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弔いの火


「邪気だけで、大きな瘴気は感じぬが……」


 焔獄鬼が腑に落ちない様子でそう呟けば、神楽は神妙な顔で「そういう妖もいるだろう」と言った。


「まさか、我やお主以外で瘴気を持たぬ妖など……」


「違う。そうではなくて、自らの瘴気を消せる妖もいるだろう、ということだ」


 妖の瘴気とは、人間で言う精気のようなもの。


 如何に力の弱い妖でも、生まれたばかりの妖でも、妖として産まれたならば必ず瘴気は纏われる。


 例外が、神楽と焔獄鬼の二人。


 神楽は元々が生粋の妖ではないから瘴気を持たないし、焔獄鬼は鬼であるがその本質は――鬼でありながら生まれつき瘴気を持たぬ、異端の存在。


 “最強の悪鬼”と人の世では言い伝えられてはいるが、真実は違うところにある。


「瘴気を消す……などと、そのような真似が出来るのか?」


「……お前は知ってるだろう。それが出来ていた者を。人を殺す為でなく、人と生きる為に」


「――、」


「幾百の命を喰らい、人の姿と見分けがつかない程に人に化ける能力を得た妖ならば。不可能ではない」


 神楽の声が少し淋しそうに聞こえたのは、多分、焔獄鬼の気のせいではないだろう。


 神楽が誰の事を言っているのか、焔獄鬼にはすぐにわかった。


「まあ、本当に消したわけじゃなくて、隠すとか塗り替えるとか、そういう類いの妖術みたいだったけど」


 多分、この人達を殺したのが妖とするなら、そいつも自らの瘴気を覆い隠しているんだろう、と神楽は続けた。


「あ、あの……神楽様……」


 助八が恐る恐るといった様子で声をかけてくる。

 死体の前で何やら話し込む神楽達に、痺れを切らしたのだろう。


 確かに、死体の山というのは、普通の人間にとってはあまり長く見ていたくない光景だ。


「――残念ながら、息のある者はおりません。恐らくは辻斬りの仕業でしょう」


「そ、そんな……」


「もうすぐ日が暮れます。お二人はこの焔と共に先をお急ぎ下さい」


「神楽様は……?」


「私は彼等の弔いをしてから参ります。このまま放置しておけば、妖達の餌になるだけですから」


 惨殺されて尚、それはあまりに残酷過ぎるから。


 そう神楽が言うと、助八達はまた互いに顔を見合わせて、次いで、焔獄鬼と惨たらしい旅芸人達の亡骸を順に見遣った。


 助八は一瞬迷うような、冗談じゃない、というような顔をしたが、やがて、意を決した顔で「私も手伝います」と言った。


「旦那様……!?」


「縁もゆかりもない方々とはいえ、このまま立ち去っては人として申し訳が立ちません。商談予定の町には明後日(みょうごにち)までに着けば良いので」


「し、しかし旦那様……!」


「寅蔵。嫌ならお前は先に行きなさい。どのみち次の宿場で今日は宿を取る予定だったんだ。先に行って、宿で気持ちを落ち着けるといい」


 見放したり呆れるというわけでなく、助八なりの寅蔵への労りだった。


 そう言う助八自身、躊躇わないわけでも、やりたくてやるわけでもないだろう。


 人として。誰もが簡単に口にする台詞でありながら、そうあるべきと本当に行動しようとするのは、この商人(あきんど)の人柄故だろうと神楽は思った。


「……旦那様を置いてなど、行けるわけがございません」


 困惑していた寅蔵も、やがてそう決意した。

 こちらは人としてというより、何処か諦観と自棄が混じっていたけれど。


「神楽様、どうか、お手伝いさせて下さい」


 そんな寅蔵に薄く苦笑して、助八は頭を下げる。


 いい人だな、と神楽は思った。


「では、亡骸を一ヶ所に集めていただけますか?」


 ――旅芸人達の亡骸を、倒れた荷車を囲うように集める。


 人数は多くない一座だったが、中には神楽と年頃の変わらぬ女や十かそこらの子供もいて、助八と寅蔵は時折苦しそうに目を逸らした。


 集め終わる頃には、もう夜の気配がそこまで迫っていた。


「これで全員、ですね」


 寅蔵が静かに言う。


 神楽は、助八と寅蔵に少し下がるように言うと、焔獄鬼に目配せした。


 焔獄鬼は小さく頷くと、目を閉じて妖力を高める。


 助八達に気付かれないよう、体の前で小さく人差し指をひゅ、と一閃させると、亡骸の周りに薄い幕のようなものが生まれた。


 次いで神楽が集めておいた薪に、火打石で火を点ける。


 それを、荷車の中に放り込み、更にもう数本同じように火を点けた薪を投げ入れた。


 炎は少しずつ、しかし確実に広がっていき、荷車を、側に集めた人間達の亡骸を燃やしていった。


 風があるのに、火は何かに阻まれているかのように、人間の亡骸だけを燃やし続ける。


 焔獄鬼が先程張った幕――弱性の結界のお陰だった。


 炎が悪戯に燃え広がらないようにするため、そして、亡骸に遺る無念や絶望が悪戯に大地に流れ込まないようにするためのもの。


 弱性なので人間の目には見えないが、助八達にはともすると炎が意志でも持って亡骸だけを燃やしているように見えているかもしれない。


 だが、当の助八達はそんなことを気にするより先に、弔いの炎に向けて手を合わせて、深く、祈りを捧げていた。


「――火は、嫌いよ」


 焔獄鬼の、耳にだけ、聞こえた、声。


 いつもと違う口調は、だからこそ、彼女の本音だと、焔獄鬼は、焔獄鬼だけは、知っている。


「でも、貴方達の無念を大地に遺すわけにはいかないの。――貴方達の穢れも」


 血に染まる木々と草花を見遣る。生来の自然の正気のお陰で、まだ邪気に完全に染まらずにいられているけれど。


 大地を守る、尊き命。だが血に穢された彼等は、このままでは正気ではなく邪気を発するようになってしまうだろう。


 焔獄鬼は妖力を操って、結界の一部を僅かに緩める。


 炎は人間の血で穢れた木々と草花だけを、それこそ意志を持ったように燃やし始めた。


「普通に埋葬も出来ず、温かな光による浄化も出来ず、嫌いだと言いながら燃やすしか術がないことを、どうか、許して」


 それは、自分も、同じ。


 無念を染み付かせたまま人間の亡骸を大地に埋めれば、成熟した妖になり切れていない魑魅魍魎達が力を付けて、立派な妖怪として世に放たれるだろう。


 穢れた木々や草花を放置すれば、大地が徐々に邪気に蝕まれていき、そこに棲む妖の力を強めることもあるだろう。


 そして、無念を染み付かせたまま土に還らせれば。


 その体が妖となることも、あるだろう。


 だから神楽は、焔獄鬼は、こうするしか、ない。


 陽が暮れる。


 焔獄鬼が、頃合いを見計らって、術で炎を制御し始める。


 助八達には自然と火が鎮まっていくように見えて、とても不思議そうな顔をしていたが。


 何処となく痛みを堪えているような神楽の顔を見たら、その不思議な気持ちを口にするのが憚られた。


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