第十二話 心を動かすもの
「あら、シールス様。」
驚いて目を丸くしていると、シールスはにこりと笑って近づいてくる。
「どうかされたのですか?」
言われて、思わず令嬢達を振り返った。すると彼女達は少し青ざめた顔で、しかしどこかうっとりとシールスを見つめている。イルアがどうしたものかと戸惑っていると、我に返った令嬢達が慌てて表情を取り繕った。
「あ、あら、シールス様!ごきげんよう。」
「リアナ嬢。こんにちは。セルマ嬢。ニア嬢。ご機嫌麗しゅう。」
穏やかに笑って会釈するシールスに、令嬢達は頬を染める。
「皆さんでどうされたのですか?」
「わ、わたくし達は・・・」
とっさに言葉に詰まったリアナ嬢を、シールスは淡く微笑んだまま待つ。
「・・・少し、お話していただけですわ。ね?イルア嬢。」
目に力を込めてそう言ってくるので、イルアはにこりと笑って答えてあげた。
「ええ、その通りですわ。」
その返答に彼女達はほっとした様子で頷き合った。
「それではイルア嬢。シールス様。わたくし達はこれで失礼致します。」
「ええ、また。」
先程とは打って変わって朗らかに笑って去って行く令嬢達を見送って、イルアはシールスに向き直った。深緑の瞳がイルアを見つめていた。
「このような所を通られるとは思いませんでしたわ。」
くすりと笑ってそう言うと、シールスが素知らぬ顔で笑った。
「そうですか?私だって馬車に乗る事もあるんですよ。」
くすくすと笑い合って、シールスは首を傾げた。
「それで、イルア嬢と殿下は本当にただの友人なのですか?」
思わぬ事を言われて、思わずまた目を丸くした。
「まあ・・・シールス様までそのような事を気になさるのですか?」
笑ってしまった。するとシールスはおどけて肩をすくめてみせる。
「いえ、聞いてみただけです。そのご様子では何もなさそうですし。」
あっさりとした態度に思わず心の底から笑ってしまう。こういうところはエルフィアに通じるところがある。
(この方は、本当にさっぱりとしていて面白い方だわ。)
そんな事を思っていると、シールスがちょっとだけ姿勢をかがめてイルアと目線を合わせた。
(・・・?)
不思議に思っていると、すぐに姿勢は戻される。
(他の男性だったらここぞとばかりにどんどん近づいてくるけれど・・・やっぱり、違うのねぇ。)
一人心の中で頷いているなど露知らず、シールスがどこかほっとしたように微笑んだ。
「・・・どうやら少し元気が出たみたいですね。」
「・・・・・・え?」
驚いて見つめてしまうと、深緑の瞳が明るく笑っていた。
「最近は少し落ち込んでおられるようでしたから。表情が少し明るくなったようで、安心しました。」
「・・・・・・まあ・・・」
セティエス以外に、イルアの内面の心を見てとれる人がいるとは思わなかった。だから、なんと言っていいか分からない。どう反応したものかと困ってしまう。取りあえず笑顔を作ってみた。
「・・・落ち込んでいるように見えました?」
ごまかすように聞いてみると、ちょっと困った顔で返された。
「ええ、少し。・・・勘違いでしたらすみません。不愉快にさせてしまいましたか?」
「あ・・・いいえ。そんな事はありませんわ。」
少し躊躇って、イルアは困りきって笑った。
「実はちょっと、落ち込んでいました。」
「・・・そうですか。」
「ええ。・・・でも、ちょっと立ち直ったのですよ。」
「そのようですね。」
お互いになんだか気恥ずかしくなって、黙ったまま笑った。
「・・・私に協力出来る事があればおっしゃって下さい。」
「シールス様・・・」
気遣いは嬉しいのだが、打ち明ける訳にもいかない。するとシールスはくすりと笑った。
「訳は聞きません。」
「え?」
自分に都合良く聞こえただけだろうかと、イルアは耳を疑った。
「訳は教えて下さらなくて結構です。ただ、どうして欲しいと言って頂ければ。」
「・・・・・・・・・」
(すごい事を仰るわね・・・)
こんな都合の良い協力が得られるわけがない。だが、シールスにやましい気持ちがあるとはあまり思えない。
「・・・ありがとうございます。その時はお願い致しますね。」
にっこり笑ってそう言うと、シールスは小さく頷いた。
馬車へイルアが戻ると、セティエスはすでに中で待っていた。
「少し遅かったですね、お嬢様?」
「あら、そう?」
手を引いてもらって椅子へ座る。向かい合ったイルアの表情が少し明るく見えて、セティエスは安堵しながらも首を傾げた。
「どなたにお会いしたのですか?」
「いつものご令嬢方よ。」
くすくす笑うイルアは楽しそうだ。
「またいじめ返したのですか?」
「あら、なあにセティ。私が喜んでいじめられているみたいな事を言わないでもらえるかしら?」
動き出した馬車に揺られながらイルアが睨むと、セティエスはくすくす笑った。
「違うのですか?」
「違うわよ。」
むくれた横顔を眺めてセティエスは今一度訊ねた。
「それで、その後どなたにお会いしたのですか?」
「・・・・・・」
イルアは黙って外の景色を眺めた。
(別に・・・隠すような事ではないけど・・・)
けれど。なんとなく、言わずにいたいと思ってしまった。
「・・・さあ、誰かしらね?」
楽しそうに笑うイルアに、セティエスは目を丸くした。
(お嬢様・・・)
まるで幼い子供のように笑うイルアを見ていると、自然とセティエスの口元も緩んでくる。
(・・・どなたなのかは、また追々探ってみるとするか・・・)
少し言葉を交わすだけでイルアの心を軽く出来る相手は、セティエスが知る限り、レイリアくらいのものだ。だが、今イルアが話してきた相手はレイリアに匹敵する相手なのだろう。
(それが男なら・・・先が期待出来る。)
王の心労も減るというものだと、セティエスは笑った。
その頃——。
レイリアはいつもの事となってしまった店番をしていた。
「いらっしゃいませ、お嬢さん方。お似合いの一品を探してみませんか?」
セーヴィアスが道行く女性に笑いかければ必ず店にお客が入った。
「わあ、たくさんありますね!」
今も四人組の娘がセーヴィアスに促されるまま、店へと入って品定めをしている。レイリアはもっぱらお会計をする役割だ。
(すごいなぁ・・・セーヴィアスさん。なんであんなにお客さんを呼び込めるんだろう?)
敵陣にいるとは分かっているものの、商売だけは真面目にしているようで、それを見ていると素直に感心してしまう。
(私も頑張・・・ってだめだめ!)
つい見習わなくちゃと思ってしまうが、頭を振ってその考えを頭から追い出す。
(ここは敵陣!頑張る方向が違うんだから!)
脱走しよう脱走しようと思ってはいるものの、いつも必ず誰か側にいるので、少しも隙がない。
(まあ・・・隙があっても私じゃあ分かんないかも・・・)
と、ちょっと落ち込むが、すぐに自分を奮い立たせる。
(だ、駄目!そこはちゃんと頑張らなくちゃ!)
もやもや考えているレイリアの前に、ふと影が落ちた。
(あれ?)
「やあ、こんにちは。」
顔を上げてみると、もう馴染みになっている青年の爽やかな笑顔があった。
「ライオス様!こんにちは!」
慌てて笑顔を向けると、表情の変化に気付いた様子もなく、にこやかに話しかけてくる。
「今日はリリィはいないのかい?」
きょろきょろと店内を見回すその目には、やはりちょっと熱がこもっている。
「・・・あの、はい。リリィは出張中で・・・」
いいながら店内を振り返ったレイリアは、一旦視線をライオスに戻したのだが、すぐにある事に気付いてもう一度振り返った。
「どうかしたかい?」
不思議そうに訊ねられ、レイリアは急いで頭を働かせた。
セーヴィアスが大勢の女性に囲まれていたのだ。その姿が埋もれそうな程の数の女性に。
(今日、リリィは一日出かけるって言ってたし、ラヴィアスとロシルはお仕事だって言ってた。・・・って事は、今が・・・チャンス?)
ちらりともう一度セーヴィアスを確認すれば、あれこれと話しかけられていて、それに応えるのに専念している。熱心な女性達のおかげでしばらく身動きが取れそうになかった。
(チャンスだ・・・!)
一瞬、リリィに見つかった時の恐怖が蘇るが、ぐっとそれを押さえ込んでライオスを見上げた。
「あ、あの!リリィなんですが、今日は出かけているんです!」
「そうか、残念だね・・・どこへ行ったか分かるかい?もし出来るなら、会えなくてもいいから追いかけたいんだが・・・」
(よ・・・よし・・・!やるしか、ないっ!)
レイリアはぐっと両の拳を握りしめた。
(ライオスさんには悪いけど・・・!)
「はい!あの、私で良ければ途中までご案内します!」
出来るだけ不自然にならないよう、声を抑えてそう主張する。と、ライオスの笑顔が華やいだ。
「本当かい?じゃあ、よろしく頼むよ。」
(やった!)
握った拳に喜びを押さえ込んでいると、それを揺るがすような問いを投げかけられた。
「でもお店はいいのかい?」
(うっ・・・!)
怯んだものの、ここで引く訳にはいかない。
「だ、大丈夫です!その、店長がしっかりしてますから!」
ぐっと声を抑えて身を乗り出すと、ライオスは驚いて瞬きをした後、にっこり微笑んで言ってくれた。
「それなら、お願いするよ!さあ行こうか!」
「はいっ!」
(やった!イルア様、今行きます!)
お店を出る時にもう一度確認したが、セーヴィアスは今だ女性達と談笑していて、こちらに気付いた様子はなかった。