焚き火
馬車を離れて数分。
まだ少し頬をふくらませたままのクロエが、口を開いた。
「……ティナさん、暗くて足元が見えません」
「ええ、そうね。仕方ないわ。今日はここで夜を越しましょうか」
「そ、空飛べるなら上から行けばいいじゃないですか!」
「言ってなかったわね……。ダメよ、あれは魔力の消耗が激しいの。飛んだあとに魔力が残ってなければ、何かあった時に戦えないでしょう?」
「じゃ、じゃあせめて枝に火をつけて、松明にするとか……!」
「クロエ、休みましょう。体力はあっても、心はもう疲れているはずよ、お互いにね。
それにあなた、さっきから少し冷静さを欠いているわ。急に怒ったりして」
「そ…!それはティナさんが…——」
「——と、とにかく!あの化け物みたいなのが、まだ他にもいるかもしれないじゃないですか!!!せめて王都の近くまで行きましょうよ!!」
不安を押し隠すように声を張り上げ、王都の方角を指さした。
しかし、ティナはその手を見ることもなく、足元に落ちていた枝を拾い上げる。
「それは心配いらないわ」
彼女は穏やかにそう言いながら、乾いた木を一本一本確かめるように集めていた。
「クロエも、木を集めるのを手伝って。焚き火を点けたら、少しだけ魔術のことを教えてあげるから」
その言葉に、少し悩んだ様子のクロエは何も言わずに指をそっと下ろすと、ティナの隣で落ちている枝を拾い始めた。
—──
集めた木を丁寧に組み上げ、二人はその前に並んで腰を下ろした。
「どうせ魔術学院で習うだろうし、今日は簡単な基礎だけ話すわね。
全部言っちゃうと、ごちゃごちゃしちゃうし」
「は、はいっ!」
ティナは微笑んでうなずくと、膝の上に魔導書を広げた。
「まず、魔力についてね」
「魔力っていうのはね、みんなが持っているものよ。
量や質はそれぞれ違うけど、私にも、あなたにも、そしてこの世界の生物すべてに少なからず流れているの」
そう言って、ティナはゆっくりと魔導書を、組み木の方へと向けた。
ページの間から、ほのかな赤い光が漏れ始める。
「私の場合…というより魔導士は皆、魔力をこの本『魔導書』に流すことで、魔術を発動させるのよ」
次の瞬間、本の見開きから小さな炎がふわりと舞い出し、組まれた木々に触れた。
ぱちり、と乾いた音がして、炎が一気に燃え広がる。それをクロエは思わず目を見張った。
「魔導書を扱うには、章節を唱えるのよ」
「しょ、章節…?」
その小さな可愛らしい疑問の声に、ティナはくすっと笑うと言葉を続けた。
「まあ……見せたほうが早いわね」
静かに魔導書を掲げ、低く呟く。
「——魔導書、一章九節。」
次の瞬間、本がふわりと宙に浮いた。
突風が吹き抜けたように、ページがバラバラとめくられていく。
「こう唱えると、魔導書がその節を開くの。
あとは、魔術名を発して“魔術を撃ちたい場所”に意識を向けるだけね」
「…でも、私昔お母さんに聞いたことがあるんですけど……魔導書は国に決められた人にしか扱えないって」
「ええ、そうね。ただ扱えないと言うより、魔導書はこの国で、まだ四冊しか見つかっていないのよ」
「よ、四……」
「だから、国から魔導書を与えられる者は、あらゆる技能を完璧に身につけ、そして何より反逆の心を持たない人物かどうかを慎重に選ばれるの。
それが、“魔導士”と呼ばれる人たちよ」
一通り話し終えたティナは、焚き火からクロエの方へ視線を移した。
「ティ……ティナさんは、本当にすごい人だったんですね……」
「なによそれ!疑ってたの?!」
「い、いえ…そう言う意味じゃ…」
その表情にティナは何かを感じた。普段は何かと心配性なクロエのことだ。魔導士の厳しさを聞けば、きっと怖気づいてしまうのではないかと――
「わ、私もティナさんと同じ、魔導士になってみせますっ!!」
そのクロエの真剣な表情と力強い言葉に、ティナの口元に自然と笑みがこぼれた。
(そうだったわね……。)
「そうね!!よしっ!魔導書持ちの魔導士は、私を入れて三人!あとの一冊は国が管理しているわ!
もし大きな功績を残せば、国から魔導書を譲り受けることもできるし、それが無理でも…まぁ、他の手はあるわ…
とにかく、それに向けて学院で魔術を学び、力をつけるのよ!!」
「は、はいっ!!!」
───
「それじゃあ、今日は眠りましょうか!明日は王都まで行く予定だから、少し長めに休むわよ!」
ティナはそう言って、クロエに手招きする。
「え、えっと……?」
何を意味しているのかわからず、クロエはおそるおそるティナの方へ近づく。
「ほら、来なさいよ」
ティナはそう言って、クロエの腕を掴み、自分の体へと引き寄せる。
「ちょっ……ちょっと、ティナさん!?」
「私がいる場合はくっついて寝るようにしなさい。
私は寝ながら魔力探知で、近づく危険や気配を感知できるのよ。仲間が離れた場所で動くと、探知にズレが出るからこうして体を密着させて—」
「そ、それなら……手を繋ぐとかでもいいじゃないですかっ!」
「それだと、飛び道具や遠距離攻撃に対応できないでしょ?私とあなたの距離が少し違うだけで、生存率は大きく変わるの。
今のあなたを守るには、近ければ近いほどいいのよ」
言葉を聞いて納得はできた。けれど、鼓動は守られているという安心よりも、彼女の体温に触れているということに早さを増していった。
「わ、わかりましたよ!!」
吹っ切れたかのように身を委ねる。そんなクロエに腕を回すティナ──
「クロエ…あなた意識しすぎなのよ、別に女の子同士なら恥ずかしいことでもないでしょ?」
「そっ、そうですけどー…」
まだ照れくさそうにしているクロエを見て、ティナはにやっと小さく笑った。
「良いことを教えてあげるわ、クロエ——」
ティナはそっと首元に唇を寄せ、囁く。
その近い声に、クロエの口から「ひゃっ」と恥ずかしさの混じった声が漏れた。
「魔力ってね……感情で、できているのよ?」
ティナは徐々にクロエの耳へと唇を近づける。
「あなたが、恥ずかしいって顔を赤くしている今も…あなたの体には魔力が溢れているの」
「ティ…ティナさん!ち…近い——!」
ティナはくすっと笑い、少し悪ふざけ気味に言い返す。
「私とくっつくの、嫌……?」
クロエは慌ててティナを軽く押し、顔を上げた。
「…や……じゃない…」
「なんて…?聞こえないわね」
「い、嫌じゃないっ……です」
その言葉と同時にティナの目に映ったのは、耳まで真っ赤に染まり、溶けそうに照れているクロエの表情
「……あ、あなた…」
「あっ…ちっ…!違いますから!!!」
しばらく沈黙が流れ、落ち着いきを取り戻した二人。クロエはというと、三角座りをその場でしながら、顔を自分の腕の中に伏せていた。
「その、拗ねないでよクロエ…ちょっと面白くなっちゃって……」
「最低です……もう、ティナさんなんて大っ嫌いです……」
泣きかけているようにも聞こえるその声は、深い森へと溶けて消えていった。




