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青い髪

 あたりがすっかり暗くなった頃、歩いてきた道とは反対の方角から、遠くに一つの光が見えた。周囲に他の光はなく、その明かりはひときわ目立っている。


 やがて、ガラガラと車輪が土をこするような重く乾いた音が耳に届いた。


――間違いない、馬車だ


「きたっ!」


 オイルランプで前方を照らしている馬車がクロエの前で止まる。手綱を握っていたのは、穏やかな笑みを浮かべるおじいさんだった。


「この馬車は、アベール王都行きだよ。お嬢さんは乗っていくかい?」


「……は、はい!」


 おじいさんは馬から降り、丁寧に馬車の扉を開けてくれた。


「遠いけど、頑張ってね。」


「あ、ありがとうございますっ!」


 その優しい言葉に、胸がじんわりと温かくなる。


 扉を上がると、薄暗い車内をランタンの灯が淡い夕陽の色で包んでいた。

 その光の中に、クロエと同じくらいの年頃の少女がひとり座っている。


 少女はぐっすりと眠っており、口元には安らかな笑みが浮かんでいる。

 青く長い髪はところどころ跳ね、右手には分厚い本を抱えるように大切そうに握っていた。

 そして唇の端からは、ほんの少しだけよだれが垂れており、いかにも幸せそうな表情をしている。


 誰だか分からないけれど、その子供のようなふんわりとした可愛らしさに、思わず小さく笑ってしまった。




───




少しして馬車が動き出し、私が歩いてきた道を戻るように進みはじめた。

 それを見て聞くべきか迷ったが、思いきって尋ねてみる。


「あ、あの……王都って反対側じゃ……」


 おじいさんは馬車の窓越しにちらりとこちらを見て、優しく返してくれた。


「……ああ、お嬢さん、馬車は初めてかい?王都はたしかに逆方向だが、その前に一つ停留所があってね。少し北へ回り道をするんだよ」


――なるほど。さっき“遠いけど頑張って”って言っていたのは、そういう意味だったのか。

 

 王都行きの馬車が出ていなかった場合に備え、歩くつもりで旅には余裕を持っておいた。魔法学院の入学は四日後と日にちが決まっている。


(早めに出発して良かった…)




───




 馬車に揺られ、1時間ほど経った。


(……この子も王都に行くのかな…。でも…次の停留所で降りるかも知れないよね…)


 馬車から外は暗くて何も見えなかったので、少し前から彼女の可愛い寝顔を見ては、そんな事を考えていた。

 夜は暗くて景色が見えない、なんて当たり前のことに、乗った後になって気がついた。


(あと、どれほどかな…)


———それは突如起きた、外から馬の荒げる声が響き、馬車はガタンと大きく揺れて急停止した。


「きゃっ!!」


 思いがけない衝撃に、クロエは体勢を崩す。

 すぐに体勢を立て直し、ゆっくりと前方が見える窓をのぞき込む。


「い…一体、なに——」


「ロロ…ホロロロ…」


 その先には。低く、喉の奥で唸るような声を漏らしながら、ゆらりと漂っている何かがそこにいた。


「な…なにあれ…」


 その姿を見た瞬間、馬車の光に照らされたその人型の何かと目が合った気がした。


「っ!!」


 すかさず、しゃがみ込み身を隠す。空気が凍るような冷たさと激しい動悸が、クロエの心臓を襲う。

 呼吸は止まり、声を出せば、殺されるかのような圧が全身に迫る。



ドン…ドンッ…


「ホロロ…」


 黒の(もや)がかかったような、人の形をした何かは、一歩、また一歩と馬車へと近づくのを低い声と足音で感じた。

 馬車の扉を開けて逃げ出そうにも体が言う事を聞かず、全く動かない。

 その時、背中に刺すような冷たさが走った。


 馬が荒げる(いなな)りが、次第に悲鳴のように変わっていく。ロープの軋む音が激しくなり、馬車全体が不安定に揺れ出した。



 逃げないと。



 震える体に力が入らない。



(動け……動け、動け動けッ——)


 それでも、這うようにして扉へ手を伸ばす。

 静かにドアノブに手をかけ、息を殺しながらゆっくりと回した。



 その時だった。馬車の前方から、耳を裂くような破裂音が響き、馬の鳴き声が――ぴたりと止んだ。


グシャッ。


その瞬間、扉がゆっくりと開く。


隙間から見えた外は、一面、真っ赤に染まっていた。踏み場もないほどの血溜まり。

 その中に、下半身のない人の体が転がっていた。


「……おじ……さん?」


 さっきまで話していた人の濁った瞳が、光を失ったまま――まっすぐ私を見ていた。








 まただ。


ジジジッ

「——おさん…—おとおさん…」


 あの時と同じだ


ジジ

「…行かないで—「クロエ、人を守るんだ—ザザ」

 ジジジッッ

「——嫌だ!…行かないでよお父さんッ!」


「…いいか、お父さんとの約束だぞッ!クロエ!—ザザザ」



───



 目の前の景色が、砂嵐のように過去の記憶をかき乱す。クロエは、ただ目を見開いたまま、光を失った瞳を見つめることしかできなかった。




 ああ、死ぬんだ。




 さっきまで荒れていた息が、ほんの少しだけ静まっていく。

 何故か、妙に冷静になれた。


「ギギロロ…ロ」


 低いその声と血で濡れた足音が、馬車の外でぬちゃり、ぬちゃりと近づいてくる。姿は見えないが、馬車の真横に気配を感じた。


 クロエの喉から、小さく声が漏れる。それは、ひとり置いてきた母への言葉だった。


(ごめんなさい、お母さん……——)



クロエは目を瞑る。



「そのまま、頭を下げてなさい」



 その優しくも強い声に、クロエは現実に戻される。

 恐る恐る目を開け振り向くと、そこにはあの眠っていたはずの青い髪の少女が立っていた。


「魔導書、二章六節」


 青髪の少女の声に呼応し、一冊の本がふわりと宙に浮かぶ。

 次の瞬間、目に見えぬ風が吹き荒れたようにページが激しくめくれ、そしてピタリと止まった。

 その見開いた本のあいだから、ふわふわとした、炎が舞い上がっている。

 馬車の中のランタンの炎が濃くなり、少女の本もじわじわと赤みを帯びていった。


「…——フィオナ」


 本の見開きから、まるで槍のような炎が放たれクロエの頭上をかすめ馬車の壁を貫く。


「ギャアアアアッ!!」


 耳を裂くような、甲高く不愉快な叫び声が背後で響く。

 クロエの目に映ったその姿は、子供の頃に見た『魔導士』そのものであった───

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