第二話 バルクス家の日常
いつものように五人一緒に朝の食事を取っていた。穏やかに、和やかに流れる時間がとても幸せに感じられて、レイリアはついつい頬が緩む。
「やっぱりレリィを見てると癒されるわねぇ。
それを見たイルアも頬が緩む。
「本当ですね。」
セティエスがいつものように同意した後、とんでもない事を言い放った。
「手ずからあげてみたくなりますね。」
「「「「っ!?」」」」
しん・・・と静まり返る部屋。かたん、と誰かの食器が滑り落ちた。
「・・・何か、おかしな事を言いましたか?」
わざとなのか本当にそう思っているのか、セティエスは不思議そうに瞬いた。
「餌付けか・・・?」
ぼそりと呟いたガイアスの顔色は悪かった。そんな様子に気付く事はなく、セティエスはさらに言った。
「可愛いではないですか。かなり癒されると思いますよ?」
「「「「!」」」」
真面目な顔でそんな事を言うものだから、危険だ。イルアが慌てて立ち上がった。
「セティ!もう登城しましょう!今日は早めに行きたい気分だわ!」
「お嬢様・・・マナーが悪いですよ。」
「いいから行くわよ!」
「・・・かしこまりました。」
しぶしぶ立ち上がったセティエスの腕を引っ掴んで、イルアは玄関へずんずん進む。慌ててヴィトが立ち上がって見送りに行くが、レイリアは動けなかった。
「・・・・・・」
あまりの発言に、免疫力皆無だったせいで完全に固まってしまったのだから。それも、真っ赤になって。
「・・・・・・早く食べろ。」
見兼ねたガイアスがそう促すと、ぎこちなく食事を再開したのだった。
「セティ・・・あれはまずいわよ。」
城へ向かう馬車の中。イルアは溜息と共にセティエスを窘めた。いつもと逆だ。いや、たまにこういう事はあるのだが。
「やはり、何かおかしな事を言いましたか?」
これまた不思議そうに訊ねられ、イルアはこっそり思った。以前イルアに、発言に気をつけるように言ったのはセティエスなのに。
(親が親なら・・・とよく言うけれど、主が主なら従者も従者ってわけね・・・。)
自分たちの事なのに妙に納得してしまう。
「確かにレリィを見てると撫でたくなったりはするけれど・・・」
「ええ。あまりに愛らしいので、うさぎでも愛でている気分になりますね。」
がたん、と馬車が揺れたのは気のせいではない。耳の良いヴィトの事、聞こえた内容に思い当たる節があったのだろう。
「そうだけれど・・・セティがそういう事を言うと、レリィが恥ずかしくて死んじゃうわよ?」
言われてセティエスはとても驚いたようだ。
「恥ずかしくて・・・ですか?」
「そうよ。貴方に“愛らしい”だの“癒される”だの言われたら、並の女性は倒れるわよ。恥ずかし過ぎて・・・もしくは嬉し過ぎて。」
「嬉しいのならば良いではないですか。それに、私は駄目でお嬢様は良い。というように聞こえますが?」
反撃に出たセティエスに、イルアは優越感たっぷりに笑った。
「あら、私は同性だもの。照れる事はあっても倒れはしないわよ。」
「それならばガイアスやヴィトもそうでしょう?・・・まあ、ガイアスは言わないでしょうが。」
「言わないわね。」
(ガイアスがそんな事言ったら・・・レリィ、どうなるかな・・・)
御者席で会話を聞いていたヴィトは、想像してみるものの、どう考えてもあの口から“可愛い”なんて言葉が出るわけがない。欠片も想像出来なくて諦めた。
「ともかくセティ。何か言ってレリィが赤くなっちゃったら止めるのよ?」
「かしこまりました。」
最後にはいつもの通りに素直に頷き、イルアとヴィトはほっとしたのだった。
目の前には赤い毛並みのセツキ。隣にはガイアス。
レイリアはセツキの背をじっと見つめ、隣から感じる鋭い視線に焦っていた。
(ど、どうしよう・・・。全然言う事聞いてくれない・・・)
そう。昨日の復習という事で、セツキを伏せさせる事を要求されているのだ。昨日もほぼ一日やって、ようやく最後に伏せてくれたのだが・・・。
「リガル、伏せ!」
セツキの名前を呼ぶと耳が反応するものの、伏せという言葉には全く反応してくれない。どこ吹く風で退屈そうに尾を揺らしている。
(どうしよう・・・ガイアスの視線が怖い・・・)
顔を向けなくても分かる。苛立っている。
(ああでも、やらなくちゃ・・・!セツキに乗れたら、もっとお役に立てるかも知れないもの!)
気を引き締めてもう一度言う。
「リガル、伏せ!」
ぱたり、ぱたり、と規則正しく尾が揺れる。
(だ、駄目?やっぱり・・・)
そろり、と視線だけガイアスに向けようとした時だった。リガルがゆっくりと足踏みした。
(あっ・・・伏せてくれる・・・?)
と、目の前でゆっくりと足を折ったのだ。ガイアスが命じた時とは比較にならない程のっそりとした動きだったが、確かに伏せた。
「ガイアス・・・!」
感動しながらガイアスを見ると、不服そうな顔をしていた。
(うっ・・・だ、駄目かな・・・)
さっきから不安過ぎて両手を胸の前で組んでいた。それをぐっと握りしめる。
「・・・・・・乗れ。」
(!)
溜息混じりで言われた言葉は、間違いなく“一応でも”合格の意味だ。
「はいっ!」
元気良く返事をして、鞍を跨ごうとすると、途端にリガルがのっそりと立ち上がった。
「わっ」
リガルの背に足を押し退けられるようにされて、レイリアは仰け反った。それを予期していたガイアスは、焦る事もなく倒れないよう腕を回した。抱きとめられるような形になり、レイリアの頬に朱が指す。
「あ、ありがとう・・・」
(もう慣れたな。)
ガイアスはレイリアをしっかり立たせて、もう一度、と促した。レイリアは深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「リガル、伏せ!」
言われてもリガルは知らんふりだ。
(振り出しに戻ったな・・・)
小さく溜息を吐くガイアスだった。
しばらくしてガイアスは、完全に動かないリガルの様子に、伏せさせるのは諦めて騎乗の感覚に慣れてもらう事にした。
「リガル、伏せ。」
ガイアスが言うと、リガルはさっとその場に伏せる。それを見たレイリアは落ち込む。
(はあ・・・やっぱり違うなぁ・・・)
「おい、ぼんやりするな。」
「あっ、はい!」
俯いていたのをしっかり注意され、リガルの背に跨がるように促される。動かないのを確認しながらそっと乗ると、間を置かずにガイアスが後ろへ乗った。
(え?あ・・・そ、そうだよね・・・私一人じゃ乗れないから、これは当たり前なんだろうけど・・・)
距離が、近い。背中のすぐ近くに温もりがある。
(うぅ・・・)
手綱を取る為に両腕を回されれば、半分抱き込まれる様な形になるわけで。
(は、恥ずかしい・・・っ!なんにも集中出来ない・・・っ)
「お前も手綱を持て。」
「えっ!?はっ、はい!」
耳元で声がして、パニックになりかける。慌てて手綱を掴むものの、持ち方を直された。
「違う。適当に持つな。こうだ。これぐらいは開けろ。」
手を触れられればこれ以上ないくらいの緊張が走る。
(む、無理かも・・!どうしよう、頭真っ白だ・・・!)
「こ、こう・・・?」
声も手も震えている気がする。
「まだ立ってもないだろ。今からそんなに怯えてどうする。」
(そうじゃなくてっ・・・!)
ガイアスが気になって集中出来ない、なんて言えるわけがない。
「す、すみません・・・」
小さく謝ると僅かに溜息が聞こえた。撫でるように耳に息を感じて身震いする。
(うぅ・・・早く終わらないかな・・・)
習う側としては、逃げられない時間だ。
「立たせるぞ。足で背を挟め。堪えられないなら後ろにもたれろ。いいな?」
(後ろにもたれる・・・!?)
しかし、出来ないなどとは言えない。
「は、はい・・・」
泣きそうになりながらそう言って、ぎゅっと手綱を握りしめた。
「行くぞ。リガル、立て。」
「わっ」
リガルが立ち上がると、背が左右に揺れて安定が悪くなる。それでも立ち上がるまではなんとか堪えた。
「よし、いいな。・・・進め。」
ゆっくりとリガルが歩き出す。思ったより揺れが少なくほっとしたレイリアに、ガイアスは釘を刺した。
「これで安心するな。駆け回れるようになれよ。」
「えっ!?」
ぎょっとするレイリアに丁度良い機会だと思ったのか、ガイアスはリガルに命じた。
「走れ。」
「ええっ!?」
途端に走り出したリガルの動きに当然ついていけず、レイリアは踏ん張る事も出来ずに後ろにもたれざるを得なくなった。自分から頼る形になってしまって、かなり恥ずかしい。
「ご、ごめ」
「喋るな。舌噛むぞ。」
「っ・・・」
確かに走るリガルの上では、口を開くと危険だ。それにガイアスが後ろにいなければ振り落とされていたに違いない。
(ああ・・・こんな事で・・・ちゃんとリガルに乗れるようになるかな・・・)
この後しばらく、レイリアは疾走するリガルに乗るという体験を、思う存分したのだった。