第2話「拳が止まったとき」中編
翌日。
放課後の教室で、俺と慎は再びネタ合わせをしていた。
「おい慎! ツッコミはもっと勢いだろ! 弱ぇんだよ!」
「違う、勢いじゃない。観客が理解できるように“整える”のがツッコミだ」
「整えるとか小難しいこと言ってんじゃねえ!」
声を荒げた俺は、つい机を蹴ってしまった。
ガタン、と大きな音が響き、教室がしんと静まる。
自分でも「あ、またやっちまった」と思う。
慎は少し眉をひそめたが、逃げることなく俺を見つめていた。
その視線が、逆に胸に刺さった。
「……悪ぃ」
「いいよ。翔はまだ、拳で考えてるだけだ」
「拳で考えるってなんだよ」
「つまり、本能だってこと」
慎は小さく笑った。
「でも……本能は、笑いにも必要だ」
俺は返す言葉がなくなった。
◇ ◇ ◇
僕――宮下慎は、翔の横顔を見つめていた。
机を蹴ったときの翔の目。
あの荒っぽい光。
だけど、すぐに「悪ぃ」と口にした。
――本当は、翔は変わりたいんじゃないか。
昔の僕なら、こんな不良と関わることすら考えなかった。
だけど、笑いの練習をしているうちに気づいた。
翔の言葉や動きには、不器用な正直さがある。
殴るのは下手な表現方法に過ぎない。
それなら、もっと別の表現を――笑いを――教えればいい。
そう思う自分に、少し驚いていた。
「なぁ慎……」
翔が不意に声をかけてきた。
「俺、やっぱ向いてねぇんじゃねえかな」
大きな体が、少しだけ縮こまって見えた。
あの拳しか取り柄がない男が、不安を漏らす姿。
僕は、思わず口から出していた。
「……向いてるよ」
「は?」
「翔は、考えなくても“ズレたこと”を言える。それは才能だ」
翔が目を丸くする。
「ズレてる……?」
「そう。普通の人が言わないことを、翔は本気で言える。それが笑いになる」
翔はしばらく黙っていた。
そして――ふっと笑った。
「お前、変な褒め方すんな」
「本気だよ」
そのあと僕は、勇気を出して少し挑発してみた。
「じゃあ、僕がボケをする。翔はツッコミ。……殴らずにね」
「おう、やってみろ」
黒板の前に立ち、僕は大げさに声を張った。
「この前、自販機でボタン押したら、ラーメンが出てきたんだよ!」
「いや、どこの工場だよ!」
翔が即座に突っ込む。
……間が完璧だった。
僕の胸に小さな電流が走る。
翔が――笑っていた。
殴るときとは違う、少年みたいな顔で。
練習を終え、夕方の教室に二人きり。
窓から差し込む光が赤くて、翔の影が長く伸びていた。
彼は窓の外を見ながらつぶやく。
「……殴らなくても、スッとすること、あるんだな」
その言葉を聞いて、僕は胸が熱くなった。
そうだ。
この人は、きっと変われる。
笑いなら、その力になれる。