第十七話 淡い芽吹き
「セーヴィアスの心」を編集しました。セーヴィアスの考えは次話にまわします。
(なんだろう・・・なんか・・・あったかい・・・)
何か温かいものに背中から包まれていて、その上から布団を被っているらしい。両方ともふんわり温かくて、心地良い。
(リュミーと一緒に寝ちゃった時に似てる・・・あの後ガイアスに思いっきり怒られたな・・・)
包み込んでいる温もりに擦り寄ると、その温もりはもそりと動いてぴったりくっついた。
(・・・ん?)
そして、レイリアの頭の後ろ、斜め上に、唇が押し当てられた。
(・・・・・・・・・ん?)
勘違いだろうと思い直す。だが、頭上を小さな呼吸がくすぐった。
(えっ!?息!?)
ばち、と目が開く。当然見えるのは枕とベッドだが、レイリアはそろりと視線を下へずらした。
(・・・・・・!)
レイリアは、誰かに抱きかかえられて寝ていた。
(ななななんで!?どうやって!?いつ!?)
困惑した拍子に身体が強ばった。それに気付いたのか、後ろの人物があやすように首元に頬を擦り寄せてきた。
(きゃああっ)
ぞわりと全身の毛が逆立つような感覚が駆け巡る。必死に目をこらすと、焦げ茶の髪がちらりと見えた。
(焦げ茶の髪・・・ロシル?)
ラヴィアスではなくてほっとする。が、この態勢はまずいと思う。
「ロ、・・・ロシル・・・?」
気付いて欲しくて声をかけると、ロシルは起き上がる事もしないで返事をした。どうやらばっちり起きていたらしい。
「起きた?」
(きゃああっ!そのまま喋らないで! 息がかかるっ!)
あまりの事に、咄嗟に言葉が出ない。口をぱくぱくさせるだけだった。しかし、なんとか震える声で訴える。
「ど、どうしてその、い、一緒に寝てる・・・の?」
緊張し過ぎて身動きが取れない。そんなレイリアはお構い無しに、ロシルは猫でも抱きしめるようにレイリアをしっかり抱きしめる。
「・・・気持ち良い、から?」
(から?なんで疑問なの?)
「あ、違った。」
(なんで間違えるの!?)
なんだか力が抜けてくる。何を思ったか、ロシルはレイリアを自分の上に抱き直した。
(え?)
固まるレイリアもなんのその。ロシルはその上から布団をかけ直す。その目が真剣だ。何かを警戒しているようにも見える。
「セーヴィがいなくて、ラヴィがレイリアを狙ってるから、だ。」
「・・・・・・・・」
今、仰向けのロシルの上に、レイリアはうつぶせに寝かされている。それで顔を上げれば、当然ロシルの顔が間近にあるわけで。ついでにロシルが抱きしめているから、密着感が半端な——
(なにこれどういう状況!?駄目だよね!?危ないよね!?なんでロシルはこうなってるの!?)
絶句して青ざめるレイリアの顔を間近で覗き込み、ロシルは心配そうに、不思議そうに首を傾げた。
「・・・どうした?」
(どうしたじゃないでしょ!?)
言葉が出ない。どうしたらいいのか分からない。頭の回転が追いつかなくて茫然自失になりかけたところで、天使の声が耳に届いた。
「・・・レイリアが起きたなら、ロシルも離れて。」
「リリィ!?」
懸命に身体を捩って扉付近に視線を彷徨わせると、扉の横に椅子を置いて、ランセルとちょこんと座っているリリィが見えた。
(天使!可愛い!)
ちょっと心が癒された。
「・・・もう少し。」
(ええっ!)
ロシルはベッドの上に枕を積んで少し高くすると、そこへ上半身を預けてレイリアを反転させ、再び後ろから抱え込んだ。
(な・・・なんで・・・?)
「・・・・・・」
そのままレイリアの肩に頭を乗せて、しっかりと抱え込んで動かなくなった。
(・・・寝た?)
規則的な呼吸がする。困惑してリリィを見ると、数回瞬きしてから感想を言ってくれた。
「・・・ぬいぐるみみたい。」
(ぬいぐるみ?・・・リリィにだっこされてるランセルみたいって事だよね・・・)
そう思うと、抜け出すのはなんだか可哀想に思えた。
(こうしてると落ち着くんなら・・・リリィもいるし、少しならいいかな・・・)
一体どうしてこういう事になっているのかさっぱり分からないが、一応レイリアの貞操は守ってくれるつもりらしい。その為(セーヴィアスの言う事)に、リリィがこうして部屋にいてくれるのだろう。
(それにしても・・・セーヴィアスさんがお留守で、ラヴィアスが狙ってるから、って言ってたよね・・・)
まさか、ロシルやリリィがいなかったら、いつぞやのようにラヴィアスが一緒に寝ていたのだろうか。
「・・・・・・・・・」
(ロシルで良かった・・・!ラヴィアスは危険だもの・・・!)
それに実は、ロシルのぬくもりはありがたかったのだ。
(・・・・・・正直、誰かに触れてると心細さが和らぐ気がする・・・)
身体の力が自然と抜けた。ロシルがそっと、レイリアの頭を撫でた。
(イルア様・・・苦しんでらした・・・)
強ばったイルアの顔を思い出す。早く、一刻も早く戻らなければ。
(怖いからって、大人しくしてなんていられない・・・なんとか隙を見つけるしかない・・・)
考えを巡らせながら、レイリアはしばし、ぬくもりに身体を預けることにした。
「今度はこう書いてあるわ。」
ユーセウスの執務室に入るなり、イルアは手紙を突きつけた。
「・・・ウィルがいないのを分かって来たんだよな?」
「その為に今日はヴィトを連れて来たのよ。」
「・・・・・・」
扉のすぐ側で控えるヴィトに視線を移すと、なんだか申し訳なさそうに頭を下げられた。
(イルアは本当に・・・振り回すのが得意だな。)
今だ突きつけられたままの手紙を受け取って、ユーセウスは文面に目を通した。
「・・・招待状とは、丁寧だな。」
「国境の塔というのはシュッセベルツの事よね?」
シュッセベルツ。その塔は、まだガイアスが一軍にいた頃に使われていた、簡易の砦だ。確か、使われなくなって放置されている筈だ。
「・・・使わない施設は取り壊した方が良いな。」
ザクラスの事件に加え、こう悪用される事態が続くのは、良くない。
「それは後よ。・・・行くわよ、私は。」
「・・・・・・」
きっぱりと言ったわりにはその瞳の奥は揺れていて、自分を通す事を不安に思っているのがみえみえだった。
(・・・らしくないな・・・)
小さく笑って、ユーセウスは言ってやった。
「王子の意見を伺いにきたのか?」
「っ・・・、違うわよ。行けない殿下に、嫌味を言いに来ただけよ。」
(イルアが、わざわざ嫌味を?)
その言い訳が面白くて、ユーセウスは声を上げて笑った。
「ははっ、下手な言い訳だな、イルア!」
「・・・ガイアス並みに腹が立つわね・・・」
むすっとして睨むイルアにユーセウスはにんまり笑う。
「誰にも断る必要なんてないだろう?イルア。いつもみたいにどんどん走っていけばいい。そうすればいつものように、誰かしらお前についていって、お前の短所を補ってくれるだろう。」
「・・・・・・ルセ・・・」
久しぶりに呼ばれた名前に、ユーセウスは目を細めた。
「懐かしいな、イルアにそう呼ばれるのは。」
「・・・だって、部下になったんですもの、私。お父様が生きていらっしゃった時のようには呼べなかったのよ。」
アウルがレーヴェだった頃は、イルアはただ貴族の娘であって、中庭で出会った不思議な少年が王子だとは知らなかったし、分かってからもあまり立場を気にしないでいた。だが、アウルが死んで、自分がレーヴェとなった時、気持ちを切り替える必要があった。だから、ルセとは呼ばなかった。
「・・・そうか。」
それだけ言って、ユーセウスは手紙を返した。それを受け取って、イルアは再びユーセウスを見た。
「・・・こっそり行ってこっそり帰ってくるから、陛下には黙っていて。」
「分かっている。・・・ちゃんと連れ戻して来いよ。」
「言われなくてもそうするわ。・・・レリィの事だもの。」
そう言った時、イルアは幸せそうに微笑んだ。
(ああ・・・)
閉まる扉の隙間からその背を見送って、ユーセウスは思った。
(・・・そろそろ真剣に考えるべき時が来たな・・・このままでは・・・問題だ。)
このままイルアを放っては置けない。レイリアという心の拠り所を得たイルアは、レーヴェとして役割をこなす事への苦痛が大きくなっているように思える。それはつまり、失敗する可能性が大きくなっているという事だ。
失敗する時は、死ぬ時かも知れない。もしくは、レーヴェの存在が貴族達に知られる時だ。たとえ命があったとしても、そうなればバルクス家も王家も危うい。
(覚悟を、決めないとな。)
ユーセウスは窓の外を仰ぎ見た。青い空には気持ち良さそうに白い雲が浮かんでいる。
コンコン、と扉を叩く音がした。
「ユーセウス殿下、ただいま戻りました。」
「入れ。」
許可して入って来たウィルが、ユーセウスの顔を見たとたん、きょとんと目を丸くした。
「・・・なんだ、どうした?」
訊ねると、瞬きしてから答えた。
「あ、いえ・・・その、何か・・・」
ウィルの目が、僅かに細められる。
「何か、ありましたね。」
「・・・・・・・・・」
言われてユーセウスは思わず笑ってしまった。
「どうして笑うんですか!」
「すまない。馬鹿にしたわけじゃないんだが・・・」
言ってしまえばウィルは、頭脳も体術もあまり頼りになる方ではない。だが、するりと自分の心に入ってくるその気遣いが、ユーセウスには心強かった。
「・・・少し、骨が折れる仕事があると思ってな・・・」
ウィルに話してしまおうか。一瞬口を開きかけたが、口を閉じて呑み込んだ。首を傾げるウィルから視線を逸らし、窓の外に見える歩廊に目をやった。
(あれは・・・)
歩廊にいたのはイルアと、第一軍将軍のエルフィアと副将軍のシールスだった。三人は何やら楽しそうに会話していたのだが、そのうちエルフィアが誰かに呼ばれたらしく、席を外す。そうして向き合って話すイルアとシールスを見て、ユーセウスは一瞬驚き、すぐに目を伏せてぐっと拳を握り込んだ。
(そうか・・・)
「ユーセウス様?そう言えば、イルア様とのお話しが進んでいるそうですが・・・?」
「なに?」
思わず聞き返すと、ウィルが戸惑い気味に続ける。
「いやその、最近特に仲良くされているので、バーズ様が・・・」
(あのじじい!早くなんとかしないとまずいな・・・だが・・・イルアの事は放ってはおけない。)
喜び過ぎてスキップでもしそうな重鎮を思い浮かべ、ユーセウスはがっくりと肩を落とした。
「あの、ユーセウス様?」
慌てて駆け寄ったウィルに、ぽつりと零す。
「・・・俺が娶ると言ったら・・・イルアは塞ぎ込むだろうな。」
「え・・・?」
ユーセウスの頭の中は、最善の道はないかと考えがぐるぐる渦巻いている。だが、もう決めている事があった。それを実行するには覚悟がいる。
運命を大きく変える、覚悟が。
「イルア!」
馬車まで後少しというところでエルフィアが駆け寄ってきた。
「まあ、エルフィア様!」
嬉しくてイルアも駆け寄ると、エルフィアにぎゅっと抱きしめられた。
「ここのところ忙しいようだな?無理はしていないか?」
「大丈夫ですわ。口うるさい小姑ばかりですので。」
「・・・小姑・・・」
ぼそりと不平を漏らしたヴィトはあっさり無視して、イルアはエルフィアの顔を覗き込んだ。
「ご活躍だそうですわね、エルフィア将軍。」
「・・・おかげさまでな。じじい共はしぶしぶこの小娘に従ってくれている。」
「まあ」
エルフィアは、確実に将軍として認められてきている。女だなんだと不平を言っていてもやはり兵士。実力を見せつけられては認めざるを得ないのだろう。
「将軍!いきなり置き去りにしないで頂けますか?皆に哀れんだ目で見られるのは結構嫌なものなんですよ。」
耳に届いたその声音に、イルアは何故かほっとするような気がした。
「遅いぞシールス。私の動向くらい読めるようになってもらわなければ困る。」
突然走り出したエルフィアを慌てて追って来たのだろう。しかしシールスは楽しそうに笑った。
「将軍が俺の動向を読んで混乱させるからですよ。せめて俺が混乱しない方法を選んで頂きたいのですが?」
どうやらエルフィアは、いちいちシールスを巻くような行動をしているらしかった。
「あら、エルフィア様。それも修行の一環ですわよね?」
エルフィアの遊びにイルアが乗ると、エルフィアが嬉しそうに頷いた。
「ああ、その通りだ。お前は副将なのだから、将軍である私の思惑や動向を把握しておく必要があるだろう?」
「・・・二対一では、降参した方がよろしいですね。」
「当たり前だ。」
両手を上げて降参するシールスに、イルアとエルフィアは可笑しくて笑った。
「エルフィア!」
「ん?」
声がした方を振り返ると、少し離れたところからキーセルが呼んでいた。
「すまない、イルア。私はこれで失礼する。」
「いえ、お気にならさず。またゆっくりお話しいたしましょう。」
「ああ、そうだな。今度はあの侍女も交えよう。」
「・・・!・・・はい、必ず。」
さっと身を翻して去って行く背を見つめ、イルアは言葉を繰り返した。
(・・・必ず。)
視線をシールスに移す。するとシールスの深緑の瞳が、温かく微笑んでいる事に気付いた。
「?」
きょとんとしていると、シールスが静かに言葉を紡ぐ。
「・・・もう、大丈夫そうですね。」
「っ・・・・・・」
咄嗟に反応出来なかった。しかし、シールスは柔らかい声音で続けた。
「その瞳の光がそれだけ強いのなら、もう大丈夫ですね。」
(この目の、光が・・・)
それはきっと、心の強さだ。
「・・・ええ、なんとかなりそうです。」
自然と口が笑みの形を取って、大丈夫だと、精一杯伝わるように顔を上げた。
「それにしてもシールス様は、わたくしの事をよく見ていらっしゃるのですね。」
だから表情一つですぐに分かるのだろうと思ってそう言うと、シールスがぽかんとした。
(あら・・・?)
「よく見ている・・・?」
なんだか、とても驚いているようだ。
(何かおかしかったかしら?・・・けれど、見ているから気付くのよね?見ていなければ分からない筈だもの。事はレーヴェに関することなのだし・・・)
首を捻って考えを巡らせる。
(けれどこれ程驚かれているという事は、見ている事にご自身は気付いていなかった、という事・・・?)
シールスの様子を見ていると、開いていた口を閉じて、何やら困惑しているようだった。
(・・・気付いていなかったという事は、それはつまり、無意識に見ていたという事?)
なんと声をかけて良いのか分からずヴィトをちらりと見ると、何故か遠くを見ていた。呆れたような笑みを浮かべて。
(無意識に、誰かを見るという事は・・・)
それは。つい目で追ってしまう程気になっている、という事で。
(え・・・)
シールスに視線を戻すと、なんだか頬が赤いような気がする。
(え!?)
まさかと思ったら、途端に自分の頬も少し熱くなった気がした。
「あ、いえ・・・その・・・そういうつもりはなかったのですが・・・ご不快にさせてしまいましたか?」
聞かれて、考えるより先に頭を横に振っていた。それも、笑顔で。
「いえ、とんでもございません。お気遣い頂けて嬉しく思います。」
「・・・・・・」
(あら?)
さらりと出た言葉に自分で驚いた。これでは、まるで。
(誘いを受けているようではないの・・・)
いつもならちょっと迷惑だと遠回しに言うところだ。もしくはセティエスやヴィトが間に入って追い払ってくれる。
(けれど・・・入って来ないのだし・・・それはきっと、シールス様にやましいところがないからよね?)
だからきっと今の台詞も流してくれるだろうと、イルアは努めて何もなかったように話した。
「大変ご心配をおかけしてしまいましたし、今度遠乗りでもいかがですか?」
「「え?」」
これにはヴィトも思わず声を漏らしてしまった。
「なあに?ヴィト。」
「いえ、あの・・・」
ちらりとシールスを見る仕草から、イルアは考えを悟ってくすりと笑った。
「エルフィア様の部下ですもの。女が馬に乗る事に偏見はございませんでしょう?」
少しおどけて言ってみせると、ようやくシールスの表情が和らいで、いつもの笑顔になった。
「・・・ええ、もちろんです。喜んでお供させて頂きますよ。」
笑い合うイルアとシールスを見てユーセウスが覚悟を決めようとしていた事に、二人が気付く筈もなかった。