第十一話 王城のイルア
「攫われた!?」
城の一室。ユーセウスの自室にて、部屋の主は思わず大きな声を出していた。
「しっ!静かにして。」
イルアが顔を寄せて促すと、ユーセウスは慌ててヴィトに目をやった。
「大丈夫です。気配はありません。」
ほっと息を吐いて腰をおろす。イルアも、対面に腰をおろした。
今日、イルアは三人も一緒に連れて王城へ来ていた。しかし王ではなく、ユーセウスに相談する事にしたのだ。よって、事情を知らないウィルは閉め出した。
「父上には?」
「報告していないわ。・・・お心は違うでしょうけど、レーヴェの主として言われる事は分かっているもの。」
「・・まあ、確かにそうだな・・・。」
レーヴェは影の存在だ。決して表へ出す事は出来ない。それだから、バルクス家の侍女が攫われたと騒ぐわけにもいかない。そんな理由で王が動くわけにはいかない。
結果、王はレーヴェであるイルアに、レイリアを助けに行ってやれ、とは言えないのだった。
「そんな事を言わせて傷つけるのも嫌だもの。」
王が娘のように思ってくれているように、イルアも王を父のように慕っている。だから、余計にそんな事は言わせたくなかった。
「・・・それで?誰の仕業か分かったのか?」
聞くと、イルアはこくりと頷いた。
「今朝これが届いたの。」
イルアが差し出したのは、二枚の封筒だった。一つは流麗な字が、一つは素朴な印象の字で宛名が書かれていた。
「お前宛てだな?」
「ええ。これを読んでみて。」
「・・・・・・」
手渡された封筒を眺め、ユーセウスはさっそく中の便せんを取り出した。
「これは・・・」
一通目に書かれていたのは、レイリアからイルアへ宛てた手紙だった。隣国にいる事、無事でいる事、ひどい扱いは受けていない事が書かれていた。
「良かった・・・無事でいるようだな・・・」
ほっとして思わず口元が緩む。イルアも小さく頷いた。
「問題はもう一つの方よ。」
「・・・・・・?」
さっと文面に目を走らせる。その内容に目を見張った。
「・・・これは、何故・・・」
セーヴィアスからイルアへ宛てた手紙。そこには、セーヴィアスがある国の王の暗殺者であった事、今はシュル・ヴェレルである事、そして…レーヴェと話しがしたい旨が書かれていた。
「お前がレーヴェだと知っているというのか?」
険しい顔で訊ねてくるユーセウスに、イルアは首を振った。
「分からないわ。けれど・・・おそらくは分かっているのでしょうね。でなければイルア=バルクスの侍女を攫う意味がないでしょう?」
「・・・一体どうやって・・・」
すると、扉付近で待機していたヴィトが口を開いた。
「殿下。相手は俺・・・私と同じ、獣族を仲間に加えているようです。」
「何・・・?」
ユーセウスの目が見開かれる。
「殿下。元一軍兵士のバーレクを覚えてる?」
イルアに問われてユーセウスは記憶を弄った。
「バーレク……バーレク=レファルトか?確か・・・魔獣討伐で足を負傷したと聞いている。」
「ええ。そのバーレクは今、擁護院にいるのだけれど…レリィが攫われた時に城下町で見つかったの。」
「“見つかった”?」
おかしな言い方に首を傾げる。と、イルアの眼光が鋭くなった。
「ええ。その足にひどい傷を負って…まるでヴィトを足止めするように、意識を失った状態で裏路地に放置されていたの。出血が酷くて…とても“普通の”治療で助からなかったから、蜜で治したわ。」
「・・・・・・そうか。酷い事をするものだな・・・」
もともと負傷していた足を狙うとは。ユーセウスの目から穏やかさが消え失せた。そうしてみると、いつもの穏やかな、おっとりした雰囲気はなく、一介の武人にも見えた。
「それで?」
「おそらくその獣族が、我々の話しを聞くなりしてレーヴェの正体を掴んだのではないかと・・・」
「そうか・・・お前達の能力を持ってすれば、容易い事かも知れないな。」
「・・・・・・・・・」
ユーセウスの言葉に、わずかに顔を俯かせたヴィト。それに気付いてイルアがユーセウスをねめつけた。
「ちょっと。ヴィトをいじめるつもり?」
「は?」
「イ、イルア様・・・」
慌てるヴィトをよそにイルアはユーセウスの額に人差し指を当てた。よく分からないが逆らわない方がいいだろうと、ユーセウスはイルアの言葉を待った。
「もうちょっと言い方に気をつけて欲しいわね。」
「・・・・・・」
すっと指が離れる。その奥に見えるヴィトと目が合って、ユーセウスは僅かに目を伏せた。
「すまなかった。配慮が足りなかったな・・・」
「い、いえ。どうかお気にならさずに・・・」
戸惑って焦るヴィトに、セティエスがくすりと笑みをもらした。
「まあそのくらいで許してあげるわ。」
「・・・イルアが言う事ではないだろ?」
「あら、私がヴィトの主人ですもの。おかしくはない筈よ?」
ふふん、と胸を反らすイルアに、ユーセウスは堪えきれずに笑みをこぼした。
「相変わらずだな、イルアは・・・」
応えてイルアも微笑んだ。
「それでね、殿下。協力して欲しいの。」
「ああ、どうするつもりだ?」
「シュル・ヴェレルで買い物をしたいから、今度いつこの国へ来るのか調べて教えて欲しいの。」
「・・・なるほど、買い物か。」
「ええ。」
にっこり微笑んで言葉を続ける。
「それでね、来られないのならこちらから出向きたいのだけれど、機会を作って頂けないかしら?」
こうして微笑んでいると、どこからどうみても育ちの良いお嬢様にしか見えないだろう。ユーセウスはくすりと笑って、イルアと視線を交わし合った。
「分かった。期待に添えるよう、尽力しよう。」
そうしてくすくすと顔を寄せて笑い合う二人を見て、三人は思った。
(((・・・やっぱりこの二人は友人であって、間違っても恋人にはならないだろうな・・・)))
と。
その二週間後。イルアは淑女の笑みを浮かべ、とある令嬢方の前に立っていた。いや、正確には令嬢方に進路を塞がれた、というのが正しいだろう。
(やっぱり誰かと一緒にいた方が良かったかしら?)
小首を傾げてみせると、彼女達は吊り上がった眦をさらに吊り上げた。
(面倒ねぇ・・・)
「どうして殿下が貴女と買い物をなさるのか、と聞いているのですよ。イルア嬢。」
目の前に広がり道を塞いでいるのは、イルアと同じように貴族の娘達だ。ユーセウスは側室をとっていない為、貴族令嬢の闘いは非常に過酷なものとなっている。
そして、ユーセウスと親しいイルアは標的にされているのだった。
「何か、いけなかったかしら?」
わざとにこりと微笑んで小首を傾げてみせる。と、先頭に立っている令嬢がぴくりと眉を跳ね上げた。
「殿下が今だ妃を娶っておられない事、ご存知でしょう?その状況での殿下とのお出かけが、なんの意味も持たないわけがないじゃないの!」
「・・・そうでしょうか?前にもお伝えしましたけれど、わたくしと殿下は良き友人であって恋愛感情はないのです。リアナ嬢。ご安心下さいませ。」
「安心ですって?」
それを聞いた他の令嬢達がざわめく。イルアはにこりと微笑みながらもまいっていた。
(セティを先に馬車へやったのがよくなかったわね・・・)
「イルア嬢。殿下の妃になる事を望むものは多いのです。それは、ご理解頂けているのかしら?」
「ええ、存じておりますわ。」
神妙に頷いてみせる。と、リアナ嬢は諭すようにしっかりと言葉を放った。
「でしたら。不用意に殿下にお近づきになるのはお止めなさいませ。悪戯に他の令嬢達の不安を煽るものではありませんわ。」
(面倒ねぇ・・・自分から近づけばいいじゃないの。)
「ですが・・・リアナ嬢。今回は殿下からの直々のお誘いですし・・・頼りにされては無碍に断れませんわ。それはお分かり頂けますか?」
「当たり前です!殿下のお誘いを無碍には出来ません。ですが、イルア嬢!貴女は断るべきでしたわ。殿下に恋心がなく、お家も地位には拘らないというお話だったのでは?それならば殿下の将来と私たちの事を考えて、お断りするべきです!」
「・・・・・・」
だんだん疲れてきてしまった。いつまで淑女スマイルを保てるか分からない。
(皆で足を引っ張り合っているから、誰も貴女達を殿下に近づけようと思わないのではない?こんな浅慮な人達を殿下のお側にはおけないものね。)
困ったように微笑んで黙り込んだイルアを見て、彼女達は嘲るように笑った。
「あら、どうなさいましたの?まさかわたくし達に偽りをおっしゃっていたわけではないでしょう?」
「・・・・・・」
(本当に・・・面倒ねぇ・・・)
イルアには理解出来ない思考回路に、現実逃避したくなる。
「イルア嬢。黙っていないで返答を聞かせて頂戴。」
「・・・・・・」
(どうしようかしら・・・)
「・・・これはイルア嬢。」
(えっ?)
聞いた事のある声が聞こえてイルアが目線を正面に戻すと、彼女達は驚き焦った表情でイルアの背後を見ていた。慌ててイルアも振り返る。
すると、そこには明るく穏やかな雰囲気をまとった男がいた。