第2話 夢はいっぱいあるの
『うん! 君が私のママ! ずーっと会いたいって思ってたの!』
スマホから聞こえた彼女の言葉を、葵はまったく理解できなった。
なぜ男の自分を母親と呼んでいるのかも意味不明で、そもそも彼女からママと呼ばれているのもわけがわからない。
『君の名前だけはずっと前から知ってたんだ。君が私のママだってマスターが何度も言ってたから』
そう続けて話す彼女が、嬉しそうな笑みを浮かべている。
しかし喜ぶ彼女とは正反対に、葵の表情は困惑に歪んだままだった。
どこかで聞いた話だが、人間は本当に理解できないことが起こると動けなくなるらしい。
そんな葵に、彼女が不思議そうに首を傾げた。
『あれ? カメラの調子でも悪くなったのかな? ママが動かなくなっちゃった?』
おそらく、彼女はスマホのインカメラで葵のことを見ているのだろう。
それに気づいた葵がスマホのインカメラにゆっくり視線を向けると、すぐに彼女が安心した声を漏らした。
『あ、ママが動いた! もうビックリさせないでよ~!』
葵のスマホ画面に、彼女の安堵した笑顔が映し出される。
「……」
その笑顔を、やはり葵は呆然と見つめることしかできなかった。
赤と黒のツートンカラーの長髪がゆらゆらと揺れ、先程まで見えなかった制服らしき衣装も彼女の動きに合わせて細かく動いている。
その些細な動きを素人目に見ただけでも、彼女が相当作り込まれたアバターだとわかった。下手をすれば、あの“白波フウカ”のアバターよりもクオリティが高いかもしれない。
もしくは無駄に動く、というのが正しいかもしれないが……そのおかげなのか、彼女のデザインが一層映えて見える気がした。
綺麗な女性というよりも、可愛い女の子をイメージしているのだろう。
落ち着いた感じではなく、自然と彼女から天真爛漫な子供らしさを感じてしまう。大きな瞳と無邪気な笑顔が、その印象を更に強くする。
イラストとして当然なのだが、素直に可愛いと思えるデザインだった。
「……あれ?」
その時、葵は奇妙な違和感を感じた。
どうしてだろうか。はじめて彼女を見たはずなのに、強烈な既視感があった。
この絵を、どこかで見たことがある?
いつ、どこで見たのかまったく思い出せないが……間違いなく彼女を知ってるような気がした。
『ママ? どうしたの?』
「えっ?」
そう呼びかけられて、ハッと我に返った葵が目を向けるとスマホの中で彼女が首を傾げていた。
無意識に考え事をしていたおかげか、はたまた彼女に感じた妙な既視感のおかげなのか。先程まで混乱していた頭が、ほんの少しだけ落ち着いてきたような気がした。
気づくと先程まで動かなかった身体が、どうにか動かせた。少しでも気持ちを落ち着かせるために葵がゆっくりと深呼吸をすると、気を取り直して彼女に向き合うことにした。
「……いや、誰だよ。お前」
とりあえずと、スマホに向かって一番の疑問を葵が吐き出す。
その疑問に、彼女はキョトンと呆けた表情を見せた。
『えっ? もしかしてママ、私のこと分からないの?』
「お前のことなんて知らないし、なんでお前と普通に話せてるのかも意味分かんないんだけど」
『……嘘でしょ? 私だよ? 私の名前、“ほむら”って聞いてもわからないの?』
「だから知らないって」
彼女の――“ほむら”という名前を聞いても心当たりのない葵が素っ気なく答える。
そんな彼の返答に、ほむらがあり得ないと目を大きくした。
『……そんなはずない。だって、君が私のママだってマスターが言ってたもん』
「そんなこと言われても知らないものは知らないって」
どこかで彼女を見たような気もするが、思い出せない以上は知らないと答えておくべきだろう。
得体の知れない彼女に、わざわざ話を合わせてやる義理もない。そう判断して、葵は困惑してるほむらを無視して話を続けることにした。
「そんなことより、さっきから俺のことママって呼んでるのなんだよ? 俺はお前の親になった覚えもないし、そもそも俺は男なんだけど? あとマスターって誰のことだ?」
思いつく限りの疑問を、ほむらに投げかける。
しかし葵の疑問に彼女は答えるわけでもなく、ひどく動揺した様子でひとりごとを呟いていた。
『もしかして私、来る端末間違えた? でも大宮葵君だって言ってたし、マスターの話だとママが私のこと知らないはずない……なんで知らないの?』
「おい? 俺の話、ちゃんと聞いてたか?」
そんなほむらに痺れを切らした葵が話しかけてみるが、一向に反応する素振りすら見せない。
どう見ても焦っているのが一目瞭然の反応だった。そこまで慌てることかと思いたくなるが、彼女にとっては大問題だったらしい。
ただ彼女を知らないと答えただけで、ここまで慌てるとは思いもしなかった。
その理由がとても気になる葵だったが、今の彼女に話しかけたところで無駄だろう。
そう判断して、葵は渋々と彼女が落ち着くまで待つことにしたのだが――
『絶対に知らないはずない。だってそれだと私が生まれるはずないし、それにマスターが頑張ってる意味も――』
やはり、ほむらの慌て方は相当だった。
ずっと意味のわからないことを呟いている姿を見る限り、この様子だと間違いなく落ち着くまでしばらく時間が掛かる気がしてならない。
そんな彼女に、葵は深いため息を吐きたくなった。
「……どうしたらいいんだよ、コイツ」
こんな得体の知れない存在と関わりたくもないが……彼女にスマホを占領されてる以上、無視するにも限度がある。どうにかしてスマホから追い出そうにも、その方法すら見当がつかない。
咄嗟にスマホの電源を切ろうかと思ったが、電源を入れ直してもまた彼女が現れる可能性だって十分にあり得る。
はたして、どうしたものか?
色々と彼女の追い出す方法を考えてみるが、機械に詳しくない葵に答えなど出せるわけもない。
困った葵が辟易した表情でスマホを眺めていると、今更ながらの疑問を呟いていた。
「マジでコイツ、どうやって動いてんだ?」
あらためて見ても、彼女の存在は奇妙でしかなかった。
勝手にスマホに現れて、好き勝手に喋っている。どう見ても普通じゃない。
こうして会話が成立してるということは、スマホに映っている彼女が動画の類ではないことは確かだ。
しかしVtuberのアバターは、配信者からしか操作できない。それを踏まえるなら、このアバターとなる彼女は誰かの手によって動かされていると考えるべきなのだが……
その手のアプリなど一切インストールしてない葵のスマホで、それをどうやって実現しているのか?
「……やっぱりウイルスだよな、これって」
それを可能とするなら、単純に思いつくのは遠隔操作の類だろう。
今の時代、インターネットを経由して離れた場所からスマホやパソコンを操作することは可能だ。
だからスマホがウイルスに感染して、遠隔操作で彼女が動かされている。つまり、彼女を介して知らない誰かが話していると思うのが自然かもしれない。
そう思いながら、ほんの興味本位で葵の人差し指がスマホに触れた時だった。
『痛っ! ちょっとママ! 急に小突かないでよ!』
トンッと葵がスマホをタップした途端、突然ほむらが怒り始めた。
「え? ご、ごめん?」
予想外過ぎたほむらの反応に、つい葵が謝ってしまった。
しかし葵の謝罪を聞いても、彼女はムッと表情を歪めるばかりだった。
『急に撫でるならまだしも叩くのはダメでしょ! 女の子に触る時は優しくするのが礼儀なんだからね! わかったら返事は!』
「……わ、わかりました」
『うむ! よろしい! なら私のご機嫌を治すために、やさしーく私の頭を撫でてみましょ~!』
葵の返事に満足したほむらが、さぁ撫でろと頭を小さく振る。
彼女に促されて、呆気に取られた葵の人差し指がそっとスマホに触れる。
そして彼女の頭を優しく撫でてみると、スマホから嬉しそうな声が聞こえた。
『むふふ~、ママに頭撫でてもらえちゃった。これ夢だったんだよね~」
葵に撫でられて、ほむらが嬉しそうに微笑む。
まるで本当に撫でられているかのような反応に、素直に葵は驚いた。
絶対、コイツは誰かが動かしている。そうじゃないとおかしい。
ただのウイルスが、ここまで生き生きとした反応をするとは思えなかった。
『実はね、正直に言っちゃうとまだまだ夢はいっぱいあるの。ママが私のこと覚えてないのはすっごく変だけど、私はママのことたくさん知ってるんだよ?』
ニコッと笑みを浮かべながら、ほむらが奇妙なことを口にする。
それに葵が怪訝に眉をひそめると、彼女から思いもしない言葉が続いた。
『ママの描く絵がとっても上手だってマスターから聞いてるんだ。可愛い絵を描くのが好きで、小さい頃からたくさん絵のお勉強してたって』
ちょっと恥ずかしそうに、はにかむ彼女がそう言った途端、葵の表情が文字通り固まった。
どうして、コイツがそんなこと知ってるんだ?
あり得ない。それを知ってる人間は少ないはずなのに、なんで知ってる?
そう動揺する葵だったが、ほむらはそんなことを気にするわけでもなく話を続けていた。
『だから、いつか私のお部屋とか、新しい衣装とか描いてもらうのが夢だったり……えへへ』
「……悪いけど、その夢は絶対に叶わないぞ」
『へっ?』
「もう俺は、そういう絵を描くのはやめたんだ。ずっと昔に」
その言葉は、自然と葵の口から出た。
もう2度と描くことはない。ずっと昔に、そう決めていた。
葵がそう答えると、ほむらの表情が変わるのがわかった。
呆けた顔から、少しずつ歪んでいく。
そして彼女の目に、わずかな涙が浮かんだ時だった。
『いやぁぁぁぁぁぁ! ママが描いてくれないと嫌なのぉぉ‼︎』
突然、スマホから彼女の泣き声が爆音で鳴り響いた。
「――うるさっ!」
あまりにもうるさ過ぎて、思わず葵が耳を塞ぐ。
しかしそれでも、彼女の泣き声はまったく抑えきれなかった。
「おい! ちょっと静かにしろって!」
『やだやだやだぁぁぁ! 絶対にママに描いてもらうって決めてたのぉぉぉ!』
一向に収まる気配のない彼女の癇癪に、葵が困惑してしまう。
必死にどうするか考えてみるが、あまりにも彼女の声がうるさくて考えがまとまらない。
「マジでうるせぇ!」
そう思うと、咄嗟に葵は自室から飛び出していた。
『わぁぁぁ! 私のママがどっか行っちゃったぁぁぁぁ!』
「……扉越しでも聞こえるのかよ」
閉めた扉の向こうから、まだ彼女の泣き声が聞こえる。
だが泣き止ませようにも、子供みたいな癇癪を止める方法など葵にわかるわけもない。
「マジで、どうしろって言うんだよ。ほんとに」
立て続けにわけのわからないことが起きて、葵が頭を抱えたくなる。
そんな時、ふとインターホンが鳴る音が響いた。
「……誰だよ。こんな遅い時間に」
夜の22時を過ぎて、自宅を訪問して来る人間に心当たりなどない。
今日は自宅に家族もいない。だからと葵が無視を決め込むが、それでもインターホンが鳴り止むことはなかった。
あまりのしつこさに、苛立ちながらも葵がリビングに向かう。
そして鳴り響くインターホンに、葵は苛立ったまま出ることにした。
「はい! こんな深夜にどちら様ですか!」
『本当に夜分遅くに大変申し訳ありません。あの私、高垣って言います。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど……』
だがインターホンに出た途端、葵の怒りは一瞬で吹き飛んだ。
聞こえた女の声。そして液晶に映る見覚えのあった女の姿に、葵は自分の目を疑った。
「は? 高垣ってお前、あの高垣か?」
『その声……もしかしてとは思ってたけど、大宮君なの?』
葵の言葉に、液晶に映る彼女が少し驚いた表情を見せる。
しかし彼女よりも、葵の方が驚いていた。
無理もない。彼女――高垣朱里ことは葵も知っていた。
自分と同じ高校に通い、そして同じ部活動に所属してる彼女のことを、彼が見間違えるはずもなかった。




