第5話 絶対見覚えあるはずだよ
『あっ! やっとママが戻ってきたっ!』
葵が部屋に戻ってくるなり、スマホからほむらの声がした。
先程までずっと泣き喚いていたはずなのに、いつの間にか泣き止んでいたらしい。
『もう! 勝手にどっか行かないでよ! ママなら娘が泣いちゃった時はやさしーくよしよししてくれないとダメなんだからね!』
葵のスマホで、ほむらが怒ってますと目を吊り上げている。
ご丁寧なことに、彼女の頭には怒りマークまで付いていた。
「……慰めてほしかったら、あの爆音なんとかしろよ」
思い返しても、あの時のほむらの泣き声は相当だった。
あの爆音のなかで慰めろと言われても、とてもではないが葵にできる自信などなかった。
『できるなら苦労しないもん! じゃあママは泣いちゃった時に声抑えられるの!』
なぜ逆ギレされないといけないだろうか。
最後に泣いたのはいつだったか葵には思い出せなかったが、声を我慢できないほど泣くことなど余程のことでも起きない限りない。
人間の葵ならともかく、スマホにいる彼女なら音量くらい抑えられるのではと思うが……今、そんな些細な疑問を気にしても仕方ない。
『ちょっとママ! 私の話ちゃんと聞いてる!』
「おい、入って来て良いぞ」
怒るほむらを無視して、葵が部屋の外に向かって呼びかける。
その声にほむらがキョトンとした表情を浮かべるが、部屋に入って来た人物を見た途端、彼女の表情が一変した。
『げっ!? なんでマスターがここにいるの!?』
朱里の顔を見た瞬間、ほむらが嫌そうな表情を見せていた。
「ほむら、アンタって子は本当に……!」
部屋に入って来た朱里がほむらを見るなり、その表情が怒りに染まる。
『えっとね、マスター。これには深い事情が――』
「なにが深い事情よ。もう下手なこと言うんじゃないの。ここからは私が話すから、アンタは私が良いって言うまで黙ってる。わかったら返事は?」
『は、はいぃ……!』
有無を言わせない朱里の圧に、怯えたほむらが震えた声を漏らす。
不思議と、彼女たちの力関係がわかる光景だった。
だが、そんな彼女たちのやり取りに、葵は自身の耳を疑っていた。
「ちょっと待て? マスターって? 高垣が?」
葵が驚くのも当然だった。
ほむらから出てきたマスターという言葉は、明らかに朱里に向けられている。
つまりそれは、ほむらのマスターが彼女であることに他ならなかった。
「はぁ……こんな形で大宮君にバレるなんて思わなかった。本当に最悪」
驚いている葵に、頭を抱えた朱里が肩を落とす。
本当に落ち込んでいるのだろう。今にも膝から崩れ落ちそうな彼女の落胆している姿に、葵は恐る恐ると声をかけていた。
「おい、お前がコイツのマスターってどういうことだよ。てか、それって……」
本当に朱里がほむらのマスターだとすれば、余計にわからないことがあった。
ほむらは言っていた。自分のママが葵だとマスターが何度も話していたことを。
そのマスターが頑張っているのは、ママのためで。
そして葵本人の絵に関する話を、なぜかほむらがマスターから聞かされて知っていた。
なぜ、自分と関わりの少ない彼女がそんなことを知ってる?
そんな数々の疑問に、葵が困惑している時だった。
「……聞きたいことは色々あると思う。ここまでバレちゃったから説明もちゃんとするけど、大宮君には先に言わないといけないことがあるの」
唐突に朱里からそう言われて、つい葵が眉をひそめてしまう。
一体、なにを言い出すつもりだ?
そんな彼に、朱里は意を決した表情で告げていた。
「大宮君、実は私ね……ちょっと前からVtuberの活動してるの」
「……はい?」
彼女の言葉に、葵は呆気に取られた。
あの高垣朱里が、Vtuber?
わけがわからない。なぜ彼女がVtuber活動を?
「お前、自分でやりたいと思うくらいVtuber好きだったのかよ?」
「Vtuber活動するまでは全然好きじゃなかったよ。名前くらいは私でも知ってたけど、配信とか見たことなかったし」
「それならなんでまた……」
Vtuberが好きでもなければ、配信も見たことがない。
そんな彼女がVtuber活動をしていることが、まったくもって意味不明だった。
困惑する葵に、朱里がどこか気恥ずかしそうな表情を見せる。
そして葵を一瞥すると、彼女が小さい声で答えていた。
「だって……そうでもしないと大宮君の絵、みんなに認めてもらえないって思ったから」
「はい?」
一体、彼女はなにを言ってるんだ?
彼女がVtuber活動をしている理由に、自分が関わってる?
その関係性がまったく理解できない葵が、ただ困惑してしまう。
しかし、そんな彼に朱里は話を続けていた。
「大宮君さ。昔、絵描いてなかった?」
「……別に絵は今でも描いてるけど」
それは、美術部に所属してる葵からすれば奇妙な質問だった。
今も絵は描き続けている。それなのに、どうして描かなくなったとでも言いたげな口ぶりなのか。
そう思う葵だったが……朱里から返ってきた言葉に、彼は意表を突かれた。
「風景画とか、そういう絵じゃないよ。大宮君は、昔はもっと色んな絵を描いてたでしょ。たとえば……可愛い女の子のイラストとか漫画みたいな、そういう絵」
「……えっ?」
どうして、彼女がそのことを知っているのだろうか?
もう描かなくなって随分と経つ。彼女がそのことを知ってるはずがないのに――
「やっぱりわかってたけど、私のことは覚えてないか。まぁ、それもそっか……私、結構頑張って変わったつもりだし」
「お前、なに言ってるんだ?」
まるで以前に会ったことがあるような言い方をする朱里に、葵は素直に首を傾げた。
高校に入学するまで、彼女と会った覚えなどない。どこかで関わっていれば、彼女のような美人は嫌でも覚えているはずだ。
「そうなるよね。だから、これを見せた方が早いと思う」
そう思う葵に、おもむろに朱里がスマホを取り出す。
そして手早く操作すると、彼女がスマホの画面を葵に見せていた。
「大宮君、この絵に見覚えない?」
彼女から見せられたのは、2枚の絵だった。
1枚目の絵には、どこか暗そうな女の子が描かれていて。もうひとつの絵には、可愛い女の子が描かれている。
どちらも素直に上手いと思える。だが葵の目に止まったのは、2枚目の可愛い絵だった。
左右で色の違う、黒と赤の長髪。制服のような姿に、可愛らしさを全面に出したデザインの絵。
見間違えるはずもない。それは間違いなく、ほむらのデザインそのものだった。
「これって……いや、そんなはず」
「大宮君なら、絶対見覚えあるはずだよ」
そう語って見せつけきた絵に、確かに葵は見覚えがあった。
いや、違う。この絵に、見覚えがあるなんて言葉を使って良いはずがない。
それもそうだ。自分の描いた絵を見間違えるほど、葵は素人ではない。
この絵は――間違いなく、葵自身が描いた絵に他ならなかった。
「なんで高垣が……この絵を知ってるんだよ」
「なんでもなにも大宮君からもらったから持ってるだけだけど?」
その返事は、葵の予想を遥かに超えるものだった。
目を大きくした葵の視線が、無意識に朱里のスマホを見つめてしまう。
彼女から見せられるまで、ずっと忘れていた。
この2枚の絵は、葵がひとりの女の子のために描いたものだった。
中学生になる前の、ちょっとした春休みに仲良くなったが……すぐ疎遠になってしまった女の子。
地味で、大人しくて、引っ込み思案だった彼女のことは、葵もすぐ思い出せた。
「……嘘だろ? もしかしてお前、あのアカリちゃんなの?」
「うん。そのアカリちゃんが私です」
驚く葵に、恥ずかしそうに朱里がはにかむ。
それは、紛れもない肯定の反応だった。




