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小さな命

 

 すっかり暗くなってしまった頃、四人は宿場町側まで辿り着いた。


 助八が神楽に今夜の宿はもう決めてある事、その宿はこの辺りに行商に出向く度に利用している宿で、出発前にまた泊まらせて欲しいと文を送っておいた事などを説明した。


 その口調は何処か無理に明るくしているようだった。


 あんな凄惨な光景を見た後だから仕方がない。


 助八の言葉に軽く相槌を打ちながら、他にも急ぎ町に入ろうとする旅人達と同様、四人は少々足を速める。


「……?」


 その時、ふと感じた気配に、焔獄鬼は足を止めた。

 先程のような不穏さはなく、だが清廉という感じでもなく、大きくはないが無視出来るほど小さくもなく。


「どうした?」


 そんな焔獄鬼に気付いて神楽が問う。

 つられて助八達も立ち止まって、また不安そうな顔に戻った。


 神楽は気配に気が付いていないらしい。


「いや……」


 短く答えて、焔獄鬼は踵を返す。


 来た道を少々引き返し、やがて道を逸れて林の中へ。

 すると、気配の主は殊の外呆気なく見付かった。


「……、」


 思わず焔獄鬼は少々間の抜けた顔になる。


 見付けたのは獣とか人間の死骸とか、そういう物騒で不穏なもの、ではなく。


 ――小さな体で、突如現れた焔獄鬼を精一杯威嚇している小動物、だった。


 否、“小動物”というのは厳密に言うと誤りである。


「……何です……? これ……」


 後から付いて来たのだろう寅蔵が、焔獄鬼の背後からそっとその存在を見付け、思わず困惑気味に呟いた。


 何、と問われても、焔獄鬼もはっきりと答えられない。


 その小動物は、そういう、姿をしていた。


「……狐……?」


「猫……?」


「いや、よく見ると、犬にも見える……気がするけれど……」


 助八と寅蔵は揃って“それ”が何なのか、考える。


 焔獄鬼だけでなく二人の人間が現れたことで、“それ”は威嚇の姿勢こそ崩さぬままに、少々の怯えを見せ始めた。


 見た目は確かに狐にも見えるし、猫や犬、ともすると違う生き物にも見えないこともない。


 だが逆を言えば、この小動物は、そのどれでもあってどれでもないということである。


 更に言えば大きさは普通の子猫や子犬よりも小さい。


 ――つまり。


「――妖か」


 屈む三人の男達の後ろで、神楽が静かに言った。

 え? と助八と寅蔵が瞠った顔で神楽の方を振り向く。


「その異形な姿、まず間違いないだろう」


 神楽が続ければ、焔獄鬼も一つ頷く。


「で、では……見た目に騙されて近付いたら危険、ということですか……っ?」


 寅蔵が慌てた様子で“それ”から離れるが、神楽はゆっくり首を横に振った。


「その者の妖気も瘴気もまだ微弱です。恐らく今は、他の普通の獣達と同様、自然の摂理の中でしか生きられぬ存在。人間を餌だとは、まだ認識出来ていないでしょう」


 人間で言うなら、まだ乳以外のものを食べ物として認識出来ていない生まれたての赤ん坊のようなもの。


 そう努めて柔らかく言えば、助八と寅蔵は安堵の息を零した。


「あ……その子、何やら怪我をしていますね」


 改めて助八が小妖の方を見遣り、その子の後ろ脚の辺りが傷付いていることに気付く。


 こんな非力な存在だ。他の獣に襲われたか、何処かに引っ掛けたりしたか。


 焔獄鬼は考えるより先に、小妖に手を伸ばした。


 が。


「っ、」


 小妖は前脚で焔獄鬼の手を払い、指先を引っ搔いた。


「――少し落ち着け」


 そうして、少しだけ叱責するような声音でぴしゃりと言い放ちながら、もう一度、手を伸ばす。


 助八と寅蔵が半ばぎょっとして息を呑んだが、下手に声を上げるのが憚られて見守るしかない。


「危害を加えるつもりはない。お前が、我が主を傷付けぬうちは」


 焔獄鬼が告げた瞬間。小妖は威嚇をやめた。


「分かるだろう、お前には。我が――何であるか」


 更にそう小さく告げた時。小妖はその場に腰を下ろし、頭を低くした。


 さながらそれは、臣下が主君に頭を垂れるようにも、見えた。


「え、凄い……今の、どうやったんです?」


 寅蔵が興奮気味に身を乗り出す。びくりと小妖が縮こまって、焔獄鬼は一瞬眉を顰めて寅蔵の方を振り向いたけれど。


「こう見えて、動物に好かれ易い男なのですよ」


 呆れ交じりに神楽が言えば、焔獄鬼はすぐに視線を小妖に戻す。


 焔獄鬼は腰に下げていた竹筒を持ち上げて、小妖の傷口を洗う。その後懐から薬草を取り出して、小妖の傷口に当てた。


 傷口が染みるのだろう、小妖は苦し気に唸って目をきつく閉じた。

 一通りの応急処置を終えると、焔獄鬼は手拭いを包帯代わりに傷口に巻いた。


「……そのうち、その程度の傷ならば痛みすら感じぬようになる」


 何処か憐れむように、焔獄鬼は言う。


 妖にとて痛みはある。苦しみはある。悲鳴を上げることもあれば、それから逃れるために暴れ回ることもある。


 その術さえも分からず、今はただ目の前に現れた何かを威嚇し、怯えるしかない、この小さな存在に。


「いずれ力を蓄えても、我の前には二度と現れるなよ」


 そうなれば、我は、貴様を両断しなければならなくなる。

 それは少々寝覚めが悪いし。


 心の中だけで、らしくもなく付け加えて、焔獄鬼は小妖怪に背を向けた。


「――すまぬ。余計な足止めをさせたな」


 三人にいつも通りの口調で詫びて、「急ごう」と促す。


 が、その時。


 ――きゅぅぅうう!


 少しだけ甲高い鳴き声と共に、小妖が突然焔獄鬼に飛び付き、足元から肩に全力で駆け上って来た。


「きゅ、きゅぅ!」


「お、おい」


 嬉しそうに、じゃれるように目元を綻ばせ、小妖は焔獄鬼に頬擦りをし、肩から肩へと走り回る。


「ははっ、すっかり懐かれてしまったようですね」


 助八が小妖を覗き込むようにしながら言う。


 尻尾を振ってはしゃぐ様子は確かに犬のようである。


 下りろ、と厳しく焔獄鬼が言って小妖を引き剥そうとするが、ひしっ! と焔獄鬼の肩にしがみ付いて離れようとしない。


「こうして見ると何だか可愛いですね。妖だとは信じられません」


「本当になぁ」


 何処までも微笑ましく見つめる人間二人と、きゅぅきゅぅ鳴いて離れない小妖に、焔獄鬼はついにどうしていいか分からなくなって。


「主……」


 半ば助けを求める心地で神楽の方を見遣れば。


「……仕方ないだろう。無理に引き剝がしても、ずっと付いて来るぞ、そいつは」


 あろうことか小さな苦笑交じりに、連れていくことを了承したのだった。


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