアを見守ってくれている。
「・・・ありがとう。」
本日二度目の感謝の言葉に、セティエスは一瞬きょとんとした。だが、すぐに柔らかな笑みで応えてくれた。
「・・・水臭いですよ、お嬢様。」
「いいの?セーヴィ。」
セーヴィアス達はバルクス家が遠くに見える場所にいた。どこかの貴族の屋敷の屋根で、どうも警備が薄いらしい。
「・・・ああ。ラヴィとロシルは連れていけないしね。」
「・・・・・・」
ラヴィアスは憮然とした顔でバルクス家を睨みつけていた。全身包帯だらけで、痛々しい事この上ない。
「ラヴィ。」
セーヴィアスに呼びかけられ、ぶすっとしたまま目線だけ向ける。
「これ以上お前が無茶をするようなら、僕はお前を受け入れられないよ。」
「・・・・・・」
ふいっ、と顔を逸らされる。それは、セーヴィアスから離れたくはないという意思表示だ。
「・・・あの女は気に食わない。」
ロシルがぽつりと言った。それに、セーヴィアスは苦笑する。
「でもロシル。君もイルアと共にいれば、人と変わらない生活が出来るかも知れないよ。」
「・・・それは、意味があるのか?」
心底不思議そうに首を傾げられる。
「ヴィトと言ったっけ。あの獣族と同じ場所で生きたいとは思わないのかい?」
すると、さらに首を傾げた。
「・・・セーヴィ達の方が良い。」
「!」
驚いて、嬉しくなって、セーヴィアスは思わずロシルの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「やめろ!」
嫌そうにするロシルに謝って、セーヴィアスはもう一度バルクス家を見つめた。温かい灯りが、イルア達の幸せを物語っているようだ。
「・・・今度は、物を売りに行ってみようか。」
暗殺者としてではなく、お互い、表の顔で。
「その時はあの獣に一服盛ってやるよ。」
「・・・・・・」
「あの女に毒虫でも売ってやる。」
「・・・・・・」
穏やかな関係をぶち壊そうとする二人の発言に、セーヴィアスはにこりと笑ってやった。
「なんだって?」
「「な、なんでもない!」」
慌てて首を横に振る二人を見て、リリィは小さく溜息を吐いた。
「・・・レイリアのお茶、美味しかったな。」
ね、とランセルに話しかけると、グルル、と同意を示された。
「さて、行こうか。」
バルクス家に背を向けて、セーヴィアスは三人に笑いかけた。
「僕たちも今まで通りだ。旅を続けよう。」