第十五話 合わさる視線
朝から乗り合い馬車に乗って、夕暮れ前には国境を越える事が出来た。馬車に乗り合わせた客はライオスを物珍しそうに見ていたが、彼の無邪気で気さくな態度に触れると、すぐに仲良くおしゃべりを始めた。
(ライオス様ってすごいな・・・誰とでも仲良くなれるのね。)
そんな事を思っているうちに馬車がゆるやかに速度を落とし、軽やかな蹄の音と共に停車した。
「さ、レイリア。どうぞ。」
「あ・・・」
先に他の客が降りるのを待ち、ライオスは一足先に降りてからレイリアへと手を差し伸べた。その姿が、バルクス家のお屋敷へ招かれた日のセティエスを思い出させる。
(・・・セティエス様・・・)
「あ、ありがとう、ございます・・・」
たじたじになりながらも、そうっとライオスの手に自分の手を乗せた。まるでどこかの令嬢になったかのように錯覚しそうになる。ライオスはレイリアの手が重ねられると、優しく、ゆっくりとその手を握って外へと導いた。
「着いたね!」
「・・・はい!」
優しい色合いの町並みが懐かしい。一気にお店の人達やバルクス家の人達を思い出して、堪える間もなく涙が零れ落ちた。
(あっ・・・駄目だ・・・ライオス様がいらっしゃるのに・・・)
涙を拭おうとして、自分の指先が震えていることに気付いた。それが抑えていた恐怖心からくるものだと思い当たって、余計に止められなくなってしまった。
(っ・・・!イルア様・・・リュミー・・・)
両手で顔を覆う前に、足から力が抜けてへたり込んでしまった。
「レイリア?」
慌てた様子でライオスが側に膝をついたのが分かった。でも視界が歪んでしまってはっきりとは見えない。
「どうしたんだい?」
そっと肩に手を置かれた。温かい体温がじんわりと伝わってきて、お屋敷の皆の温かさが蘇ってくる。するともう、言葉の代わりに嗚咽しか出なかった。
「レイリア・・・」
困り果てたライオスの声が聞こえる。
(止めなきゃ・・・ライオス様にこれ以上迷惑をかけられない・・・)
必死に止めようと思っても、なかなか上手くいかない。
「・・・いいんだよ、レイリア。」
思わぬ言葉に顔を上げると、ライオスの柔らかい笑顔と、行き交う人々が訝しげにこちらを見ているのが見えた。
「止めなくていいんだよ。涙はね。」
(ライオス様・・・)
迷惑をかけていると分かっても、そっと頭を撫でられると温かくて、少し心が落ち着くような気がした。ライオスはゆっくりと瞬いた。
「気が済むまで泣いたらいいよ。僕は大丈夫だから・・・気にしなくていいんだよ。」
「・・・ライオス様・・・っ」
思わずその腕に縋り付くと、ライオスがそっと包み込んでくれた。日だまりのような香りがふわりとして、リュミエルの滑らかな毛並みを思い出した。
(リュミー・・・!)
あの優しい瞳に、早く、早く会いたい。レイリアは声を殺して泣いた。
「あら、何かしら?」
馬車へ乗り込もうとステップを踏んだイルアは、ふと、遠くに人が集まっているのを見て首を傾げた。つられて顔を向けたユーセウスも、興味を惹かれた。
「なんだろうな。」
ちらりとセティエスを見ると、ウィルと顔を見合わせて承諾してくれた。
「では行ってみようか、イルア。」
「ありがとうございます、殿下。」
二人腕を組んで、従者二人に前後を挟まれるようにして進む。馬車を先導する為に同行していた騎士が二人、馬車の護衛に残された。イルアとユーセウス二人の護衛は、ウィルとセティエスで十分だ。
近づいていくうち、人の集まりは解けていった。その中心には一組の男女が座り込んでいて、男性が女性を慰めているようだった。その男性が優しく微笑み、女性の背を宥めるようにぽんぽん、と軽く叩くと、女性は顔を上げて、やがて二人は立ち上がった。その後ろ姿にはっとして、イルアは足を止めた。
「・・・イルア?」
イルアが息を呑んだのが分かって、ユーセウスはイルアの視線を追った。その先にいた女性が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「っ!」
(レイリア——)
はっと目を奪われた時だった。視界の横で、青銀色の柔らかな髪がふわりと動いた。
ぽんぽん、と背中を叩かれて、ようやく涙が止まった顔を上げた。ライオスは相変わらず優しい目をしている。そっと腕を引かれて立ち上がると、優しく手を握ってくれた。
「少しはすっきりしたかな?」
優しい眼差しや動作が兄を思い出させて、レイリアは自然と微笑んでいた。
「はい!・・・すみません、ライオス様・・・ご迷惑おかけして・・・」
「なに、気にする事はないよ。レイリアがちゃんと泣けて良かった。」
(ちゃんと泣けて・・・?)
なんだか不思議な言い方だと思ったものの、レイリアはこくりと頷いた。そうして、バルクス家を目指すため、振り向いた。
(えっ——)
そこには見知った人がいた。深い青色の瞳が驚いてこちらを見ている。その隣にいるのはユーセウスだ。彼も驚いてこちらを見ていた。従者のウィルと、セティエスもいる。
(これは・・・幻・・・?)
恋しかった姿を目の前にして、レイリアは夢なのかと思ってしまった。呆然としてしまう。しかし、イルアの表情が苦しげに歪むと、本物なのだと分かった。イルアがこちらへと走り出そうとした。
「イ——!」
その名前を呼ぼうとした、その時だった。どす、とにぶい音がすぐ側で聞こえた。
(え、なに——)
振り返ったレイリアのすぐそばで、ライオスが崩れ落ちる。
(え?)
慌ててその身体を支えようと動く間もなく、レイリアは恐怖に身を強ばらせた。
「やあ、レイリア。ちょっと遠出だよねぇ、これ。」
「っ——!」
にやりと狂気を目に宿して笑っているのは、仕事に行っている筈のラヴィアスだった。
(よりによって、ラヴィアス——)
この、狂気の瞳が。何よりも恐ろしく感じるのだ。ラヴィアスは、まだ青年とは言い難い身体で、軽々とライオスを支えていた。そして、レイリアの頬をそっと指でなぞる。
「ねぇ、大人しく一緒にいないとさぁ・・・あの人とか、襲っちゃうよ?」
「えっ・・・!」
背後を指差され、レイリアは戦慄した。
(イルア様!?ルセ様!?)
はっと振り返ったその目に、一瞬、ぞっとするような鋭く細い糸のような光が走った。その正体に思い当たる。
(リリィ!?)
まさか、本当にこの国まで来ていたのだろうか。
その糸の先はイルアとユーセウスへ向かっていた。
ひゅん、と空気を切り裂く音がわずかに聞こえた。剣を抜く為に動きそうになって躊躇う。攻撃の向かう先は、ユーセウスだ。
(公衆の面前で・・・イルア=バルクスが剣を振るう事は・・・!)
出来ない。けれど。
(セティ!・・・間に合わない・・・!)
ぞくりと心臓が震える。ユーセウスは国の宝で、敬愛する陛下の息子で・・・そして、かけがえのない友人だ。失えない。失う訳にはいかない。だから、そう。
(後はどうなってもいいわ!)
庇うしかない。自身をユーセウスの盾にしようと動いた——だが。
「っ!?」
キィン、と甲高い音が空気に溶けた。続いて二、三度。暗殺者の攻撃を弾いた人物を見て、イルアは我が目を疑った。
(これは・・・どういう事?)
「お嬢様!」
セティエスの鋭い声に我に返った。
(レリィ!)
「あーあ。結構優秀な盾がついてるじゃん。」
ラヴィアスは気怠げにそう言いながら、ほっと胸を撫で下ろしていたレイリアの腰を引き寄せた。その身体が恐怖で固まるのが分かって、楽しくて自然と笑みがこぼれる。レイリアの耳元へ口を寄せて囁いた。
「ね、レイリア。まだ俺たちと一緒にいるよね?」
びくりとレイリアの肩が跳ねた。ふわりとしたその髪に顔を埋める。
「・・・一緒にいてよ。」
レイリアの肩越しにイルアとユーセウスを見据える。その両脇にはそれぞれの従者が控えている。レイリアの頬に手を当て、そっと自分の方へ向かせた。
「いるって言って。」
「・・・・・・っ、ラ・・・ヴィ・・・アス・・・」
震えるレイリアの向こうで、イルアが顔色を変えてこちらへ一歩踏み出した。
すっ、と黒衣の少女が現れた。レイリアとイルアの、ちょうど真ん中だ。蜜色の艶やかな髪を揺らして現れたその少女は、イルア達を静かに見つめていた。一歩踏み出したイルアの足を止めるのに十分な、殺気を纏って。
(この子は・・・)
さっきの糸の持ち主だろう。レイリアの側にいる少年同様、まだ幼さの残る年齢だろうが、纏う殺気は一流だ。
「まだ、渡せない。」
「!」
少女らしく愛らしい声だったが、その目の鋭さは人を殺す事に躊躇いのない人種のものだ。
「あなたとセーヴィとの話しが終わってから。」
「・・・・・・」
腕に抱いているのはヴォルド・ドゥール。ドゥールの中でも凶悪で有名な種だ。そのドゥールが大人しく腕に収まっているという事は、彼女の実力は相当なものだろう。
「・・・分かった?」
にこりともしない。その目を睨み返し、イルアは唸るように答えた。
「レリィを傷つければ命はないと伝えなさい。」
「分かった。」
少女は一つ頷いて、あっさり踵を返して少年へ歩み寄って行った。
「イルア・・・」
戸惑うユーセウスの声に、イルアは詰めていた息を吐き出した。
「・・・腹が立つわねぇ、本当に。」
二人に連れ戻されるレイリアがこちらを振り返る。その目を見つめて、出来るだけ思いを込めた。
(レリィ・・・すぐに連れ戻すわ。負けないで・・・!)
レイリアが、小さく頷いたような気がした。
「逃げた?」
仕事から戻ってきたロシルが首を傾げた。それに苦笑する。
「そうなんだ。大人しい子なのに、結構無茶だよね。」
店はすでに閉店しており、セーヴィアスとロシルで夕食の準備をしていた。
「・・・で、リリィとラヴィが?」
「そう。本当はお前に頼もうと思っていたんだが、ラヴィが飛び出して行ったからね・・・。ラヴィとお前だと喧嘩になるだろう?」
「・・・・・・」
否定しないところが素直だ。そして、その後の行動も。
「迎えに行ってくる。」
「・・・・・・」
言っている間にもう動いてしまっていたので、セーヴィアスが声をかける暇もなかった。閉まる扉を見て、セーヴィアスは笑った。
「・・・まったく、人質の筈なんだけどね・・・」
「それにしても驚きましたね。」
王城に戻ったイルア達は、一度ユーセウスの自室へと集まった。そこで、セティエスが今だ感心した様子でそう言った。
「本当ねぇ・・・」
イルアも感心しながらユーセウスの隣を見つめる。
「・・・え?」
そこには、イルアとセティエスに見つめられて縮こまるウィルがいた。
「俺ですか?」
おろおろと自分を指差すその姿からは、先程リリィの糸を退けたとは想像出来ない。
「あなたよ、ウィル。あんな技どこで?」
こうして間近で見ていても、まさかあんな俊敏な動きの出来る男だとは思えない。しかし、糸を弾いた腕は相当のものだ。おろおろするウィルに代わって、ユーセウスが笑いながら答えた。
「ウィルはサーカスから引き抜いたんだ。さっきの技に惚れ込んで、な。」
「ほ、惚れ込むだなんて殿下・・・!その・・・お役に立てて光栄です・・・」
褒められたのが嬉しいのか、はたまた恥ずかしいのか、ウィルの目がちょっと潤んでいる。
「あれだけの腕があるなら、殿下の従者は十分勤まるでしょうね。」
「イルア様・・・!ありがとうございます!」
がばりと頭を下げたウィルに笑って、ユーセウスは部屋を出るように促した。
「ではウィル。父上に今日の報告を頼む。」
「はい、畏まりました!」
一礼してウィルが部屋を出たのを確認すると、三人は額を寄せ合った。
「あの少年と少女が、シュル・ヴェレルの一員なのか?」
「・・・ああしてレリィを連れ去ったのだから、そうだとは思うけれど・・・」
けれど、あの殺気は。
「・・・シュル・ヴェレルは・・・我々が思っている以上に、危険な一団のようですね。」
セティエスの言葉にユーセウスは眉根を寄せる。イルアは小さく頷いた。
「・・・殿下も見たでしょう?あの子。ヴォルド・ドゥールを従えているし、二人とも並の殺気ではなかったわ。」
「・・・確かにな。あの糸は脅しではなかった。・・・あそこで俺を殺しても問題はない、という感じだったな。」
「厄介ね。・・・なんだか・・・」
あの殺気。セーヴィアスという男からの手紙。
「なんだか・・・レーヴェと同類のような気がしてきたわ・・・」
「同類だって?」
とたんにユーセウスの声が不機嫌になって、イルアはきょとんとして顔をあげた。
「イルア、お前はあいつらと同類だと、本気でそう思うのか?」
レイリアを誘拐し、人を殺す事を平気でやってのける彼らと。その目の怒りに気付いて、イルアは嬉しいのか泣きたいのかよく分からない気持ちになった。
「・・・ごめんなさい・・・」
それだけ言うのが精一杯だった。他に言葉が浮かばない。
「そうですよ、お嬢様。レリィが今の言葉を聞いたら、泣いてしまいます。」
「・・・セティ・・・」
同類だなんて。レイリアを今怯えさせている彼らと、同類だなんて・・・。
(違うわよ。私は。)
イルアは一度目を伏せる。こんなに弱々しい自分がいるなんて思いもしなかった。自分は、もっと強いと思っていたのに。
(違うわ。だって・・・レリィが側に居るのと居ないのじゃ、全然違うもの。・・・私は・・・お父様やお母様が安心出来るように、強くいただけなのよ。本当は・・・)
今だって、人を殺す事が怖いのだ。
「・・・・・・そうよね。違うわ。」
ユーセウスとセティエスの目を見つめ、にっこり微笑む。
「本当、レリィが関わるとセティは意地悪よね。」
それを受けて、セティエスもにっこり微笑んだ。
「それだけお嬢様が、レリィに弱い、という事ですよ。」
「・・・それって、私だけじゃないような気がするのだけど?」
そういって二人を睨むと、二人は顔を見合わせて笑った。
結局、皆がレイリアに弱いのだ。