第一話 揺らめく安息
レイリアがバルクス家へ迎え入れられて、二度目の春がやってきた。
去年もまた、イルアの誕生日にはたくさんの贈り物が届き、ほとんどが速やかに擁護院へ送られていった。毎年の事らしいのだが、やっぱりちょっと、贈り主が可哀想に思えてしまう。
が、イルア曰く。
『適材適所よ。その方が無駄がないでしょう?』
と、にっこり微笑まれた。
広い庭の草むしりをしながら、レイリアは外壁に沿って植えられた、白い蔓薔薇を見てぼんやり思いを馳せていた。
(そう言えばエルフィア様……イルア様のお考えを察して、こんなにたくさんの薔薇の種を贈られたのかな……)
レイリアが来て最初の秋。冬へ移り変わろうとする季節に迎えたイルアの誕生日に、エルフィアはあの白い蔓薔薇の種をたくさん贈ってきたのだ。城の庭師に聞いて白い蔓薔薇だと判明した時、どこへ植えようかうきうきしていたレイリアに、四人は言った。
『侵入者避けにぴったりだ!』
と。
その用途に少々がっくりしたレイリアだったが、種が芽吹いて蔓が煉瓦の壁に沿って伸び出すと、その風景の綺麗さに感嘆した。
(よし……!お庭へ出たら一息つきたくなるように、綺麗にしてみせる……!)
そう決意して、今日もせっせと草むしりに励んでいる。
(そう言えば……)
手を動かす側からあれこれと思いを馳せてしまって、広い庭の草むしりが五日以上かかってしまうのはこのせいだと、後になって落ち込むのは自分なのだったりする。
(イルア様、エルフィア様と遠乗りに行かれる事もあるけど、たまーにシールス様とも行かれるのよね……ひょっとして)
「レリィ?」
「わっ!」
突然、至近距離で声をかけられて、驚いて飛び上がり、尻餅をついた。
「いた……」
「大丈夫!? ごめん、びっくりした?」
ひょい、と軽々レイリアを引っ張り起こしたのはヴィトだ。見たところそんなに力持ちには見えないのだが、かなりの力持ちだ。
「うん、びっくりした……ありがとう」
「痛い?」
心配そうに聞かれて、大丈夫、と微笑んだ。
「それで、何をぼんやりしてたの?」
聞かれて小さく笑う。
「あの蔓薔薇ね、たくさん種を下さったでしょう? エルフィア様が」
「うん、そうだね」
言われてヴィトは、まだ若い蔓薔薇を眺める。細い蔓に小振りの薔薇を咲かせる様は、なんだか奥ゆかしく思えて、すぐに愛着が沸いた。
「皆はすぐに“侵入者避けに”って言ってたでしょう?」
くすくす笑い出したレイリアに首を傾げ、ヴィトは頷いた。
「……うん。それがどうかした?」
「うん、あのね……エルフィア様は皆がそう言うことを見越して、たくさん種を下さったのかなぁって思って」
言われてヴィトはきょとんとした後、一緒に笑い出した。
「きっとそうだね。あの方もイルア様と同じように“対・〜”って考えが基本だから」
エルフィアの贈り物はいつもそうだ。可愛らしい意味だとありはしない。
シレイーー豹の様な、真っ白な毛並みに茶斑の模様を持ち、緑の目をした美しい獣だーーをイルアへ贈った理由とて、“イルアに色惚けする野郎どもを蹴散らす為”だったりしたのだから。
リュミエルと名付けられたそのシレイは、あいにくとレイリアを主人としてしまったが。
「考え方が似ているから、とっても仲が良いのよね、お二人は!」
まるで自分が言われたかのように、レイリアはとても嬉しそうに笑う。それを見て、ヴィトはちょっと心が疼く。
レイリアはいつもそうだ。自分の好きな人が幸せである事が、心から笑顔である事が、彼女の喜びなのだ。だから、その笑顔は温かく、見ていると心から癒される。
「レリィもお二人と仲が良いじゃないか」
「え?」
言われてレイリアは驚き、そして、嬉しそうにはにかんだ。
「そ、そう? ……そうかなぁ」
(そんなに嬉しそうに)
ヴィトは思わず視線を泳がせた。じっと見ているとまずい気がする。
「さ、早く今日の分を終わらせよう。俺も手伝うよ」
「あ、うん。ありがとう!」
これまた嬉しそうに微笑まれて、ヴィトもにっこり笑い返した。
「今日はセツキに乗るんだっけ?」
言った途端、レイリアはぎくり、と身を強ばらせた。ちなみにセツキというのは馬の様な獣で、しかし身体は肉食獣のようであり、鋭い牙もあれば、脚には蹄ではなく五本指があった。その鋭い爪はしっかりと地面を掴む。
そんな獣に乗るんだろうと言われ、レイリアはぎこちなく頷いた。
「う、うん」
その緊張ぶりを見て、ヴィトは騎獣舎を眺めやった。
(これはまた、ガイアスが苛々しそうだな)
元が軍人だったからなのか、ガイアスは教えるとなると鬼だ。人よりのんびりした性分のレイリアは、みっちりしごかれる羽目になっていた。
「はあ……」
「お嬢様。溜息など、淑女のする事ではありませんよ」
「分かってるわ、セティ。けれど出てしまったのだから仕方ないでしょう?」
「では、せめてお屋敷に戻るまではお止めください」
「……はーい」
にこりと微笑んでお説教をするセティエスに、イルアは肩をすくめた。しかしセティエスの小言がなければ、イルアが“お嬢様”でいられるかどうか疑問だ。
「でもねぇ、セティ。貴方も嫌な気分にならない?」
そう言って少し後ろを振り返ると、セティエスが困ったように微笑んだ。
「シュル・ヴェレルの事ですね」
全国を巡り行く商人一団、シュル・ヴェレル。その一団が通った後は、必ず何か事件が起こっているのだ。疑わしいにも関わらず誰も裁けないのは、例えば現場が、彼らが絶対に立ち寄れない場所であったり、彼らと関わりがない者が被害者だったりするからだ。
それなら何故、彼らが疑われるのかというと、全員、現場不在証明があるにも関わらず、何故か現場で似た人物が見かけられているからだ。
「胡散臭いわよねぇ」
不機嫌そうに細められた瞳は長い睫毛に縁取られ、何人もの異性を虜にする魅力がある。しかしそのイルアを幼い頃から知っているセティエスには、それほど魅了の効力はない。それに、鋭い眼光は“お嬢様”ではなく“悪魔の蜜”のもの。なので。
「お嬢様。そのような言葉を選びませんよう」
特に考えもなくするりと窘める言葉が出てきた。
「むー……分かってるわ」
「本当ですか?」
疑わしげに見やると、イルアはにこりと笑ってごまかした。ついでに話しを戻す。
「だって、セティ。隣国に今来ているのよ? やっぱり少し不安じゃないの」
「それはそうですが……今の所は何も起こっていないと、陛下も仰られていたではありませんか」
「今は、ね。だけどこの前は三つ程向こうの国で、やっぱりシュル・ヴェレルが通り過ぎた後に事件が起こっていたじゃない?」
「……確か、若い娘が数人、行方不明になったのでしたね」
セティエスは細い指を顎にかけ、しばし考え耽る。そんな様子に惚ける娘が何人いただろうか。だがこちらも、長く共にいるイルアにとっては、そう魅了されるものでもない。
「まあ、今のところはこちらへ入国する動きもないようだから、そんなに警戒する必要もないわよね」
そう言って苦笑するイルアに、セティエスも微笑んだ。
「そうですね。取り越し苦労は止めておきましょう」
そう。レーヴェは自国の不祥事を片付ける為にいる。不穏な噂ある商人一団に、必要以上に警戒する必要もないし、所詮は商人だ。全力で調査する事があればすぐに正体を明かせるだろう。
だから、そんなに警戒する事もない筈だ。
ーーそう、思っていた。