第15話 Vtuberに必要なもの
朱里の部屋は、2階の1番奥にあった。
彼女の案内で葵が部屋に入ると、ふわっと甘い香りが鼻腔を駆け抜ける。
何度も嗅いだ覚えのある匂い。それが朱里の匂いだと察した瞬間、思わず葵の表情が強張った。
「大宮君? どしたの?」
「いや、別に――」
急に変顔をした葵に、朱里が不思議そうに首を傾げる。
この部屋が朱里の部屋である以上、当然のように彼女の匂いが充満している。
良い芳香剤か、もしくは柔軟剤の匂いかもしれないが、そのどちらにしても部屋中に女の子の匂いがする現状に、葵の表情が険しくなる。
なにも考えずに入ってしまったが、冷静に考えると同年代の女の子の部屋に入る機会など今まで葵は一度もなかった。
女の子の部屋に初めて入って緊張してしまった。そんなことを思春期の男子が馬鹿正直に言えるはずもない。
下手なことを言えば、彼女に勘付かれる。そう思った葵が一刻も早く話を逸らしたくて部屋中に視線を巡らせると、とある異物が彼の目に留まった。
「あぁ〜、やっぱり驚くよね」
葵の表情と視線に勘違いしたのか、朱里が納得したらしく苦笑する。
本当の理由は違うが、それを抜きにしても葵は驚いていた。
「なんだよ、この馬鹿デカいパソコン」
葵が見つけたのは、彼女の机に置かれていたパソコンだった。
「やっぱり大きいよね、これ。初めて見た時、私も同じこと思ったもん」
葵の言葉に、朱里がしみじみと頷く。
可愛い内装の部屋なのに、明らかに似つかわしくない異物が彼女の机を占領していた。
机の上には大きなモニターが2枚も置かれていて、その周辺に明らかに高級品とわかるマイクをはじめた機材が鎮座している。
更に机の横には、小型の冷蔵庫と思えるくらいの巨大な黒い箱が置かれていた。
「この箱、もしかしてパソコンか?」
「うん。これ全部、私が配信で使ってるパソコン」
はたして、これは本当にパソコンなのだろうか?
はじめて見る巨大なパソコンを前に、無意識に葵が唖然とした表情を浮かべてしまう。
間違いなく高額の代物だろう。その値段も葵には予想すらできなかった。
「これ、お前が買ったの?」
「買ってないよ。これはお父さんの会社から借りてるの。私がVtuberの配信をするなら使いなさいって」
こんな代物を貸し出す会社がどこにあるのか。
明らかにオーバースペックである。それは機械に詳しくない葵でもわかった。Vtuberの配信に、ここまで高性能のパソコンは絶対に必要ない。
「借りてるって……配信ってこんなパソコン使わないとダメなの?」
「パソコンのことは私も全然詳しくないけど、配信するだけなら必要ないらしいよ」
それもそうだろう。もしそうなら、世の中の配信者はとんでもない金持ちになってしまう。
自分のことではないのに、なぜか葵が安堵して胸を撫で下ろす。
そんな彼に、朱里は話を続けていた。
「これも全部AIのためみたい。性能の低いパソコンを使うとAIの学習がちゃんとできないかもしれないからって」
確かにスペックの低いパソコンを使えば、様々なことで問題が起きる可能性は高い。
彼女が配信をさせる会社の目的がAIを作るためとなれば、可能な限り高性能のパソコンを使わせるのにも納得ができる。
それも自我を持ったAIを作るなら、なおさら良い機材を使うのは当然の判断だろう。
「それにしても……一体いくらするんだよ、これ」
「聞かない方が良いよ。私も聞いたことあるけど、お父さん教えてくれなかったから」
「教えてくれなかった? なんで?」
「聞いたら私が触れなくなるからって」
つまりそれは、普通の人間が下手に触れない代物と言っているようなものだった。
「壊したらヤバそう」
「うん。ものすごく念押しされたもん。絶対に壊したらダメだって」
葵が引き攣った表情を浮かべる。そして朱里も、自然と同じ表情を見せていた。
もし壊したら、一体どうなるのか。考えたくもなかった。
「だから配信以外は使ってないかな。別にパソコンですることもないから」
「もったいない、とは言えねぇか」
ここまでの高性能のパソコンなら、色々なことができるだろう。
今の時代はパソコンでゲームをする人も多い。他にも色々と使い道はある。
葵なら、きっと絵を描くことに使っていたかもしれない。アナログで絵を描くことが多い彼にとって、デジタルで描く絵には少しだけ興味があった。
「……このパソコンでほむらができたわけか」
ほむらの自我が作られた仕組みはまったくわからないが、朱里の使っているパソコンから彼女の自我が生まれた。
それを可能にしたのだから、やはり凄いパソコンなのだと思わされてしまう。
「確かにそうなんだけど、困ったことに今のままだと配信できないんだよね」
ふと、朱里がそんなことを呟く。
その声に、無意識に葵が怪訝に眉を寄せた。
「できないって、どういうことだよ?」
このパソコンで配信ができないわけがない。
そう思う葵に、朱里がわざとらしく肩をすくめた。
「大宮君、Vtuberが配信をする時に必要なものってなんだと思う?」
「そんなのパソコンとかマイクとか、そういうのだろ?」
「それもそうだけど、もっと大事なものがあるでしょ?」
そう訊き返されて、葵が眉をひそめる。
機材以外でVtuberにとって必要なもの。
その疑問に、葵は思いつくことがあった。
「……もしかして、アバターか?」
Vtuberは、アバターがなければ活動できない。
そう答えた葵に、朱里は満足そうに頷いた。
「そう、アバターで正解。私が配信する時はほむらのアバターを使ってたんだけど、そのデータを今は大宮君が持ってるんだよ」
「それって、俺のスマホに入ってるほむらのこと言ってるのか?」
「うん。そもそもね、私が配信をする時は必ずAIに配信を学習させないといけないの。それはAIに自我が生まれてからも同じで、アバターにAIを紐付けてるから……ほむらが私のパソコンに戻ってきてくれないと配信ができなくなっちゃったの」
朱里が配信をする際、Vtuberである以上はほむらのアバターを使わなければならない。
そのアバターが自我を持ったAIと紐付けされているということは、今は彼女のパソコンにアバターがないことになってしまう。
だから、彼女のパソコンに葵のスマホに入っているほむらが戻る必要があった。
ほむらのAIに配信を学習させるためにも、そして朱里が配信をするにも。
「昨日のこともあったから、きっと大宮君が一緒に居ないと絶対ほむらは私のパソコンに戻って来ない。だから一緒に来てもらう必要があったの」
葵と一緒にいることを最優先にしているほむらが、単独で朱里のパソコンに戻ることは決してないだろう。
少し離れた時でさえ、癇癪を起こしてしまう。そんな彼女が素直に言うことを聞くとは思えなかった。
「……え、じゃあ今後の配信って」
「ものすごく申し訳ないけど、ずっと大宮君に来てもらうことになっちゃうかな」
頬を引き攣らせて、朱里がそう答える。
「……マジ?」
「大マジです。大宮君が居ないと、私は配信できません」
これから配信のたびに、彼女の家を訪れなければならない。
彼女の手伝いとは聞いていたが、そんなことを唐突に言われるとは思いもせず、葵は唖然とした表情を見せることしかできなかった。




