第十六話 瞬く星の下で
街は、ユーセウスが何者かに襲われた、という話で持ち切りだった。イルアとユーセウスのお出かけは、今や影が薄くなっている。しかし、街人が至る結論は変わらない。
「あのお優しい殿下でも、やはり狙われるのねぇ・・・」
「王子という御身分は大変だなぁ。・・・早くイルア様と結ばれて、幸せになっていただけるといいんだが・・・」
「殿下には早く伴侶を得て頂き、後の世に王家の血を残して頂かないと・・・」
豪奢な椅子から臣下を見下ろすユーセウスは、うんざりしながら頷いた。庶民と同じ見解を持つのは、代々王家に仕えてくれている重鎮だ。
「それは分かっている。だが、それだけの理由で娘達を危険に巻き込むわけには・・・」
「何をおっしゃいますか!確かにイルア嬢は御令嬢方の中でも大人しい方ですが、殿下とは長い付き合い。殿下の担う責務や危険も、きっと受け止めて下さいますでしょう!」
「・・・・・・」
娘達、という台詞は聞こえていないらしい。伴侶の話はイルア限定で進められるのが最近の傾向だ。
(その大人しい令嬢が、俺よりも戦闘に長けているとは夢にも思うまい。)
どこか遠くに現実逃避するユーセウスに、重鎮は頭を悩ませる。
「殿下、如何でしょう・・・近々パーティーなど開いてみては?」
「なに?」
驚くユーセウスに、チャンスとばかりに一気にしゃべる。
「良い娘達を呼んで、嫁探しといこうではありませんか!ええ、陛下にもきっとご賛同頂けます!」
「いや、そんな事はしなくていい!」
あの父の事だ。あっさり頷くに決まっている。
「いいえ!殿下。でなければ半月以内に候補をお連れ下さい!」
「・・・何故そうなる?」
何故こうも結婚と跡継ぎを急かされるのか。いや、理由は分かってはいるのだが、レイリアが攫われ、イルアが狙われているこの状況で、そんな事を考えている余裕はない。
「分かった分かった。近いうちに候補を立てるとしよう・・・。」
「近いうちとはいつですか?」
「・・・・・・明確に答えろ、というのか?」
若干不機嫌に言ってみたものの、この重鎮がそれしきで怯える筈もなかった。
「ええ、もちろんですとも。陛下からも、殿下をこれでもかという程せっつけと、命を賜っております故。」
「・・・・・・」
(あのくそ親父め・・・)
ユーセウスの笑みがひきつる。それを見て、重鎮は爽やかに笑った。
「一年以内には、とお約束下さい。」
「・・・・・・」
この男の言葉はつまるところ、父の言葉に近かった。
「・・・・・・一年以内に妃候補を立てると約束しよう。」
「ありがとうございます、殿下!陛下にもそのようにお伝え致します!」
(伝えなくていい!むしろ余計な事を足して伝えるだろうが!)
そう思うものの、年寄りの笑顔には勝てない。早く謁見を終わらせて部屋に引きこもりたかった。
「なあ、どーすんだよ。っていうかどさくさに紛れてあの女かっさらってくれば良かったじゃん?」
ラヴィアスが行儀悪く椅子を揺らした。それを睨んで咎めながら、セーヴィアスは首を横へ振る。
「駄目だ。それじゃあこちらの話しも聞いてくれないだろう。」
「そもそも聞く気ないじゃんか。あの女。」
不機嫌なラヴィアスを宥めるべく、セーヴィアスはぽん、と頭に手を置いた。ラヴィアスは大人しくそれを受け入れている。
「・・・僕はね、ラヴィ。イルア=バルクスの気持ちは分かるつもりだ。だから・・・少しだけでも、力になりたいんだよ。」
「なんだよ、その気持ちって。そんなに辛いのか?顔見知り殺すの。」
「・・・・・・」
セーヴィアスは困ってラヴィアスの髪を撫でた。彼とは思考が違うのだ。ラヴィアスは、人を殺す、その行為についてあれこれ考えない。命を奪う事に罪悪感もない。だから、セーヴィアスやイルアのような苦しみは到底理解出来ないのだ。
「苦しい事だよ。見知った人の命を奪う事は・・・」
「・・・ふーん」
少しだけ歪んだセーヴィアスの表情を見て、ラヴィアスは視線を逸らした。セーヴィアスが何故そんな悲しそうな顔をするのかは理解出来ない。だが、見ていて気持ちの良いものではなかった。むしろ、そんな表情は見たくない。
「けどそれだったらさ、あの女に辞めさせればいいだけだろ?そうだ、仕事出来ないような怪我させればいいじゃん。」
「・・・・・・それは、やらないよ。」
「なんで。苦しいなら辞めればいい。あの女は貴族だろ?レーヴェじゃなくたって生きる糧はあるじゃん。」
「それはそうだけどね・・・」
苦笑するセーヴィアスを見て、リリィがテーブルを挟んで座るラヴィアスを睨みつけた。
「セーヴィが困ってる。馬鹿な質問はやめて。」
「あ?なんだと?」
二人ともすぐに本気で睨み合う。そして二人とも暗殺者なのだから、止める人がいなければ地獄絵図だ。
「ラヴィとリリィがじゃれるとセーヴィが困る。」
「「っ!」」
「・・・じゃれるって程度ではないけどね。」
ロシルの言葉に固まる二人。それを見て、セーヴィアスはくすくす笑った。
「確かにイルア=バルクスはレーヴェでなくなっても平気だ。だが、そもそも僕らは国の安寧の為にある。国の為を思ってこうしている。・・・彼女は・・・国の為にレーヴェでいるんだろう。だから、レーヴェでいる事を辞めたいとは、思っていない筈だ。」
「「「・・・・・・」」」
黙り込んだ三人を見て、セーヴィアスは苦笑した。
(分からないだろうな・・・。ラヴィとリリィは生まれてからずっと、当たり前のように、王からの依頼通りに暗殺をしてきたし、ロシルは僕の依頼通りにしている。)
そんなラヴィアスとリリィをシュル・ヴェレルへ誘ったのは、まるでモノのように扱われる事を恐れてだった。何も感じない無機質な目を見た時、放っておけないと思ったのだ。
(僕たちは安寧のためには欠かせない存在だ。だが、“人として”の感情は邪魔なんだ。それを恐れるから、王達は僕らを監視し、管理し、常に疑っている。)
いつ、この便利な暗殺者が裏切るのかと。いつミスをするのかと。利用するだけしておいて、疑い出したらすぐに処分しようとする。
(生まれた国は好きだ。その国を愛してくれる王には一生を捧げる。だが・・・僕たちは、人だ。王の為、国の為と思っても・・・殺すのが苦にならないわけじゃない。)
軽い気持ちで扱って欲しくない。でも、国の為を思うから、良き王だと思うから、この手を血に染めるのだ。苦しみ悩んでセーヴィアスが選んだ道がシュル・ヴェレルだった。国にとってはまさに、亡霊のような暗殺者——。
(亡霊であれば寝首をかかれる危険もない。・・・すぐ隣にいる人を殺す事もなくなった。)
そうなったからこそ、イルアを放っておけないのだった。
「・・・じゃあー・・・当初の予定通り?」
諦めた様子でラヴィアスが言うので、セーヴィアスは嬉しくてその頭を掻き回した。
「こら!やめろよ!」
「予定通りにしよう。国境の塔へ誘い出す。一対一で話しが出来るように、協力してくれるかい?」
三人に向けて笑いかけると、皆一様に頷いた。
「セーヴィのお願いなら、聞く。」
そう言うリリィに笑いかけていると、ロシルがぴくりと反応した。
「・・・レイリアが起きた。」
ラヴィアスとリリィに連れ帰られた時、レイリアは精神的な負担からか、気を失っていたのだ。
「そうか・・・それじゃあ皆、晩ご飯にしよう。」
「おう!俺呼んでくる!」
飛んでいったラヴィアスの後を、ロシルが当然のようについていった。
ちなみに、ラヴィアスに気絶させられたライオスは、セーヴィアスとリリィに届けられ、無事に彼の屋敷の門前で目を醒ました。醒ましたところにリリィがいたものだから、自分が何故気絶していたのか、どうやって自宅まで戻ってこられたのかは気にならなかったらしい。嬉々としてリリィを口説いて、心底幸せそうに屋敷へ戻っていった。
「めでたい奴・・・」
こっそりついてきていたラヴィアスがそう呟いて、セーヴィアスは苦笑した。
夜、星が無数に瞬くその下で、イルアはぼんやりと白い蔓薔薇を眺めていた。レイリアが地道に整えてくれた、バルクス家の庭だ。エルフィアから贈られた蔓薔薇がやさしく庭を守ってくれているようだ。しかしその蔓はまだ若く、細くて頼りない。
(あんな風にシュル・ヴェレルと遭遇するなんて・・・)
レイリアの怯え方を見ていると、あながち安全とは言えないだろう。あの少年と少女は、間違いなく危険だ。
(どうしたものかしらね・・・)
当初、イルアはシュル・ヴェレルを“お嬢様”として訊ねるつもりでいた。しかし突然“イルア=バルクス”が他国にいる商人一団を訊ねるのは不自然極まりないので、まず国内の商店を巡って探し物が見つからないのだと見せつけ、それから行ってやろうと思っていたのだ。わざわざユーセウスに協力してもらって。
(けれど・・・ただの商人一団ではなかったのよね。)
まあ、きな臭い一団だとは思っていた。シュル・ヴェレルのあるところ、必ず何か起こっているし、疑われているというのに堂々と国々を行き来し、商売を自粛する様子も全く見られない。ただものではないだろうとは思っていたが、まさか。
「・・・・・・・・・・」
夜風が白薔薇を揺らした。暗闇に、ひっそりと色を主張する薔薇を見ていると、なんとなく頭が冴えるような気がする。
「レリィ・・・」
一緒にいる時間がそうあるわけではなかった。けれど、この屋敷にレイリアがいない事がとても不自然で、いいようのない焦燥感が襲ってくる。
(けれど、だめ。落ち着かなくちゃ。・・・私が、落ち着かなくちゃ。)
レイリアを助け出すだけなら、シュル・ヴェレルの元へ突っ込んでいけばいい。場所はヴィトがいれば分かるし、例え同業者でも負ける気はしない。こちらには“悪魔の蜜”があるのだ。あれにはバルクス家の人間以外、抗えない。ヴォルド・ドゥールが少し厄介だが、いざとなればシューグもシレイもいる。
(けれど私は・・・レーヴェだもの・・・)
レイリアの為だけに動けない。それがどうしようもなく苦しい。
(・・・初めてね・・・レーヴェであるという事が、嫌だと思ったのは・・・)
だから、戸惑っていた。そして、煩わしくも思う。もし、レーヴェでなければ。もし、ただのイルア=バルクスでいられたなら。そう考えてしまう。
(ただのお嬢様が、暗殺者に対抗出来るわけないもの。私は、レーヴェであるべきなのよ。)
レーヴェという役割があったから、これだけ剣術を身につける事が出来た。けれどレーヴェであったから、レイリアが攫われたのだ。
(・・・私がレーヴェでなかったら、レイリアも怖い思いをせずに済んだのに・・・)
しかし、ただのお嬢様であったならきっと、エルフィアからシレイを贈られる事もなかっただろう。そうしたらシレイが逃げ出す事も、シレイを追いかける事もしなかったに違いない。レーヴェだったからこそ、レイリアと出会う事が出来たのだ。
(レリィ・・・)
もどかしい。どうして自分は“お嬢様”であり“レーヴェ”であるのだろう。ただあるがままの、なんの地位も立場も関係ない“イルア”であれたら・・・そういう考えが頭をよぎって、慌てて頭を振った。
「なんて事を考えているの・・・私はお父様とお母様の娘よ。だからこのバルクス家の“お嬢様”であるのだし、“レーヴェ”なのよ・・・!」
父と母が大切にしてきた家と役割。それを受け継いだ事を誇りに思っている。
「だけど・・・お父様・・・!」
苦しい。自分が自分である事が、こんなにも。イルアは庭先にあった椅子から崩れ落ちて、柔らかな草の上に踞った。
そんな様子を、屋敷の中から三人は見ていた。ガイアスはイルアの様子を見つつも夕食を食べており、セティエスはどうしたものかと見守り、ヴィトは身体を冷やさないようにとショールとお茶を用意したまま、近づけずに困っていた。
「・・・イルア様・・・」
呟いたヴィトの隣に立ち、セティエスが溜息を吐く。
「・・・お嬢様があんなに辛そうなのは、アウル様がお亡くなりになられた時以来だな・・・」
「アウル様・・・ですか?」
首を傾げるヴィトに、セティエスは頷いた。
「ヴィトは知らなかったな。・・・お嬢様の、お父上だ。」
「!・・・そう、なんですか・・・」
あの時はまだ、母であるルミエラが側にいて支えてくれた。だが、今は——。
「・・・・・・・・・はぁ。」
がた、とガイアスが席を立った。驚いてセティエスとヴィトが見つめるも、ガイアスは大股でイルアの元へと歩いていく。
「ちょ、ガイアス・・・?」
戸惑うヴィトの声も聞こえないのか、無視しているのか、ガイアスは真っ直ぐイルアの元へ向かうと、その頭へ向かって声を落とした。
「グジグジするな、イルア。迎えに行けばいいだろう。」
突然降ってきた声に、イルアはびくりと肩を震わせた。
「・・・・・・私は、」
「“お嬢様”がめそめそすんのか?“レーヴェ”が泣くのか?」
「・・・だって・・・」
「結局お前は、レイリアがいないと駄目なんだろうが。」
「・・・・・・・・・」
ゆっくりと顔を上げた。ひどい顔をしているだろうが、それよりもガイアスの言葉が聞きたかった。
「とにかく連れ戻せ。目撃者がいなければいいんだろう?得意だろうが、俺たちは。」
「・・・・・・でも」
「なんだ。今まで知られた事があったか?」
ない。一度だってない。の、だが。
「相手は、未知なのよ?同じような暗殺者だろうけど、手の内が分からないでしょう?」
もしかしてこの悩みは馬鹿馬鹿しいのだろうか、と不安になる。ガイアスの態度が、あまりにもさっぱりしているからだ。
「だから?」
「っ・・・」
思わず動揺してしまった。
「だから・・・」
不測の事態に命を落とすかも知れない。そう言おうとして、はっとした。
(・・・そうなったらお役目が出来ないと思っていたけれど・・・でも、このままじっとしていても何にもならないわ・・・)
レーヴェである事を第一に考えるのなら、そもそもレイリアを迎え入れるべきではなかったのだ。レイリアを迎え入れたのは——。
(“私”が、必要としていたから・・・)
レーヴェやお嬢様である前に、ただ、あるがままの“自分”が。レイリアという存在を求めていたのだ。そして、何よりも“自分”を優先した結果だった。
それに気付いてガイアスを見上げると、本当にわずかに、少しだけ微笑まれた。
「・・・“お前は”レイリアがいないと駄目だろ?」
お嬢様やレーヴェである前に、まず、根本である“イルア”がしっかりする為には、どうしてもレイリアが必要だ。
「・・・そう、ね・・・」
いいのだろうか。“自分”を優先させて動いて。そんな不安から、なかなか立ち上がれないイルアの手をそっと持ち上げたのは、セティエスだった。
「セティ・・・」
「前々からお伝えしたかったのですが・・・」
苦笑しながら立ち上がらせ、セティエスはイルアの目を覗き込んだ。
「お嬢様。“レーヴェ”は貴女お一人ではありませんよ。」
「・・・・・・!」
驚いて目を丸くした。それを見て、セティエスが柔らかく微笑む。
「バルクス家も、貴女お一人で守っておられるおつもりですか?」
「・・・セティ・・・」
そんなつもりはない。それを伝えたいのに、喉が震えて声が出なかった。
「俺たちがいます、イルア様。俺たちは貴女の分身みたいなものですよ。」
視線を横へずらせばヴィトが微笑んでいて、イルアは視界が歪んでしまった。
「っ・・・」
「泣いてんのかよ。」
「うるさいわよ!」
思わず俯いたところでガイアスに呆れられ、イルアは睨んでやった。すると、満足そうにガイアスが笑っていた。その笑顔に、涙がすっと引いていった。
(泣いてる場合じゃないわ・・・)
目を閉じて、気持ちを切り替える。
(・・・いや、そもそもまだ泣いてないわよ。)
深呼吸をして勇気を吸い込んだ。これは父から教わった“技”だ。
「・・・ありがとう。」
言ってから、目を開いた。
「レリィを連れ戻すわよ。」
三人がすぐに頷いた。
「私達でやれば大丈夫ですよ、お嬢様。」
セティエスも、ガイアスも、ヴィトも。迷いなく真っ直ぐに自分を見つめてきてくれる。そこにはイルアに対する絶対的な忠誠と、自らに対する自信が見えた。
(そうよね。)
今、改めて実感出来た気がする。
(私は・・・イルア=バルクスは・・・レーヴェは・・・)
「一人じゃないもの、ね?」
いつだって、支えられ、助けられてきた。この、頼もしい従者達に。イルアは悠然と微笑んだ。さっきまでの弱々しい姿はどこにもない。凛として力強い姿。その姿に頷いて、セティエスはにっこり微笑んだ。
「では、まずはしっかり休みましょう。お嬢様。ヴィトがお茶を淹れてくれましたしね。」
「あら、良い案ね!」
にっこり笑ったイルアを見て、三人ともほっと胸を撫で下ろした。
これでようやく、動き出す事が出来そうだった。