第16話 できると思う?
「いや、別に俺が来る必要ないだろ?」
真剣な顔で馬鹿げたことを口走った朱里に、葵は素直に思ったことを告げていた。
どう考えても、わざわざ自分が来る必要性がない。
そう思う葵に、朱里が首を小さく振った。
「大宮君、昨日のこと忘れたの? 私が帰るからほむらに戻って来てって言った時、どうなった?」
彼女から返ってきた言葉に、自然と葵の頬が引き攣っていく。
あの時のほむらは、確かにひどかった。
朱里から何度も戻って来いと言われても、ほむらは頑なに頷かなかった。
絶対に葵のスマホから出ないと朱里と言い合いになり、最後は泣き出す始末。
そして葵と一緒に居ないと嫌だと泣き喚くほむらに根負けして、仕方なく葵が朱里の家に出向くことになったのだ。
どれだけ葵と朱里が言い聞かそうとしても、絶対に嫌だと癇癪を起こすほむらには、本当に頭を抱えたくなった。
「昨日あんなことがあったのに、ほむらに配信する時は私のパソコンに戻って来てって言っても絶対言うこと聞いてくれるわけないでしょ?」
「それは、まぁ……」
その点に関しては、葵も頷くしかない。
だが、それは流石のほむらでも理解しているのではないだろうか?
AIである自分が学習するために、朱里の配信に協力しなければならない。
アバターという自分がないと、朱里は配信することができないのだから。
「おい、ほむら。流石に高垣が配信する時は戻ってやれよ」
『え? その時、ママはどこにいるの?』
「そんなの家に決まってるだろ」
朱里の主な配信時間が夜なら、おそらく自分は自宅にいるだろう。
『じゃあ私もママと一緒にいるから行かない』
そう答える葵に、ほむらは即答で答えた。
「お前なぁ……俺が行かなくても、手伝った後で俺のスマホに戻ってくれば良いだけだろ?」
『やだ。だってママ、初めて会った時に私のこと置いて行ったもん。上手いこと言って誤魔化そうとしても騙されないから』
少しの迷いもない彼女の即答に、思わず葵がため息を漏らしそうになる。
ほむらと初めて会った時のことは、葵からすれば不可抗力だった。
初めて会うなり、爆音で泣き喚いた彼女をなだめるわけがない。あの状況なら誰だって逃げたくもなる。
「……あれはお前が爆音で泣いたのが悪いだろ」
『私は悪くないもん! あの時はママが意地悪なこと言ったから泣いちゃったの!』
葵が絵を描かないと言ったから泣いてしまった。
そう答えるほむらの態度は、決して自分が間違っていないと告げている。
この時点で彼女の思考が子供だと思えてしまう。
こんな彼女に、葵が正当な理由を言っても理解することはないだろう。
彼女からすれば、葵が意地悪をして自分を置いて行ったことになっている。
そう思えば、彼女がまた葵に置いていかれると思うのは当然かもしれない。
「あの時は仕方なかっただけだって。別にお前のこと置いて行ったりしないから」
『そんなこと言われても信じないもん! またママがどこかに行っちゃうのは嫌! だからママが近くに居ないとマスターの配信も手伝わない!』
絶対に意思を曲げないと、大きな声でほむらが宣言する。
これは簡単に折れてくれそうにない。
スマホから聞こえる彼女の声に堪らず葵が頭を抱えていると、朱里から苦笑交じりに話しかけられた。
「ほらね? やっぱり私の言った通りでしょ?」
「いや、でも流石にコレはなんとかしないとダメだろ?」
「一応聞くけど、できると思う?」
葵が一緒に居なくても、朱里のところに戻る。
それが簡単に叶わないことだと察してしまえば、無意識に葵の表情が強張った。
「簡単じゃないけど、これだけはなんとかしないとダメだって」
確かに、ほむらの我儘を聞くことはできる。
ただ朱里の配信が始まってから終わるまで、彼女の家に来れば良いだけだ。
月10万という対価でほむらの世話を請け負っている身からすれば、その程度の手間は苦でもない。
しかしそれを抜きにしても、葵は朱里の家に来ることは避けたかった。
「……そんなに私の家に来たくないの?」
葵の反応から、どうしても家に来たくないと察した朱里が唐突に悲しそうな表情を見せる。
そんな彼女に、葵は呆れながら答えていた。
「そういうことじゃない。お前さ、考えてみろよ。高垣が配信してる時間って基本的に夜だろ?」
「うん。大体は夜の8時から10時までしてる」
「そんな時間に家族でもない男を家に入れても良いのかよ?」
これは葵の配慮だった。
今も目の前にいる朱里は、同年代の女の子である。
年頃の女の家に家族以外の男を入れる。それも夜に入れるなど、問題視するに決まっていた。
「父親は仕事で遅いって聞いてるし、お前しか居ない家に入るのは流石に気が引けるって」
更に彼女の父親が仕事で帰宅が遅いと聞いていれば、来るのも控えたくなる。
母親が居るなら大丈夫と思えるが、彼女の母親は朱里が小さい頃に亡くなっているらしい。
昔、さらっと彼女からそんな話をされたことがあったが、それをわざわざ葵もその点を指摘する気はない。
この場で問題なのは、朱里しか居ない家に葵が来ることなのだ。
「お前だって嫌だろ。俺が家に来るとか」
「別に嫌じゃないけど?」
なぜそんなことを言ってるのか、と言いたげな表情を朱里が見せる。
そんな彼女に、葵はあり得ないと目を大きくした。
「お前、少しは警戒しろよ」
「……え? なにを?」
「普通は男の俺が家に来たら危ないって思わないの?」
ここまで察しが悪いと頭が痛くなってくる。
呆れた葵が頭を抱えると、ようやく彼女も理解したらしい。
あぁ〜と声を漏らすと、朱里は楽しげに笑っていた。
「そんなこと心配してたの? 他の男の子なら不安になるけど、大宮君なら心配とかするわけないでしょ?」
はたして、その自信はどこから来るのだろうか?
絶対にあり得ないと語る彼女に、思わず葵が深く肩を落としてしまった。
「俺のこと信頼してみたいだけど、そんなのわからないだろ?」
「ははっ、面白い冗談言うね。大宮君がそんなことする人じゃないって私知ってるもん」
「……俺だって男だぞ?」
その信頼が後々の後悔に繋がることもあり得る。
その心配をして、葵が真剣な表情で朱里を見つめる。
「……え?」
その視線に朱里が気づくと、なぜか彼女の頬が少しだけ赤くなった。
「もう! 変なこと言わないでよ! ちょっとドキッとしたでしょ!」
「心配してんだよ。俺のこと信頼してるみたいだけど、あんまり他人のこと信用しても良いことねぇよ」
他人がなにを考えているなど、わかるわけがない。
信頼して後悔する結果になるなら、最初から多少は用心しておくべきだ。
過去に似たような経験がある葵にとって、それはひとつの教訓でもあった。
「……ふ、ふーん? そんな風に心配してくれるってことは、大宮君も私のこと悪く見てるわけじゃないんだ?」
「お前のことは別に嫌ってない。ていうか、お前のこと嫌う理由なんてないし」
強いて言うなら、無駄に自分に構ってくることだろう。
部活ならまだしも、学校ですれ違えば挨拶をしてくることもなれば、無駄に話しかけてくることもあった。
鬱陶しいと思うことはあったが、それが彼女を嫌う理由にはならなかった。
「私のこと、嫌う理由がないの?」
「だからないって。むしろ良いところしかないだろ、お前は」
素直に言えば、彼女も少しは警戒心を持ってくれるだろう。
そう思って言ったつもりだったのだが、返って来た反応は予想外のものだった。
「良いところしかない? 私のこと、良いところばっかりなの?」
「だから何度もそう言ってるだろ」
「えへへ〜、そんな真剣な顔で言われると恥ずかしくなるじゃん」
なぜ、彼女は喜んでいるのだろうか?
急に頬を緩める朱里に、葵は意味がわからないと眉をひそめるばかりだった。




