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襲来


「――ねえ、焔獄鬼」


 唐突に。


 神楽が、本音を見せる時の口調で、焔獄鬼の名を呟いた。


 焔獄鬼の胸に、何故か、不安のような、焦燥のような風が、一瞬吹き抜ける。


「私も、その子も、父の代わりにはなれないのよ」


 思いも掛けなかった、言葉。


 何を言っている。そんなつもりはない。父上の名を貰ったことが気に入らないなら今からでも別の名を考える。


 それに、自分の神楽に仕えたい気持ちも、側に居たいと願う気持ちも、偽りも別の意味もない。


 何故そんな。


 ――心の中に駆け巡った言葉を、咄嗟に叫びそうになった。


 でも、出来なかった。


 神楽の瞳が、まるで……迷子になった子供のような、何処に行けば分からずに立ち尽くす時のような、とても、不安な色を押し隠していたから。


 どう、伝えればいい。

 どう、言葉を尽くせば。


 焔獄鬼は、どう言い表せば良いか分からぬ感情を、持ち前の精神力で捻じ伏せて。


 御免、と小さく言ってから、ずい、と神楽との距離を縮めた。


「、……」


 流石にこれには神楽も少々驚いたらしい。


 一瞬目を瞠ったけれど。


「――我が、そのような気持ちで、今、おぬしの側におるとでも?」


 ぶすくれた口調だけは隠せなかったのは許して欲しい。


 上手い伝え方なんて知らない。

 上手い言葉なんて知らない。


 咄嗟に身を引く神楽の手を掴んで、責めるような訴えるような目で、とにかくそれだけを言った。


「百年前のあの夜、おぬしと逢った瞬間。そして、百年後、長き眠りから覚めた瞬間。我が影法師が、おぬしの隣で無闇に生きた時間。我が願いも我が望みも、一つだけだった。変わった事も、代わりにと目を逸らした事も、一度もない」


 己という存在を嫌悪して、目を背けた瞬間は、確かにあったけれど。


 この願いだけは、一度も、一瞬も、変わったことは、なかった。


 ――ただ友の腕の中で安らかに眠る、その姿だけで。


 鬼である自分に、温もりをくれた、この少女を。


 永劫、守る役目を担えるのなら。


「それ以外、我が望みはない」


 だから、たかだか飼い妖に、何かの代替えや慰めを求めるわけがないのだ、と。


 少しだけ、語気を、強めれば。


 神楽が、掴まれた手を少し引いて、掴む焔獄鬼の手を絡めるように握り返した。


「……悪かった」


「分かれば良い」


 仲直りの印とばかりに強く握り返せば、焔獄鬼が無意識に振り撒いていた不機嫌な空気が霧散した。





 ――異変は、突然だった。


『!』


 神楽と焔獄鬼が、それぞれの布団の中で弾かれたように目を覚ました、刹那。


 すぐ近くで膨れ上がった殺意と、邪気。


「きゃあぁあぁあああ!!」


「うわぁあああぁああ!!」


 上がった悲鳴は、もはや断末魔だった。


 助八と寅蔵も起き上がり、緊迫した面持ちで身を強張らせる。


 その間にも次々と聞こえる、人間達の悲鳴。


 まだ僅かに距離がある筈なのに、神楽と焔獄鬼の鼻腔を刺激する死臭。


 何が起こっているのかは考えるまでもなかった。


「――焔」


「ここにいろ!」


 神楽が襖を開けて焔獄鬼達の部屋に駆け込んだと同時に、焔獄鬼は部屋を飛び出して廊下を走る。

 客室となっている二階の宿泊客達も皆、何事かと混乱した様子で次々と部屋から顔を出していた。


「部屋から出るな!」


 焔獄鬼はそう半ば怒鳴るように叫ぶと、一階へ続く階段まで一気に駆けて、一足飛びで下に下りる。


「!!」


 そこはもはや、地獄絵図のような惨状が広がっていた。


 鼻が捥げそうな程の血の臭い、死臭。

 床は真っ赤に染まり、壁や柱には人間の肉片が飛び散っている。


 森の中で見た惨状と、同じくらい惨たらしい光景。

 違うのは――この惨状を作り出した張本人が、今、焔獄鬼の目の前に居る、ということだった。


「何者だ」


 素早く腰の刀に手を遣りながら、焔獄鬼が問う。


 暗い室内だが、焔獄鬼には目の前の人物の輪郭がはっきりと見えていた。


 真っ黒な衣に身を包む長身、右手には抜き身の刀、左手には……宿の主人の首。


「貴様が例の辻斬りか」


 宿に着いた時、笑顔で出迎えてくれた主人の顔が頭にちらつく。


 深い親交のある相手という訳ではなかったが、確かに今、焔獄鬼の中で憤怒が湧き上がっていた。


 黒ずくめはゆっくりと振り返り、焔獄鬼と正面から対峙する。


 焔獄鬼の言葉には何一つ返さぬまま、そいつはゆっくりと刀を持ち上げて――


 いきなり、持っていた主人の首を焔獄鬼目掛けて投げ付ける。


「っ、」


 これには流石に焔獄鬼も対応が遅れた。


 咄嗟に投げられた首を避けてしまい、首は今し方下りて来た階段に激突して、鼻の辺りが折れる音がした。


 焔獄鬼は苦い顔をしたが、それにばかり気を取られている場合ではなかった。


 首を投げ付けて次の瞬間、黒ずくめが追撃に掛かる。


 焔獄鬼は刀を抜いて応戦する。

 相手の太刀筋は鋭く、素早い。だが焔獄鬼や神楽程ではない故、普段の彼ならばこの程度の相手を制することなど、造作もないことだった。


 が、焔獄鬼の動きはぎこちない。相手の攻撃を受け、躱し、退く。それだけで精一杯だった。


 理由は、屋内という環境と。あちこちに宿の使用人達の死体が転がっているという状況。


 血の海と化している床の上では足を取られ、狭い室内で刀を振ると柱や亡骸に当たりそうで大振りが憚られる。


 こういった状況での戦いに、単純に、焔獄鬼は慣れていないのだった。


 だがそんな不慣れな戦闘の中でも、焔獄鬼は相手に対しての違和感には気が付いていた。


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