第二十話 声よ、届け
動きの掴めないロシルを前に、セーヴィアス、イルア、セティエスは僅かに息を切らせていた。
「さすがは獣族ね・・・!」
こんな時でさえ笑みを浮かべるイルアに、セーヴィアスも苦笑する。
「感心している場合かい?」
そんなセーヴィアスを見て、セティエスが苛立ちを込めてにっこり笑う。
「ちゃんと躾はして頂きたいものですね。」
「・・・そうだな。」
軽く地面を蹴るだけで、セーヴィアスは一気にロシルの懐へ入った。間髪入れずに二回、回し蹴りをするが、一回目を防ぐとロシルはすぐに離れた。そこをセティエスが迎え撃つ。ぎりぎりと力比べをした途端にイルアが背後から、鞘に納まったままの剣で急所を打つ。
「ぐっ・・・!」
「避けるの上手いわね!」
さすがは獣族だ。半分程しか当たらない。しかも。
「お嬢様!」
「大丈夫よ。」
ただ避けるだけではない。しっかり反撃していく。剣を握るイルアの腕から、ぽたり、と細く血が滴り落ちた。
(血で剣が滑るのよね・・・なんとかしたいわ。)
セティエスに視線を送ると、すぐに察して動いてくれた。
「はっ!」
勢いを乗せて細やかに攻撃していく。獣族相手には、思い切り体重を乗せないと効かないのだ。しかしそれは消耗が早く、長時間の戦闘には向かない。
(こちらも無傷ではないからな。)
じわりと腹部から血が滲む。攻撃する度、動く度に激痛が襲う。その痛みに、セティエスの攻撃が一瞬緩んだのをロシルは見逃さなかった。ぎらり、と鷹のような目が光る。
(まずい!)
振りかぶった剣を易々と避け、横からロシルの爪が振りかぶられる。咄嗟に反応が遅れた。動きの取れない身体に合わせるかの様に、急激に回りの様子がゆっくり見えた。
動けない焦燥。迫り来る爪。この一瞬で死ぬという恐怖。
(っ・・・イルア様!)
強く主を求めた瞬間、横合いから飛んで来た何かにロシルが吹き飛ばされた。
「っ!?」
「遅くなりました!」
その声に、セティエスは不覚にも安堵した。
「・・・本当に、遅いぞ。ヴィト。」
「申し訳ありません!」
応えながらもヴィトはロシルへと走り出していた。
(すまない、ヴィト・・・お前に任せるしかないな。)
剣を握り、腹部の傷に耐えながらヴィトを見守るセティエスに、イルアとセーヴィアスが駆け寄って来た。イルアはドレスのリボンを切り裂き、手に巻き付けて剣が滑らないようにしていた。この為の時間は稼げたようだ。
「セティ!大丈夫?」
「お嬢様・・・少し応えますね。」
苦笑してそういうと、イルアはにこりと笑った。
「さすがのセティも形無しね。私もだけど。」
「そうですね・・・」
じっとりと汗をかきながらも耐えて立つセティエスを見て、セーヴィアスはロシルとヴィトに視線を移した。二人の闘いは、獣族を知らぬ者が見れば魔獣同士の闘いに見えたかも知れない。早さも、力も。人とは違うのだと見せつけられているようだ。
「・・・あの獣族が、君の従者か。」
「そうよ。」
どこか嬉しそうな声音に視線を移せば、イルアは誇らしげにヴィトを見ていた。
「獣族は敵でもなければ、相容れない存在でもないわ。・・・貴方だってそう思うでしょう?」
「・・・どうして僕が、そう思うと?」
真っ直ぐなイルアに少し意地悪で返すと、イルアは意味ありげに笑う。
「彼を見る貴方の顔で分かるわよ。・・・仲間であり、家族でしょう?」
「・・・・・・」
セーヴィアスの瞳が揺れた。きっと自分で感じるよりも、彼の存在を大事に思っていたのだろう。
(もっと戸惑えばいいのよ。私がそうだったように。・・・レリィを拉致して私を困らせたんだもの。)
意地悪く微笑んで、イルアは声を張り上げた。
「ヴィト!任せたわよ!」
レイリアを迎えにいかなくては。リュミエルが行ったのも気になる。
「はい!しかし例の少女がいます!お気をつけて!」
「分かったわ!」
ヴィトの台詞にセーヴィアスが反応した。
「・・・リリィ?」
「なあに?」
「「!」」
セーヴィアスの呼びかけに、予想もなく早い返事があって、イルアとセティエスは驚いて一歩飛び退った。少女には今、殺気がない。だから気がつかなかったのだろう。
「話は済んだよ。ロシルとラヴィアスを連れて帰ろう。」
「・・・でも、セーヴィ。ロシルは怒ってる。それに、ラヴィは死んじゃいそう。」
「・・・なんだって?」
セーヴィアスの顔色が変わった。溢れた殺気に、イルアはさっとセティエスと視線を交わした。
「さっき駆けて行った獣はシレイよ。レリィのシレイなの。」
「!・・・あの子が、シレイの主?」
「そうよ。だから・・・リュミーは今、もの凄く怒っているのよ。」
「っ!ラヴィならそれを増幅しかねない。・・・リリィ、ロシルを止められるかい?」
呼ばれて少女は一度瞬き、首を傾げた。
「無理。今、ロシルは怒ってるもの。・・・セーヴィと二人なら、出来ると思う。」
「・・・・・・」
そんな場合ではないのに、判断を躊躇ってしまう。ロシルも、ラヴィアスも大切だ。
失えない。
「・・・ここは任せるわ。あっちは私達が行くから。」
「!イルア・・・」
なお戸惑うセーヴィアスに、イルアはにっこり微笑んだ。
「彼の耳に届くのは、貴方達の声だけだと思うわ。」
「・・・すまない。ラヴィは闘いを好む。そして敗北を嫌悪している。・・・手間をかけさせるが、どうか助けてやってくれないか?」
その台詞に、イルアは目を丸くした後、くすくすと笑った。
「心外ねぇ。私ってそんなに酷薄に見えるかしら?最初から殺すつもりなんてないわよ。」
「・・・感謝する。」
セーヴィアスが頭を下げると、イルアとセティエスは走り出して行った。
ガイアスは砦の階段を駆け上がっていた。砦は五階建てで、リュミエルが飛び込んで行ったのはどうやら四階の中央部分だ。階段は端にしかついておらず、地道に行くしかない。
(よし、あと一階・・・)
階段はかなり急で、しかも狭い。月明かりもまともに入らない。音や感覚を頼りに駆け上がり、やっと四階へ到達した。一直線に伸びる通路は頼りない月明かりが小さな窓から幾筋も差し込み、目的の部屋はすぐに分かった。
「レイリア!」
呼び声に、びくりと大きく肩が跳ねた。そのレイリアの向こうでは、リュミエルと少年が傷だらけで闘っていた。
「ガイアス・・・!」
傍目にも震えているレイリアへ歩み寄って、ガイアスはその両肩を掴んで目線を会わせた。
「怪我は?」
「・・・私は、大丈夫・・・」
その目線がそろりとリュミエル達へ向く。無意識に一歩、後ずさる。そんなレイリアに、ガイアスは少し大きな声で言った。
「で、何をやってる。」
「・・・?」
震えは止まらない。きっとリュミエルが凶暴になっているのが理解出来ず、怖いのだろう。
「リュミエルの主はお前だろう!」
「っ・・・!」
レイリアの目がはっと見開かれる。震えが僅かに収まった。
「このまま放っておけば、リュミエルはあの子供を殺すぞ。」
「!」
「それでもいいのか?」
「・・・!」
途端に目に涙が浮かび、レイリアは必死に首を横へ振った。
「なら、止めろ。」
「でも・・・!」
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。それを拭う事はせず、ガイアスはレイリアに言い聞かせる。
「いいか、レイリア。リュミエルの主はお前だ。ああやって怒り狂ってるあいつが耳を貸すのは、唯一の主であるお前の言葉だけだ。」
「・・・・・・」
レイリアは、ごくりと唾を飲み込んだ。ごしごしと涙を拭い、ガイアスの目をしっかりと見返す。
「私なら・・・止められる・・・?」
ガイアスは小さく頷いた。
「大丈夫だ。やれ。」
じっとガイアスの目を見つめた後、レイリアはリュミエルへと向き直った。目の前で、リュミエルはラヴィアスを襲っている。
「ぐっ・・・!」
「ラヴィアス!」
リュミエルが振るった爪が、ラヴィアスの顔をかすめた。左目に当たったかも知れない。ぼたぼたと血が落ちる。
(怖い・・・!)
また後ずさりそうになったところに、後ろからそっと両肩に手が置かれた。そして、そっと耳元で、低い声がゆっくりとレイリアを奮い立たせる。
「ちゃんと見ろ。あいつはお前の為に怒ってる。」
(私の為に・・・?)
両肩に置かれた手から、じんわりと体温が伝わってくる。それが怯えを和らげてくれるような気がした。
「お前が大切で、守りたいから怒ってるんだ。」
(リュミー・・・!)
ぐっと両手を握りしめた。まだ震えている自分を、抑える為に。
「怯えるな。あいつの気持ちを汲んでやれ。・・・声は、届く。」
レイリアは小さく頷いた。リュミエルはただ凶暴になっているんじゃない。レイリアを守ろうとした結果なのだ。それを、怖がっていては駄目だ。
「ほら、やれ。」
その声に押されて、レイリアは息を大きく吸い込んだ。
「リュミー!!止めて!」
「!?」
リュミエルとラヴィアス、双方の動きが止まった。距離を取ったまま、しかし視線は外さない。
「もう大丈夫だから・・・!」
ぴくりとリュミエルの耳が動く。それを見てレイリアは二人の間へと走り込んだ。
「!・・・何、やってんの?」
リュミエルの前に、ラヴィアスを庇うように立つ。そんなレイリアに、ラヴィアスは苛立ちも露に言う。
「殺され、たい、わけ?」
途切れ途切れの言葉から、身体が辛いのだろうと悟る。あんなに血を流しているのだ。辛くない筈がない。
「違うよ。・・・ラヴィアスにももう、怪我なんてして欲しくないから。」
「・・・はっ、なんだよ、それ・・・」
嘲るように笑うラヴィアスからリュミエルへと視線を移し、レイリアはじっと瞳を見つめた。
「リュミー、見て。私は大丈夫だよ。だから、もう闘わなくていいの。」
リュミエルの長い尾がぱたりと振られた。ぐっと強ばっていた身体の力が少し抜け、険しく鋭かった瞳に柔らかさが戻る。
レイリアは走り寄って、そのふわふわの首筋に抱きついた。
「リュミー・・・心配かけてごめんね。・・・ありがとう・・・」
レイリアの声に応えて、リュミエルが小さく唸って顔を擦り付けてくれた。それに安堵して、さらに抱きしめる。
(くそ・・・!獣風情に・・・!)
ラヴィアスは力の抜けそうな足にぐっと力を込め、短剣を握り直して石の床を蹴った。リュミエルの耳がぴくりと動く。
(ぶっ殺す!)
強く床を蹴って跳躍する。横合いからガイアスが動くのが見え、ラヴィアスは短剣を放った。花火のように散ってガイアスの動きを止める。そのまま、太い短剣を手に、落下の勢いに任せてリュミエルへ突き立てる。
——しかし。
「ぐあぁっ!?」
いきなり衝撃が襲った。壁へ叩き付けられ、一気に身体の力が抜ける。
(なんだ、一体・・・!?)
「ガディス!そのまま足止めしろ!」
無数の短剣をなんとか剣技で叩き落としたガイアスは、ラヴィアスに突進して行ったガディスにそう叫んだ。そのまま走ってレイリアの腕を引く。
「こいつに後を追ってくるよう言え!」
「えっ?あ、う、うん!」
ちらりとリュミエルの怪我の具合を探る。傷はどれも致命傷にはならない。逃げるのに不都合はなさそうだ。
「走れ!」
「は、はい!リュミー、付いて来て!」
走り出す瞬間、レイリアはラヴィアスを振り返った。
(ラヴィアス・・・!)
あんなに怪我をしていて、立つ事もままならないのに、ラヴィアスの目は爛々としていた。
(お願い、無事でいて・・・!)
危険な少年だとは思う。けれど、優しいところも知っている。だから、本当なら放っておきたくはなかった。
「飛び降りろ!」
「え?」
通路の突き当たりについた途端、ガイアスはそう言った。
「え?」
「早くしろ!」
「えっ!?」
声に押されて手摺に手をかけた途端、ひょい、と身体を抱え上げられた。そうすると外に身体が傾くわけで。
「ぇええっ!?」
叫び声は、すでに宙に浮いていた。
(・・・っ、怖い!)
ぞっとした。危険はないから落とされたのだと思うのだが、下手したら、死ぬ。
(死にたくない!)
思わず目を瞑った次の瞬間、どん、と柔らかい衝撃があった。
「っ・・・!」
抱きしめられる感覚に、咄嗟にしがみつく。
「・・・大丈夫だよ、レリィ。」
「・・・あっ!」
耳元で声がして、慌てて目を開けた。そこには——。
「セティエス様!」
柔らかい笑みがあった。懐かしいと感じて、目が熱くなる。
「セティエス様!お願いします!」
(え?)
振り仰いだ先には、四階からこちらを覗き込むガイアスが見えた。
「ああ、任せておけ。」
(え?何?)
戸惑うレイリアの耳に、何かが駆けてくる音が聞こえた。そういえばセティエスはリガルに乗っていた。そして、音のする方へ目を向けると——。
「イルア様!」
また違うセツキに乗ったイルアに呼びかけた途端、イルアの顔がぱっと華やいだ。
「レリィ!怪我もなさそうで良かったわ!」
涙ぐんだレイリアに小さく微笑みながら、セティエスは言った。
「再会を喜ぶのは後にしよう、レリィ。」
「は、はい!」
セティエスに抱えられる形になり、しっかりとリガルに座り直す。困惑気味のレイリアに、ガイアスは短く声をかけた。
「セティエス様なら、守りながら闘う事に慣れてる。大人しくしてろよ。」
「え・・・?」
瞬いている間にリガルが動き出す。
「では先に戻るぞ。」
「はい、ご無理なさらず。」
(え・・・?)
レイリアが疑問を感じた時にはもう、リガルは走り出していた。
「セティエス様!」
セティエスは前を向いたまま、視線を動かさずに答えた。
「あの少年は追ってくる。多分向こうの獣族もな。」
(・・・!ロシル・・・)
「ヴィトとガイアスは!?ガディスも・・・!」
「舌を噛むよ、レリィ。」
くすりと笑われて、レイリアはぐっと口を閉じた。
「・・・すぐに追ってくる。大丈夫だ。」
「・・・・・・」
この言葉を信じるしか、レイリアには出来ない。
(・・・無力、だから・・・)
こんな状況で、誰かの、何かほんの少しでも、力になる事が出来ない。レイリアがぐっと握り込んだ事に気付いたセティエスだが、かける言葉は見つからなかった。
「ガディス!」
再び急で狭い階段を駆け上がったガイアスは、先程の部屋へと駆け込んだ。
「!」
そこには、ガディスを前に、今だ闘争心を失わないラヴィアスの姿があった。片膝をつき、顔からも肩からも腹部からも血を流しているというのに、ラヴィアスの目には少しも諦めの色がない。
(ちっ・・・こういうのが一番質が悪い!)
自分もそういう類なのだが、気付かないのは本人ばかりだ。
「・・・・・・」
ラヴィアスは肩で息をしている。その目は爛々としているがどこかぼうっとしていて、身体に限界がきているのが分かった。
(悪態をつく気力もないか・・・早くしないと死ぬな。)
ガイアスは身を翻し、再び四階から地面へと飛び降りた。
「!・・・ガイアス!」
「!」
駆け寄ってきたのはヴィトだった。太ももの辺りにざっくりとロシルの爪痕がある。
「どうなった?」
「なんとか気絶してるよ。そっちは?」
ヴィトの後ろから、気絶したロシルを背負ったセーヴィアスとリリィも走って来た。
「無事戻った。後はお前のところのガキだけだ。」
言いながらセーヴィアスを見ると、その表情に焦りが見えた。
「ラヴィは?」
「・・・限界に近そうだぞ。シューグを前に動く事さえ出来ないみたいだからな。」
「っ!ロシルを頼む!」
「なっ、おい!」
いきなりロシルを押し付けられ、ガイアスは慌ててセーヴィアスの背に声をかけた。するとセーヴィアスは振り返り、笑って言ったのだ。
「君たちは信頼出来る。」
「っ・・・はあ!?」
唖然とするガイアスの横を、リリィはロシルに見向きもしないでセーヴィアスの後を追いかけて行ってしまった。それを見送り、ヴィトが苦笑した。
「レリィを誘拐しておいて、よく仲間を預けられるよね。」
「・・・馬鹿なのか?」
押し付けられたロシルをちらりと見てみれば、獣族の凶暴さは少しも感じられない、子供のような寝顔だった。
(・・・・・・疲れた。)
げんなりした様子のガイアスを見て、ヴィトは笑うしかなかった。
「まさかこんな風に、俺以外の獣族に会うとは思わなかったよ。」
「・・・どう思うんだ?」
聞かれてヴィトは一瞬戸惑う。
「どうって・・・・・・別に。」
別に、と言って笑った顔には、どこか温かさがあった。