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第十九話 月夜の咆哮



——シュッセベルツが見える丘に、イルア達は佇んでいた。


 国境に佇む忘れかけられた砦は、まるで国同士の行き来を拒むように、一枚の大きな壁のようにあった。長方形に形作られた砦には扉が一つしかなく、以前は硝子がはめ込まれていた窓は、今では石の枠だけになってしまい、ぽっかりと空洞が空いているようだ。どこか虚ろなこの砦に、シュル・ヴェレルとレイリアがいる。


 太陽が完全に沈み、闇が月光の僅かな光を許す頃。イルアは一歩、踏み出した。

「行くわよ。」

 夜風がイルアの髪を揺らし、月光が煌めく。その後ろに控えたレーヴェの騎士達が、各々の武器を手に、深く頷いた。






 ぴくり、と獣に近い耳が音を拾った。目を閉じて音を探る。

(・・・・・・・・・)

 ロシルは音も立てずにセーヴィアスの側へ移動した。気配を察したセーヴィアスが僅かに振り返る。

「来た。・・・けど、散らばってる。」

「・・・・・・そうか。」

 セーヴィアスの気は静かなものだった。彼が“仕事”へ行く時は、ロシルでもぞっとするほどの殺気を纏う。だが、それが一切ない。それはセーヴィアスが、イルア達を微塵も傷つける気がない事の証明だった。

 静かにその場を離れた。セーヴィアスがそういうつもりなら、従うつもりだ。ロシルはリリィのようにセーヴィアスが大切なわけではない。だが、彼の強さの側に、少しでも長くいたいと思うのだ。




 セーヴィアスは月を見上げていた。金とも銀ともいえる輝きを放つ月は、青色の輪郭を纏っていて美しい。

(イルアは、こんな風だったな・・・)

 レーヴェという存在は知っていた。この国には悪魔の蜜と呼ばれる暗殺者がいる、と。もちろん国内専門だ。セーヴィアス達と同様に国に飼われている。だが、悪魔と名がつくだけに、その存在が確かにいるのかどうかは分からなかった。——シュル・ヴェレルとなってこの国を訪れるまでは。


「・・・!」


 ふと周りの気配が揺らいだ。目線を落とせば、月光に紛れて現れたかのように、ふわり、と銀色の髪が揺れた。

「・・・・・・っ」

 イルアの姿を見たのは、登城した時に、遠目に、一度だけだ。その時は“貴族”の顔であった為、こうして“レーヴェ”の顔を見るのは初めてだった。

「こんばんは。初めまして、セーヴィアス。私がレーヴェよ。」

 イルアはいつも通り、ドレスに細い剣を携えていた。そして、にこりと微笑んでいる。その笑みは柔らかいのにどこか妖艶でもあり、セーヴィアスは思わず魅入ってしまった。

「・・・ご丁寧にどうも。・・・綺麗だね、君は・・・」

「あら、ここは社交場ではないわよ?世辞を言っている場合ではないのではない?」

 くすくすと口元に指を当てて笑う様は、とても暗殺者には見えない。

「・・・君は、普通の女性として過ごしたいとは思わないのかい?」

 その質問に、イルアは一度目を閉じ、ゆっくり笑みを浮かべた。

「今のところは思わないわね。私に“普通の女性”は勤まらないし、それでは戦えないもの。」

「・・・例え、友人を手にかける事になっても?」

 揺れると思ったイルアの瞳は、真っ直ぐに、揺らぐ事なくセーヴィアスの目を見つめ返した。

「手にかけずに済むように、芽は早めに摘んでおくわ。」

「・・・・・・・・・」

 イルアは微笑んでいた。一見儚く見えるその微笑みは、しかし揺らぐ事がない。セーヴィアスは思わず笑ってしまった。

「強いな・・・」

「笑うなんて失礼よ。」

 不服そうにするイルアに、頭を振って謝る。

「すまない。・・・僕は弱いなと思って。」

「・・・・・・・・・」

 イルアは真っ直ぐにセーヴィアスを見つめて言う。

「不安を感じる事が弱いというのなら、誰だって弱いわ。笑っていられるのが強いというのなら、支えてくれる人がいれば誰だって強くいられるわよ。」

「・・・僕には、支えてくれる人がいない、と?」

「知らないわ。貴方の事は。けれど・・・」

 イルアが不思議そうに首を傾げる。

「今貴方の周りにいる人達は違うの?」

「・・・・・・」

「その人達がいるから、貴方は笑っていられるのではない?」

「・・・!」

 はっとした。ラヴィアスが、リリィが、ロシルがいるから。

「・・・・・・そう、か・・・」


 彼らといる時間だけは、笑っていられる。


「・・・君は、やっぱり強いね。」

「違うわ。私は弱い。」

 不思議そうに首を傾げるセーヴィアスに、イルアは苦笑した。

「今回貴方達にレリィを拉致されてよく分かったの。そういう意味では一応感謝しなくちゃね。」

「・・・すまなかった。他に思いつかなくて。」

「許さないわよ、それに関しては。」

 きっぱりとそう言って睨みつけるイルアを見ていたら、知らず知らずのうちに笑っていた。

「君は面白いね。」

「面白いとは失礼ね・・・」

「いや、すまない。分かったよ。君の気持ちはよく分かった。」

 すっとセーヴィアスの目に真剣味が帯びる。

「でも・・・イルア。これだけは言っておくよ。」

 対峙するイルアの目も、それを真摯に受け止める。

「苦しくて耐えられないと思ったら、おいで。逃げ場所くらいにはなるだろうから。」

「・・・・・・」

 イルアはただ黙って手を差し出した。逃げては駄目だから、この提案は到底受け入れられない。けれど、セーヴィアスの気持ちは分かったような気がした。だから。

「・・・また会おう、イルア。」

 セーヴィアスも手を差し出す。二人の手が、ゆっくりと触れ合おうとした——その時。


「「!?」」


 イルア目掛けて急激に殺気にが膨れ上がり、突進してきた。からくも避けたイルアの首目掛けて、殺気が薙ぐ。

(なに!?)

 距離を取ったイルアは、襲撃者の姿を捉えて目を見開いた。そして、セーヴィアスも。

「ロシル!」

(・・・これが・・・ヴィト以外の獣族・・・)

 ロシルはセーヴィアスの前に立ち、イルアを睨みつけていた。その目は研ぎ澄まされて鋭く、暗闇に紛れようとするイルアを明確に捕らえている。

(まるで出会った時のヴィトみたいね・・・)

 鳥肌が立つ。“命”を捕らえられているという、危機感。

「ロシル!抑えろ!」

 いつもならすくみ上がっているようなセーヴィアスの声音も、ロシルは全く聞こえないようだった。

(手強いわね・・・)

 嫌な汗が噴き出す。背後にセティエスが来た気配がして、僅かに肩の力を抜いた。

「!」

 その瞬間、ロシルはイルアの眼前に迫っていた。

(っ、やっぱり早いわね!)

 自分の身を守っていてはあっという間にやられてしまう。イルアは咄嗟に剣を振り上げた。

 ロシルはぎりぎりのところでそれを飛び退いて交わした。しかしすぐに姿が消える。イルアの首筋には、細い引っ掻き傷が出来ていた。じわりと血が滲んで肌を伝う。

(これはまずいわね。ヴィトに相手してもらおうかしら。)

 なんて思っている間に再び迫ったロシルをセティエスが防いでいた。しかし、セティエスも余裕がない。

(!)

 盾に使った剣ごと蹴り飛ばされたセティエスを目で追ってしまった瞬間に、ロシルはイルアに向かって爪を振り下ろす。それを受けようと剣を構えた時、足下からロシルが蹴り上げるのが見えた。

(まずっ・・・!)

 獣族の身体能力は侮れない。思いっきり蹴られたら、それだけで命に関わる。どくりと心臓が音を立てる。思わず身体が固くなる。

 ふわ、と淡い金色の髪が目の前を舞った。

(え・・・?)

 途端にロシルの殺気が遠ざかる。

「ロシル!止めるんだ!」

(セーヴィアス・・・!)

 その声の必死さから、ロシルが個人的に動いているのだと知れた。

(一体なんなの・・・——!?)

 しかし、その時。イルアのすぐそばを、月光の煌めきを弾き、真っ白な毛並みが駆け抜けて行った。見覚えのある毛並みだ。そして、ここにはいない筈の。


「——リュミー!?」




 少し離れたところで待機していたヴィトとガイアスは、思わず顔を見合わせた。

「なんでリュミーが・・・」

「シレイってのはどんな檻でも壊せるって事だな。」

 剣を抜き放つガイアスに、ヴィトは慌てて言った。

「リュミーなら俺が」

「お前はイルアを守れ。」

「え?でも」

「あほ。獣族の相手は獣族がすればいい。さすがにイルアでもきついだろ。それに・・・」

 ガイアスは真っ直ぐに砦を見つめた。

「リュミエルの主はあいつだ。止めさせる必要がある。」

「・・・・・・分かった。任せる。」

「ああ。」

 二人して駆け出す。そしてガイアスの後ろには、真っ黒な獣が従っていた。






 レイリアはラヴィアスと共にいた。イルア達の様子を砦の窓から見下ろしている。

「イルア様・・・!」

「ロシルのやつ、頭に血ィ上ってるな。」

「そんな、急にどうして・・・!?」

 振り返ったレイリアの顔をきょとんと見て、ラヴィアスは可笑しそうに笑った。

「レイリアはほんとに気が抜けてるよね。・・・ロシルは獣族だよ?」

「・・・・・・?・・・・・・あっ!」

 気付いて青ざめたレイリアに、ラヴィアスはくすりと笑って顎を捕らえた。

「あいつも殲滅部隊にいたんだろ?なら、ロシルにとっては同族の仇だよなぁ。」

「・・・・・・!」

 見開かれた瞳に微笑んで、ラヴィアスはレイリアに口づけようとした。


「——!?」


 だが、咄嗟にレイリアを抱えて窓から飛び退いた。

「っ!?」

 何事かと慌てるレイリアをよそに、ラヴィアスは殺気をみなぎらせる獣を睨みつける。

「・・・なんだこいつ。」

「えっ・・・・・・・・・リュミー・・・?」

 驚くレイリアの視線の先には、たった今三階にある砦の窓から軽々と侵入してきた獣がいる。その獣は、レイリアに親しみがあるとは思えない程凶暴な姿だった。

「・・・はっ、獣風情が俺に喧嘩売ってんのかよ。」

 レイリアを後ろへ押し、ラヴィアスはにやりと笑みを深めた。

「喜んで買うぜ!」

「ラヴィアスっ!」

 瞬時に駆け出したラヴィアスに咄嗟に手を伸ばすが、ただ空を掴んだだけだった。


「はあっ!」


 ラヴィアスが幾本もの短剣を投げつける。至近距離から花火のように広がるそれは、全て避けるのは難しく見えた。

「リュミー!」

 リリィやロシルとの喧嘩に使っていたような太い短剣ではなく、手の平程の長さの、小指程度の太さの短剣だ。暗い色の刃は暗がりに紛れて見えにくい。しかし、当たれば確実に深く刺さるだろう。

 リュミエルは大きく横へ飛んでそれを避けた。短剣が石壁にぶつかり高い音を立てて落ちる。

(避けられた・・・?)

 ほっとしたレイリアをよそに、リュミエルはすぐにラヴィアスに飛びかかっていった。

「リュミー!止めて!」

 飛びかかってきたリュミエルを紙一重でかわし、ラヴィアスは隠し刃を出した靴の踵で蹴ろうとする。が、それをかわしてリュミエルがラヴィアスの両肩に爪を突き刺し、押し倒した。

「ぐっ、くそ!」

 ラヴィアスが短剣を振る前にリュミエルは飛び退き、飛び起きたラヴィアスにまた飛びかかっていく。

(リュミー、全然聞こえてない・・・!)

 止めに行きたいものの、応酬が早過ぎてレイリアは身動きが取れない。

(どうしたらいいの・・・)

 ふと、近くへ飛び退いてきたリュミエルの身体を見て、レイリアはぞくりとした。

(リュミー・・・さっきの短剣、やっぱり避けきれなかったんだ!)

 何本か深く刺さり、血が、石の床に点々と跡を残している。

「くそっ、獣風情が!」

 見ればラヴィアスもすでに傷だらけだ。しかも、リュミエルより酷い。短剣を手にリュミエルを睨みつける身体から、ぼたぼたと血が滴り落ちている。

(ラヴィアス、リュミー・・・!)

 怖い。この闘いを止めなければと思うのに、何より、血だらけの二人を見ているのが、怖かった。レイリアは、無意識に一歩後ずさった。




(イルア様、セティエス様・・・ご無事で!)

 駆けるヴィトの身体に、ひゅん、と風を裂く音と共に何かが絡み付いた。

(なんだ!?)

 危険を感じて咄嗟にそれを爪で切る。ぶつり、とちぎれた糸は、鋭利な刃のようだった。

(イルア様がおっしゃってた少女か・・・。)

 姿は見えないが、どこにいるかは少女の心臓の鼓動が教えてくれる。そばにあるのはヴォルド・ドゥールだろう。こちらは戦う様子はない。

 ひゅうん、と風を切って糸が幾重にも、地面から空へと切り上げられる。その糸を切ろうとして、ヴィトは一瞬、考えた。

(・・・構ってる暇はない。)

 着地に邪魔になる糸だけを切り、それ以外の糸を、その獣よりも優れた目で見極め、ぎりぎりで躱していく。後ろから、下から、前から、上から。まるで逃れられないとでもいうように、執拗に降り掛かる糸をぎりぎりで躱していく。

「っ・・・!」

 人相手なら、確実に腕の一本や二本は無くなっていたかも知れない。ヴィトは失いこそしないものの、それでも傷は免れなかった。

(やっぱり精鋭部隊より手強いな。)

 こんな時だというのに口元には笑みが浮かぶ。ヴィトはただひたすらに、イルアの元へと駆けた。




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