第8話 なんで泣いてるんですか?
紅月ほむらという名前をYouTubeで検索してみると、意外にもすぐ出てきた。
チャンネルの登録者は、約1万人。動画の投稿はほとんどなく、ライブ配信を主な活動にしているためか、過去のライブ配信のアーカイブが多く残されている。
さらっと配信タイトルを見ていけば、どれも雑談配信と書かれている物ばかりで、かなり偏った配信活動をしているらしい。
今時のVtuberならゲーム配信をメインにするものだと思っていたが、おそらく雑談配信だけで活動してるVtuberは珍しい部類に入るだろう。
活動期間は、初配信の日付から逆算できた。約半年、まだ始めたばかりと言える程度しか経っていないが、雑談配信だけでチャンネル登録者を1万人も集めたのは素直にすごいと言うべきかもしれない。
もしかするとSNSなどで知名度を上げたのかもしれないが、それを踏まえたとしても視聴者にチャンネルの登録をさせることは難しい。そもそも配信自体が面白くなければ、知名度があっても視聴者は登録なんてしない。
それだけ、彼女の配信が面白いと思われているのだろう。ほぼ毎日配信しているのにも関わらず、各配信の再生数は常に安定した数字が表示されている。
ここまでの成果を個人でよくやるなと思う葵だったが、紅月ほむらのチャンネルページを見ていると意外なことが書かれていた。
――MiraiPaletteの1期生、紅月ほむらと。
どうやら彼女は企業に属するVtuber、つまりは企業勢のVtuberだったらしい。
そこまでが葵の調べることができた、紅月ほむらの情報だった。
本来なら知る必要もなかったことを、どうして調べる羽目になったのか。
それは、今から葵が会う人物のせいだった。
◆
「――こんな遅い時間に来てもらってすまなかったね。はじめまして、大宮葵君。君のことは娘からよく聞いていたよ」
はたして、今の状況はなんだろうか?
テーブルを挟んで座っている大人の男性を前にして、堪らず葵が引き攣った笑みを浮かべでしまう。
どうして今、自分は高垣朱里の家に居て、彼女の父親と対面しているのだろうか。
「あ、いえ……別に明日は学校も休みで、予定もなかったので」
「そう言ってもらえると助かるよ」
気さくに微笑む彼女の父親に、とりあえずと葵が愛想笑いを返す。
そんな彼に、彼女の父親は思い出したかのように口を開いた。
「あぁ、自己紹介が遅れてすまない。僕の名前は高垣康生だ。そこにいる娘の朱里の父親で、一応だけど娘の所属しているVtuber事務所の責任者を担当させてもらってるよ。まぁ僕のメイン業務は別なんだけどね」
そう言って康生が楽しげに笑うが、葵には一体なにが面白いのかまったくわからなかった。
とりあえず、この状況を説明してほしい。
そう思いながら、葵が助けを求めて隣に座る朱里へ視線を向けるが……どうにも彼女は話せる状態ではなかった。
「……」
今も、朱里は顔を真っ青にして俯いているばかりだった。
「あの……なんかあなたの娘さんがものすごく困ってるみたいですけど」
流石に心配になった葵が、恐る恐ると康生に話しかける。
そんな葵に、康生は苦笑交じりに答えていた。
「そんなの決まってるさ。部外者の君に、会社の社外秘となる大事な情報を漏らしたんだ。しかも話しただけならまだしも、見られてしまったとなれば怒られて当然だ。なにかしらの処罰だってあり得る話だからね」
「え……?」
社会に詳しくない葵だが、社外秘の情報を漏らすことの重大さは理解できた。
しかし困ったことに、葵には心当たりがなかった。
そんな話を聞いた覚えもないし、見た覚えもない。
一体、この人はなんの話をしているのだろうか?
「えっと、それって一体どういう……?」
「ん? 君は朱里からなにも聞いてないのかい?」
意外そうな表情を見せる康生に、困惑した葵が頷く。
その反応に、康生は少し驚いた表情を浮かべていた。
「……なるほど。だから娘が言っていたのか、ほむらが勝手に行ってしまったって」
葵の頷きに納得できたのか、そう呟いた康生が何度も頷く。
その姿を呆然と葵が眺めていると、おもむろに康生が右手を彼に差し出していた。
「大宮君、ちょっと君のスマホを見せてもらえないかい?」
「良いですけど、俺のスマホ。変なのいますよ?」
今も葵のスマホには、ほむらが居座っている。
そもそも、こうして葵が朱里の家まで来ることになったのは、このほむらが原因だった。
つい先程、葵の家で朱里が父親からの電話を受けた後、彼女は慌てて帰ろうとしていた。
当然、当初の目的だったほむらを回収して帰ろうとしていたのだが――
なぜか、ほむらがまったく帰ろうとしなかったのだ。
葵のスマホに居座ったまま、ここから出ないと癇癪を起こしてしまい、どうすることもできなくなった朱里から一緒に家まで来てくれと懇願されて、今に至る。
本当なら葵も行きたくはなかったが、ほむらがスマホに居座っている上に、朱里が本当に困ったと頭を抱えてる姿を見て、渋々と来るしかなかった。
ほむらについて調べたのも、これから会った時に色々と話があるからと彼女の父親から伝言を受けた朱里に言われて、仕方なく調べた。
これも朱里から聞けば良いだけの話だったのだが、父親から電話を受けてからの彼女は慌てるばかりで、まともに話ができる状態ではなかった。
そんなことが色々とあって、この場にいる葵なのだが……いまだにわからないことがあった。
なぜ、ほむらが自分のスマホから消えないのか。というよりも、やはり彼女の反応は奇妙でしかない。
葵のスマホから消えることもなく、そして自分の我儘を押し通そうとする様子は、紛れもなく子供の反応でしかない。
紅月ほむらというアバターは、聞くところによると朱里がVtuber活動で使っているモノだ。彼女が動かしてないとなると、他の誰かが動かしていると考えるべきなのだが……一体、誰が動かしているのだろうか?
その疑問にも、朱里はまったく触れなかった。むしろ、それが当然のような反応をして、ほむらと会話していたくらいだ。
まるで、彼女が生きているとでも言っているような。
それが葵には、今でもまったくわからないままだった。
「むしろ僕は、君のスマホにいる変なのが見たいんだよ」
早く見せてくれと、康生の手が催促してくる。
その手に、葵が渋々とスマホを渡した途端、康生の目が一際輝いたような気がした。
「……ほむら? 聞こえたら返事をしてもらえないかな?」
『ん? おじさん、だれ? 私のママは?』
「これは……!」
スマホから聞こえたほむらの声に、康生の表情が驚きに染まる。
しかし彼の反応は、ほむらには関係なかった。
『ちょっとおじさん! 私のママはどこ! ここはママのスマホだよ! 早くママを出してよ!』
「っ! あぁ、すまない。君のママはここにいるよ。ちょっとスマホを借りてただけだよ」
怒りを露わにするほむらの声に、慌てて康生が持っていたスマホを葵に向ける。
そうすると、ほむらから安堵の声が漏れた。
『良かった〜! また置いてかれたらどうしようかと思った!』
「心配しなくても大丈夫だよ。君のママは近くにいるから」
『それなら良いけど、ところでおじさんは誰なの?』
「私かい? 私は君のマスターの父親だよ」
『えっ⁉︎ マスターのパパ⁉︎』
康生が朱里の父親だと知ると、ほむらが心底驚いた声をあげる。
そして、すぐにほむらが謝罪の言葉を告げていた。
『ご、ごめんなさい! マスターのパパなのにおじさんとか言っちゃった!』
「良いんだよ。実際、おじさんだからね」
『でもね、私から見てもカッコいいおじさんだよ! イケオジってやつ!』
「ははっ、ほむらは嬉しいことを言ってくれるね」
葵のスマホを介して、康生とほむらの会話が行われる。
その光景を葵がぼんやりと眺めていると、康生の様子が変わったことに気づいた。
なぜか彼の目尻に、少しだけ涙が溜まっていた。
「……なんで泣いてるんですか?」
「えっ?」
葵に指摘されるまで気づかなかったのか、康生が目元を触ると、触れた涙に彼自身も驚いていた。
「そうか……それだけ、私は嬉しかったのか」
「あの、さっきから話が全然見えないんですけど」
勝手に進んでいく話についていけず、困惑する葵は痺れを切らして訊くことにした。
「あなたの言ってる社外秘の情報もなんのことか全然わかりませんし、ずっと俺のスマホに居座っているそのアバターはなんですか? 勝手に喋ったと思ったら泣いたりするんですけど、それって遠隔で誰が動かしてるんですか? 俺のスマホにウイルスとか入れられて、正直めっちゃ迷惑なんですけど?」
まくし立てる形になってしまったが、聞きたいことは全部言えた。
「そうか、朱里はそこまで話してなかったのか」
葵の怒涛の問いかけに、なぜか康生が苦笑する。
その笑みに、怪訝に思った葵が眉を寄せていると――
「それなら、もう私から話しておこう。この子も見られて、今の様子だと大宮君が居ないと大変なことになりそうだ」
どこか納得した表情を浮かべて、康生はそう呟いていた。
「それって、どういうことです?」
「簡単な話だよ。君のスマホにいるほむらは、文字通り生きてるんだ」
「……はい?」
「君も人工知能は知ってるはずだ。このほむらは、データでありながらも疑似的な人格を兼ね備えた高性能AIなんだよ」
一体、この大人はなにを言ってるんだろうか?
堂々と意味不明なことを告げた康生に、葵は唖然とした表情を見せることしかできなかった。




