第二十一話 大切なもの
「ラヴィ!」
駆け込んだ先には、やっとの思いで立ち上がったラヴィアスがいた。イルア達が連れてきたシューグは、ラヴィアスを傷つける気はないらしく、じっと、ラヴィアスの動きを制限するように対峙していた。
「・・・セー、ヴィ・・・」
どこか虚ろにシューグを睨んでいた目がセーヴィアスの姿を見つけると、糸が切れたかのように、ラヴィアスは崩れ落ちた。
「ラヴィ!」
駆け寄って抱き起こすと、ラヴィアスの瞼は閉ざされていた。ぞっとして、震える手で脈を計ろうとする。と、リリィがそっと代わってくれた。
「・・・大丈夫。弱ってるけど、生きてる。」
「・・・っ!」
抱きしめたい衝動を必死に堪えて、セーヴィアスは慎重にラヴィアスを抱え上げた。ふと視線を巡らせると、シューグが役目を終えたとばかりに悠然と去って行くのが目に入った。
(・・・ラヴィを見張っていてくれたのか。)
目礼して、セーヴィアスはリリィに笑いかけた。
「・・・帰ろう、リリィ。ラヴィを助けないと。」
「うん、分かった。ロシルは連れてくから、セーヴィは先に行って。」
「ああ、任せたよ。」
「・・・うん。」
僅かに、リリィが微笑んだ。その頭を撫でて、セーヴィアスは慎重に走り出した。
「・・・あの子が来るよ。」
ヴィトの声を聞いてガイアスはほっとした。人慣れしていない獣族は、ヴィトの時だけで十分だ。
少女は特に警戒する様子もなくすたすたと二人のところへ来ると、ぺこりと頭を下げた。
「ロシルをありがとうございました。」
「「・・・・・・・・・」」
無表情。
棒読み。
あからさまに心の籠っていない台詞に、どう反応したものかと固まってしまった。少女はそんな様子にも興味がないのか、そのままロシルの襟首を鷲掴みにした。
「「!?」」
ガッ!
という効果音が合うんじゃないだろうか。
そして。
「ロシル起きて。セーヴィ追いかけるから。」
「「・・・・・・・・・!」」
無表情で、少女はロシルを激しく揺さぶった。その勢いが半端ない。首を痛めそうな程。ロシルの顔ががくがく揺れて残像が見える。
「起きて。早く!」
「・・・っ、う・・・」
「ロシル!」
無表情だが、今、少女の目には明らかに苛立ちがあった。それも、殺気を伴って。
「!!」
はっとロシルが目を覚ました。どこか慌てている。
「「・・・・・・」」
ヴィトとガイアスが見守る中、ロシルは自分を殺気まみれで睨んでいるリリィを見つけると、何故かほっとした様子で眠そうに瞬きした。
「なんだ、リリィか・・・」
「じゃあ、帰ろ。」
「ん。」
「「・・・・・・」」
何故、そうなる。
唖然としている二人に、リリィとロシルは深々と頭を下げた。
「「さようなら。」」
「「・・・・・・・・・」」
そして、くるりと踵を返して二人は去って行った。
「「・・・・・・・・・」」
空はまだ闇が包み、暁は地平線の向こうでその姿を顰めている。
「・・・なんだったんだろうね・・・」
ぽつりと零れたヴィトの呟きは、静かな夜に消えていった。なんだか、嵐のような一夜だった気がする。
「・・・俺たちも帰るぞ。」
走り寄って来たガディスの額を軽く撫で、ガイアスがその背に跨がる。
「・・・そうだね。レリィも帰ってきた事だし。」
走り出したガディスの背に慌てて飛び乗って、ヴィトはガイアスに思いっきり背を預けた。
「おい!」
「少しくらい我慢しろよ。俺は怪我人なんだよ。」
「てめぇ!調子に乗りやがって!」
怒っているのに預けられた背を拒否しないガイアスに、くすりと笑みがこぼれる。
(やっぱりガイアスって根は優しいんだよな・・・。だからイルア様にいじられるんだろうけど。)
景色が後ろから前へと走り去っていく。さっきまでここに、ヴィトの同胞がいたのだ。
(・・・どうって、言われてもな。)
人とは違う気配。ずっと前に消えた、仇への怒り。
(・・・懐かしいっていう感じかな・・・。)
けれどロシルは、自分とは違う。
(俺にとってイルア様は・・・)
仇ではなく、光りだ。
レイリアがバルクス家へ戻ってすぐ、イルアがレイリアを抱きしめて離さなかった。それに感動して、レイリアもしっかり抱きしめ返していた。ずっとそのまま抱き合っていたのだが、しばらくしてセティエスが苦笑しながらイルアを引き離した。
数時間後、無事にヴィトとガイアス、ガディスが戻ってきた。イルアとセティエスは怪我が酷く、すぐにヴィトとガイアスの手当てを受け、部屋で安静となった。そして、ヴィトも自分で怪我の手当てをしようとして——泣きそうになりながら懇願されて、レイリアに手当てされた。
泣く寸前で堪えながら手当てするレイリアと、痛みも感じない程緊張して手当てを受けるヴィトを、ガイアスは遠目で見ながら夜食を食べ、寝た。
(はあ・・・しょうもねぇな、あいつら・・・)
そんなガイアスの部屋に無理矢理押し入って、ガディスが満足そうに寝ていた。もちろんレイリアの部屋にはリュミエルが。こちらは二人寄り添って。
こうしてようやく、バルクス家に平穏な夜が訪れたのだった。
「セーヴィ?」
小さな光が灯してある部屋を、リリィがひょこりと覗く。
「リリィ・・・まだ起きてたのか。」
リリィはとことこ入ってくると、セーヴィアスの隣に腰掛けた。そこから椅子を動かしてぴったりくっついてくる所が、可愛らしい。
「ラヴィはどう?」
セーヴィアスの前には、ぐっすり眠り込んでいるラヴィアスがいる。
「一週間は安静に、って言われたよ。」
そっとラヴィアスの額を撫でた。痛みは感じていないらしく、寝顔は穏やかだ。
「・・・無茶をさせたな・・・」
苦笑すると、リリィが腕にそっと手を添えた。
「ラヴィが変なだけ。」
その台詞に思わず笑ってしまう。
「変、ね。」
そう返すと、リリィは力強く頷く。
「だから、大丈夫だと思う。」
「・・・そうか。」
そっとリリィの頭を撫でた。途端に僅かながら嬉しそうに口元が緩む。
「・・・ありがとう、リリィ。我慢してくれて。」
「・・・セーヴィの言う事だもん。絶対に聞く。」
真っ直ぐな言葉に、胸が温かくなる。
こんな風に側にいてくれるから、笑っていられるんだと、セーヴィアスは改めて思った。
あれから一週間後——。
イルアは登城の仕度を整えて、セティエスと共に屋敷の玄関に立っていた。
「それじゃあ行ってくるわね。」
「はい、行ってらっしゃいませ。」
にこやかに振り返ったイルアに、ヴィトはしっかりと頭を下げた。
「イルア様・・・もう大丈夫なんですか?」
不安に思ってそう聞くと、イルアはきょとんとした後、思いっ切り抱きついて来た。
「わっ!」
「レリィったら!もう大丈夫よ。」
「イルア様・・・」
温もりが嬉しくて、レイリアも抱きしめ返した。そんな二人にセティエスが声をかける。
「お嬢様、レリィ。もう十分では?ここのところべったりですよ。」
するとちょっと恥ずかしそうにしたレイリアに比べ、イルアは自慢げにセティエスを振り返る。
「足りないくらいよ!出来れば四六時中一緒にいたいのに!」
「・・・イルア様!」
感動するレイリアを見ると、セティエスもヴィトも苦笑するしかない。それでも、セティエスはイルアを引き剥がして玄関の外、馬車へと連れて行く。
「お気持ちはよく分かりました。ですが今日は王城へ参りましょう。きちんと陛下にご報告しなくては。」
「セティったら!・・・さては焼きもちね?レリィとべったりしたいからって八つ当たり?」
「イ、イルア様・・・!」
真っ赤になっておろおろするレイリアに向かって、セティエスはにっこり笑いかけた。
「そうですよ。お嬢様ばかりでは猾いではないですか。・・・こういう事は皆公平に、ね?」
「えっ・・・え?は、はい・・・!」
「レリィ!真面目に答えなくていいから!」
セティエスのにこやかな台詞に流され、思わず頷いたレイリアを、ヴィトは慌てて自分の後ろへ引っ張った。
「あらぁ?ヴィトも嫉妬?」
「・・・イルア様・・・」
からかわれてげんなりするヴィトに笑って、イルアはようやく屋敷を後にした。
王城へ向かう馬車の中、イルアは名残惜しそうに屋敷を振り返っていた。
「・・・お嬢様。」
苦笑するセティエスに、イルアはむくれて見せる。
「分かっているわよ。・・・でも、やっぱり怖かったのよ。」
「・・・・・・」
レイリアが戻ってくるまで、イルアはずっと怯えていたのだ。もし、もしも。レイリアが戻らないような事があったら、と。
「・・・お嬢様。」
セティエスはそっとイルアの頬に手を当て、馬車の椅子から腰を落とし、片膝をついてイルアの顔を覗き込んだ。
「・・・もう、大丈夫ですよ。」
「セティ・・・」
驚くイルアに笑いかける。
「レリィは我々と共にいます。貴女の側に。」
「・・・・・・」
そのまま頬を撫でられて、イルアは穏やかに笑った。
「・・・そうね。」
セティエスの手に、自分の手を重ねた。
「セティもね。」
ヴィトも、ガイアスも。
側で自分を見守ってくれる人達に気付いた。ずっとずっと、こんなに側にいたのにそれを見て来なかった自分が情けない。
「ありがとう。」
ありったけの感謝を込めてそう言うと、セティエスは嬉しそうに笑んだ。
「光栄です、お嬢様。」
ガタン!
「「!?」」
馬車が突然止まり、御者の慌てた声が聞こえた。
「わっ、ね、猫!?」
「「・・・・・・」」
猫が馬車の前を横切ったらしい。近くに妖しい気配はない、と冷静に判断した二人は、しかし目の前の状況にしばし固まってしまった。
馬車が揺れた。その拍子にバランスを崩したセティエスと、イルアの顔は間近にあった。お互いの唇が触れ合いそうな程近くに。
「す、すみません!お怪我はありませんか!?」
慌てふためく御者の声に、セティエスがさっと立ち上がって御者席に通じる窓を開けた。
「大丈夫だ。進んでくれ。」
「はっ!」
すぐに馬車は動きだし、イルアは大人しく馬車に揺られる。向かいに腰を降ろしたセティエスが問いかけた。
「すみません、大丈夫でしたか?」
「・・・ええ、大丈夫よ。」
お互い、動じた様子はない。それにお互いにほっとしながら、馬車では席を立たない方が良い、と心に刻み込んだのだった。
王城についてすぐ、イルアは国王の元へ向かった。怪我を負った為に一週間休みを貰っていたのだが、その理由は、質の悪い風邪、という事になっていた。
「もう良いのか?」
姿を見てほっとした様子の国王に、イルアはにこりと笑った。
「はい、もうすっかり。・・・ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。」
頭を下げるイルアに、王は溜息を零す。
「まったくだ。」
(・・・まさか陛下に嘘をつく日がくるとはね。)
イルアは苦笑しながら王を見つめた。
「問題はございませんか?」
休んでいる間に仕事はなかったかと聞くと、王は深く頷いた。
「今の所はな。時期が良かった、としか言い様がないな。」
「・・・本当に、申し訳ございません。」
再び頭を下げる。
「もう良い。・・・ところでイルア、療養中に誰ぞ見舞いには来なかったのか?」
妙な質問に首を傾げる。
「・・・いいえ、特には。・・・何かございましたか?」
すると王は呆れた顔だ。
「お前は疎いな。お前に求婚しようという者が増えていると聞くぞ。」
「・・・え?」
一瞬驚いた後、イルアは思わず笑ってしまった。
「まあ陛下!一体どこでそのようなお話を?」
「お前が疎いだけで、あちこちから聞くぞ。知っているか?他国でもお前に興味ある者がいるのだ。」
「まあ・・・わたくし、外交などはしておりませんのに。」
不思議そうに首を傾げるイルアに、王は苦笑した。
「年に二度のパーティーには出ておるだろう。」
「・・・ああ!けれど陛下、あまり外国の方とお話しした記憶はないのですが・・・。」
「イルア・・・お前は本当に、興味がなさ過ぎるぞ。」
そう言われて、イルアは困りきって首を傾げた。確かに興味はない。結婚だのなんだの、あまり考えようとも思えないのだ。
「踊りの相手くらいはしているだろう。」
ああ、とイルアは頷いた。
「けれど、それだけですわよ?」
それで一体何故、自分に興味が湧くのかと不思議になる。
その様子を見て、王は深い溜め息を吐いた。