第6話 それが原因でしょ?
アカリちゃんとの出会いは、ただの偶然だった。
それは中学生になる前の春休みに、葵が絵の練習を兼ねて自宅から少し離れた昼下がりの公園で、風景画を描いている時のこと。
葵が絵を描いていると、いつの間にか彼の隣に座っていたのが――アカリちゃんだった。
突然現れたからといって別に葵に話しかけるわけでもなく、ただ彼の描いている絵を見つめているだけで。
驚いた葵が話しかけると、慌ただしく逃げたかと思えば、しばらくすると恐る恐ると彼の絵を見るために戻って来る。少し変わった女の子。
そんな彼女を最初は鬱陶しいと思う葵だったが、彼女の目を見ていると不思議と気にならなくなった。
それは絵描きとして、当然の反応だったかもしれない。
自分の描いている絵を、まるで世界で一番綺麗だと言っている。そんなキラキラとした彼女の眼差しに、当時の葵ができることなど決まっていた。
ただ、彼女が満足するまで絵を描き続けるだけだと。
だから彼女と言葉を交わすわけでもなく、黙々と絵を描き続けて、最後に描いた風景画を彼女に渡していた。
別に練習で描いた絵だ。彼女に渡しても気にすることでもない。
そう思う葵だったが、その時の彼女の表情は――とても印象的だった。
葵の描いた絵が、自分のモノになった。それが今でも信じられないと言いたそうに、彼の絵を見つめている彼女の表情が、とても嬉しそうで。
自分の描いた絵に、そんな反応をされてしまえば、葵が彼女に心を許すのは簡単だった。
そんなひょんな出会いから、葵と彼女は毎日同じ公園で会うようになった。
最初は2人に会話などなかったが、人見知りの激しい彼女が話すようになっていくと、自然と会話も増えて。
気がつくと、2人は仲良くなっていた。
互いの名前も知って、これから長い付き合いになるかもしれない。そんなことを葵が思っていたのが……
春休みが終わる頃になると、前触れもなく彼女と会えなくなった。
毎日公園で会っていたから、彼女の家も知らない。まだ子供だったから、スマホもなければ連絡先も交換してない。
だから会おうと思っても、会うことすらできなかった。
まるで、アカリちゃんとの時間が嘘だったのではないかと思えるような、そんな呆気のない別れ。
だが、そんな出会いと別れも時間が経てば、葵も知らないうちに忘れていた。
そのアカリちゃんが……今、目の前にいる?
とてもではないが、信じられる話ではなかった。
「そんなはずない。だってアイツはお前と違って――」
「地味だった、でしょ?」
苦笑する朱里にそう言われて、思わず葵が言葉を詰まらせてしまう。
彼女の言う通り、葵の知っているアカリちゃんは地味な女の子だった。
「地味で大人しくて、人見知りがすっごく激しくて、引っ込み思案だったから友達も全然できなかった女の子。ほら、合ってるでしょ?」
そして朱里から続けて話してきた内容に、葵が素直に驚く。
「……なんでお前が知ってるんだよ」
「だから、そのアカリちゃんが私なの」
「嘘つくなよ。アイツがお前なわけあるか」
どう考えても記憶の中にいるアカリちゃんと高垣朱里が結びつかなくて、思わず葵が否定してしまう。
それも当然だろう。見た目や性格が真逆の人間が、実は同じ人間だったと言われたところで信じられるはずがない。
「大宮君。最後に会ってから3年近くも経ったら、人間変わるものだと思わない?」
「だとしたら変わり過ぎだろ!」
目の前にいる朱里とは高校1年生の頃から面識がある。もし朱里が本当にアカリちゃんだと言うのなら、彼女の言う通り3年近くも会っていないことなる。
それだけの年月が経てば、子供なら成長して顔つきや背丈も変わるものだが……
仮にそうだとしても、その変化が別人のようになっていると誰が思うだろうか。
「そりゃそうだよ。私だって頑張ったんだもん。地味な見た目を直すためにファッションとかメイクの勉強いっぱいしたし、人見知りも直したくて話し方の勉強もたくさんしたんだから」
「努力でどうこうなるレベルじゃないだろ」
ただの努力だけで、ここまで本当に変わるとは思えない。
そう思うしかない葵に、なぜか朱里が誇らしげに胸を張っていた。
「努力するに決まってるよ。大宮君に描いてもらった絵の女の子みたいに、私も素敵な女の子になろうって決めてたんだもん」
その努力があったからこそ、今の自分がある。
そう語る彼女に、無意識に葵は唖然とした表情を浮かべてしまった。
「……俺の絵?」
意味がわからない。どうして彼女の変わろうとした理由が、自分の絵だと言っているのか。
困惑する葵に、朱里は恥ずかしそうにしながら答えていた。
「うん。君からもらった絵の女の子みたいになりたくて、だから頑張ろうって思ったの」
そんな理由で、あの地味だった女の子がここまで変わった?
もっと大事な理由があるからでもなく、そんなしょうもない理由で?
「だってこの絵は、大宮君が描いてくれた理想の私なんだもん。こんな素敵な女の子みたいに、少しでも近づけるようになりたいって思わない方が変じゃない?」
一体、この女はなにを言っているのだろうか?
たかが子供の頃に描いてもらった絵のために、そこまで努力を積み重ねてきた理由がどこにある?
朱里から見せられた2枚の絵。それは当時の地味だったアカリちゃんと、アカリちゃんの理想を描いたイラストだ。
地味なアカリちゃんでも、可愛いところがあると思わせたくて。地味なデザインでも可愛く描いた覚えがある。
そして2枚目の――ほむらのデザインは、彼女から聞いていた自分の理想の姿をイメージして描いたものだった。誇張したデザインになっているのは、葵なりの気遣いである。
変わりたいと思う彼女の気持ちを、ただ後押しするために。
彼女の理想を少しでも可愛いものにしたくて、思うがままに描いてしまった。
本当に、ただそのために描いただけの、ありふれたイラストでしかない。
「お前が……仮にお前があのアカリちゃんだとしても、ただの絵にそこまで努力する理由なんてないだろ」
こうして目の前にいる朱里が本当にあのアカリちゃんだとしても、ただの絵だけで変わろうと決意した彼女の考えが葵にはまったく理解できなかった。
「違うよ。大宮君」
しかし彼の言葉を、朱里は否定した。
「……なにがだよ」
「ただの絵じゃない。これは大宮君が私のために描いてくれた絵なんだよ。綺麗で、すっごく素敵な絵を描ける大宮君が……私のためだけに描いてくれた絵。それを大切にしないわけないでしょ」
「それでお前が変わろうとしたって?」
「うん。そういうこと」
思いもしなかった朱里の言葉に、葵は反応に困った。
自分の描いた絵を、そんなにも大切にしてるとは思いもしなくて。
そんな言葉を最後に言われたのは、一体いつだっただろうか。
「……百歩譲って、お前がアカリちゃんで色々と変わったのはわかった。でも、それがお前がVtuberをしてる理由にはならないだろ?」
自分でもよくわからない気持ちが込み上げてくるが、それを押し殺して葵が疑問を口にする。
今の話で朱里が昔会ったアカリちゃんだとしても、わからないことだらけだった。
さっきの話を思い返すと、朱里は言っていた。
自分がVtuberをしなければ、大宮葵の絵をみんなに認めてもらえないと。
葵の疑問に、朱里の表情がわずかに歪む。
しかし、彼女は意を決した表情を見せると、その口を開いた。
「なるよ。だってそうでもしないと大宮君、絶対に描かないもん」
その言葉が、なにを意味しているのか。
それを察した葵の表情が歪む。
だが、それでも朱里は言葉を続けていた。
「イラストレーターになるのが夢だった大宮君がイラストを描くのやめちゃったことは知ってたよ。クラスの子が言ってたの。大宮君は絵を描くのは上手いけど、昔は女の子の絵とかいっぱい描いてて気持ち悪かったって」
きっとその生徒は、葵と同じ中学だった人間の言葉だろう。
まさか朱里の耳にも、その話が届いているとは思わなかった。
「それもひとりじゃなかった。大宮君のこと知ってる子がみんな言っていた。きっと大宮君は、私が思ってる以上に辛い思いをしたからイラストを描くのやめちゃったんだなって。いつも部室で風景画ばっかり描いてるだけで、人物画も描けなくなったのも……それが原因でしょ?」
予想外の言葉に、葵が絶句する。
そこまでバレているとは思いもしなかった。
彼女の言う通り、部活で風景画ばかり描いていたのは、それが原因だった。




