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第7話 ママのスマホからじゃないよ



「……俺が人物画が描けなくなったって、いつ気づいたんだよ」


「そんなの気づくに決まってるよ。だって大宮君が昔みたいに人物画を描いてるところ、一度も見たことなかったから。それにひとりで部室で絵描いてる時、スケッチブックに……アレって正中線って言うんだよね? あの線を描いてる時だけ、まったくペンが動いてなかったよ?」



 おそらく、その姿を盗み見でもされていたのだろう。


 正中線とは、人物を描く時に使う最初に描く十字線のことだ。


 部室でひとりの時に、たまに挑戦していたのだが……それを見られていたとは思わなかった。



「だから、きっと大宮君は自分の絵に自信が無くなったんだなって思ったの。イラストで大事な人物画を描けなくなったのも、それが原因かもって。だから大宮君がイラストを描けるようになってもらうには、君の絵をみんなに認めてもらう必要があるって思ったから――」


「Vtuberを始めたって?」



 そう訊いた葵に、朱里が頷く。



「そう。だって私がVtuberで有名になったら、そのキャラデザをしてる大宮君も絶対有名になる。私のアバターが有名になればなるほど大宮君の絵も認められる。そうすれば、きっと大宮君も自分の絵に自信が持てるなって思ったの」



 それは、あまりにも無茶苦茶な考えだった。


 確かにVtuberは有名になれば、そのキャラデザを担当したイラストレーターも有名になる。その人気はVtuberが有名になるほど比例する。


 イラストレーターが有名になる方法はいくつかあるが、まさかそんな方法で自分の絵を認めさせようとしてる彼女に、葵は言葉を失った。


 いや、今は有名になる方法はどうでもいい。そんなことよりも、葵は言わなければいけないことがあった。



「……どうして、そんなことしてまで俺の絵なんかに」



 他人の絵のために、彼女がそこまでする意味がない。


 それもVtuberという身を削る職業をわざわざ選んだ理由も、わけがわからなかった。



「そんなの決まってるでしょ。私が嫌なの」


「嫌?」


「大宮君の絵がみんなに認めてもらえないなんて、私が許せない。君が描く絵は、もっと色んな人に認められるべきなんだよ。君の描く絵には、それだけの価値がある。だから私はVtuberの紅月こうづきほむらとして頑張るって決めたんだから」


「なんだよ、それ」



 一体、なにがそこまで彼女を駆り立てるのか?


 誇らしげに語る朱里を、葵が呆然と見つめてしまう。



「意味わかんねぇよ。そんな理由で、お前が頑張る理由なんてないだろ」


「あるよ。もう大宮君は覚えてないかもしれないけど、私は言ったよ。君のファン第1号として、私は大宮君のこと応援するって」



 そう言われて、葵の目が大きくなった。


 確かに、そんなこともあった。


 ずっと昔にアカリちゃんから、そんな言葉を向けられたことが。



『私ね。葵君の絵、大好き。だから君のファンになってもいい?』



 自分の絵にファンなどいたこともなかった葵にとって、それは本当に嬉しかった言葉だった。


 たとえ子供の考えなしの言葉でも、嬉しいと感じた時のことは、すぐに思い出せた。


 その時の言葉を、今も朱里が大切にしていた?


 そんな馬鹿な話が、本当にあるのだろうか。



「だから、私がVtuberで有名になったら大宮君に話そうって思ってた。君の描いた絵のおかげで、たくさんファンができましたって……それができたら、また大宮君が絵を描いてくれるって思ったの」



 その成果を告げたところで、葵が描くとは限らない。


 過去に周囲から自分の絵を貶され、そのせいで人物画を描けなくなった彼にとって、それは簡単に克服できる問題ではない。


 それこそ、もう2度と絵を描きたくないと思ったくらいだ。



「もう俺は……あんな絵なんて描く気ねぇよ」



 そう呟いて、葵が目を伏せる。


 どうせ描いたところで、また貶されるだけ。どんなに上手く描いても、認められなければ意味がない。


 イラストレーターの夢を追いかけて、楽しい気持ちだけで描き続けることができれば、どれだけ幸せだったことか。


 ただ認められないだけなら、まだ我慢できた。やりたいことを好きにできるだけで満足できたと思う。


 しかし、もう知ってしまった。他人から向けられる負の感情は、簡単に人の心を傷つけてしまうことに。


 気持ち悪いと罵られたこともあった。描いた作品を破かれたこともあった。そして葵という存在を否定されたことも数えきれないくらいあった。


 そんな日々を過ごしていくうちに、気づくと葵は人物を描くことができなくなっていた。


 白紙に人を描こうとすると、勝手に手が止まってしまう。無理に描こうとしても指先が震えるだけで、その先を描くことができない。


 原因は、葵自身もわかっていた。きっと怖いのだと。



「もう決めたんだ。あんなキモイ絵は2度と描かないって」



 また自分の描いた絵が貶される。そう思えば、描きたいと思えるはずもなかった。



「今はそれでも良いよ。まだ私の活動も大宮君に胸を張って言えるほど有名になったわけじゃないから」


「……お前がなにをしたって、俺は描かないから」


「そんなこと言えるのも今のうちだよ。絶対、私が描きたいって思わせるから」



 そう告げた朱里の表情は、決して諦めないと物語っていた。



「絶対有名になるから。誰も無視できないくらい有名になって、大宮君に描きたいって思わせる。大人気Vtuberになった私の専属絵師として、君の絵をたくさんの人に自慢するのが私の目標なんだから」



 それが必ず訪れる未来だと、そう信じて疑わない朱里の言葉に、葵は言葉を詰まらせた。


 どうして、そこまでして自分に絵を描かせようとする?


 葵の描く絵が好きで、ファン第一号だから?


 ありえない。そんなくだらない理由で、他人のために自分を犠牲にできるわけがない。


 もっと別の理由があるとしか――思えなかった。



「そんなの建前だろ。本当は金稼ぎとか、そういう理由で――」


「そういうこと言われると思ったから、言いたくなかったの」



 葵の言葉を、朱里が遮る。


 咄嗟に言い返そうと思う葵だったが、彼女の真剣な表情を前にすると、なぜか言葉が出てこなかった。


 本気で、葵のために頑張っている。それが肌で感じられるほど、彼女の目は真剣だった。



「ほむらのせいで予定がめちゃくちゃになったけど、本当は有名になってから話すつもりだった。50万でも100万人でも良い。Vtuberって聞いたら私の名前が出てくるくらい有名になったら話そうって思ってた」


「……いや、それは流石にVtuber舐め過ぎだろ?」



 目標が高いことは良いと思うが、あまりにも高過ぎる彼女の目標に、思わず葵が唖然としてしまう。


 Vtuberは、簡単に有名になれるものではない。


 ネットで検索すれば数え切れない数のVtuberが出てくる今の時代で、実のところ有名なVtuberは少ない。


 つまり、それだけ有名になるのが難しいのだ。



「お前、Vtuberが有名になるのがどれだけ難しいか知ってるのかよ」


「それぐらい知ってるよ。でも、やるって決めたの。だから諦めるつもりなんてない」



 それを理解した上で、朱里は諦めないらしい。


 ただの馬鹿なのか、それとも有名になるための秘策でもあるのだろうか。


 そのどちらにしても、彼女が有名になれる可能性は低い。


 そう思えば、自然と葵の答えは決まっていた。



「それなら勝手にしろよ。Vtuberで有名になるなんて無理な話だ」


「できないって諦めるのは良くないよ。できることを全部やるまで、私は諦めない」


「どうせ無理だって」


「……む!」



 無意識に小馬鹿にした笑みを浮かべる葵に、朱里の眉が少しだけ吊り上がった。



「その無理を私ができたら、大宮君も認めるでしょ? できることを全部しないで、他人の意見だけで夢を諦めちゃった大宮君には良い薬になると思わない?」


「……あ?」



 彼女から返ってきた言葉に、今度は葵の眉が吊り上がった。


 流石に、今の言葉は聞き流せなかった。



「……喧嘩売ってんのか?」


「先に喧嘩売ってきたのは大宮君だから。怒るってことは、自覚あるんでしょ?」


「このっ……!」



 今すぐに、この女を追い出そう。


 そう思った葵が、口を開こうとした時だった。


 突然、葵の部屋にスマホの着信音が響き渡った。



「……なんだよ、こんな時に」


「びっくりした……!」



 驚いた葵と朱里が、揃ってビクッと肩を震わせる。


 思いもしなかった着信に、毒気の抜けた2人が顔を見合わせる。


 はたして、この着信はどちらのスマホだろうか?



『ママ、この着信はママのスマホからじゃないよ』



 葵のスマホから、今まで黙っていたほむらがそう知らせる。


 なぜ葵のスマホではないとわかったのだろうか?


 そんなことを葵が思っていると、朱里がスマホを見るなり、その顔を真っ青にしていた。



「え、なにその顔」


「……やばいかも」



 ボソッと、震えた声を朱里が漏らす。


 そんな彼女に、葵が首を傾げていると――



「お父さんから電話きた」



 どうやら、彼女にとってマズイ状況が来てしまったらしい。



「とりあえず電話に出た方が良いんじゃない? 出ない方が怪しまれるだろ?」


「……そうだよね」



 早く出ろと葵が促すと、渋々と朱里がスマホを耳に添える。


 彼女が外出してることがバレたのか、それとも別件の電話だろうか。


 どちらにしても、葵自身には関係ない。勝手に彼女が慌てふためくだけだ。


 そう思う葵だったのだが……彼女の電話が終われば、その考えも改めることになる。


 まさか彼女の騒動に巻き込まれることになるとは、その時の葵は思いもしなかった。

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