怨嗟の終着
――決して、許される筈のない罪に手を染めて。
決して、許されるべきではない罪に身を委ねて。
それでも……愛しているから、一緒に罰を受けよう。
「……焔獄鬼……!!」
神楽が、血を吐くように、臣下の名を、叫ぶ。
それは、檄ではなく命令でもなく。或いは、悲鳴、だったかもしれない。
焔獄鬼は、それに、声を上げて応える代わりに。
持ち前の超速移動で、三人の元へ一気に駆け寄る。
そのまま、刀を振り上げて、未だ直正を貫いている妖刀を、一気に叩き折った。
『ぬああぁぁぁああぁああ!!』
朱音の口から漏れ出した断末魔は、けれど朱音の声とは別の声も混ざり合っていた。
焔獄鬼は朱音の手から“白虎”の柄を取り上げて、彼女の体を突き飛ばすと、取り上げた柄を地面に思い切り叩き付ける。
そうして、自身の刀を逆手に握り替えて、振り下ろす。
焔獄鬼の妖力が込められた刀は“白虎”の柄を粉砕し、そこから黒く淀んだ塊が煙のように噴き出した。
――あああぁぁああぁああ……!
唸り声のようなものを上げながら形を成したそれ。
その姿は、まるで、人間、だった。
――し、ね……シね……シネ……死ね、死ね、死ね、……
狂ったように、或いはそれしか言葉を知らぬかのように、塊は、ひたすら、繰り返す。
凡そ人間の声とは思えない程暗く淀んではいるけれど、神楽には……どうしてか、人間の女の声にしか、聞こえなかった。
咄嗟に抱き留めた直正の体を、そっと、地面に横たえて、神楽は立ち上がる。
止めを刺すべく刀を構えて黒い塊を見上げる焔獄鬼を片手で制して、神楽は塊を見上げた。
「……弱者は、踏み付けられる」
そうして、静かに言う。
未だ自身の怨嗟を共に晴らしてくれる器を求め、揺蕩う塊に、言い聞かせるように。
「弱者とは……単に身分の低い者や、女子供のみを指すんじゃない」
塊が、大きく揺れる。
何処か、ごねるように。
神楽は、そんな塊に、そっと、手で触れる。
「弱者とは……ただ必死に、懸命に、日々を真面目に頑張って生きている、罪なき正当なる者達のことだ」
たとえばそれが、位の高い人間でも。
たとえばそれが、みすぼらしい恰好をしている百姓でも。
塊を指先で撫でる。
刀を粉砕されて尚、何処にも行けぬ絶望に、寄り添うように。
根源は、そう、ただ一人の、ちっぽけな人間の心。
女で、身分も低くて、所詮、戦に使う道具を作ることしか出来なくて、実際戦に立てる訳でもなくて。
けれど懸命に、求められるものに出来る限り応えようと必死に、生きていただけの、ごく普通の、人間。
踏み付けにされた腹いせの為に、誰かを、相手を踏み付け返したのなら、その時点で、それは“踏み付け返した者”の罪。
罪は、罰は、犯した者が犯した罪の分だけ背負わなくてはならない。
それが理。
許される理由はない。救われる理由もない。
「お前の憎悪と絶望は――私が代わりに背負おう」
許すつもりも、救ってやる義理もない。
けれど。何の因果か、偶然か。
同じ怒りを抱き、同じ憎悪を撒き散らし、同じ罪を背負い、不死となった神楽だから。
許してはやれなくても、救ってはやれなくても。
それくらいならば、してあげてもいい、気がした。
「後は引き受ける。だから貴方は、もう、眠りなさい」
それ程までに、人間が憎いなら。殺したいのなら。
――そう、告げると。
塊は再び大きく揺らめいて、やがて。
黒く淀んだ光を放つ。
「神楽!」
危険を感じた焔獄鬼は、神楽を強引に抱き寄せて、覆い被さるように庇う。
――おおおぉぉおおぉん――
咆哮か、唸り声か、絶叫か。
どれとも付かない声が響き渡り、次いで、塊が弾け飛ぶ。
神楽と焔獄鬼が顔を上げると、そこにはもう、黒い塊はなかった。
ドロドロとした残骸が、朱音の無残な亡骸に集まり、覆っていく。
そうして、塊は、朱音の亡骸に遺った怨念を丸ごと呑み込んで――やがて渇いた黒き砂塵となって、風に乗って、消えた。
「直正……」
腹部に突き刺さっていた“白虎”の刀身も、ややあって砂塵となって消えた。
まだ直正には息があった。
傷の具合を確かめる。
未だ止め処なく流れる血液と、広がっていく血溜まり。
もう手の施しようがないのは、明らかだった。
「……かぐら、さん……朱音は……朱音は……、妖刀、から……解放、され……た、かい……?」
最後の力を振り絞り、直正が目を開けて途切れ途切れに問う。
「……ええ」
神楽も短く答えれば、直正は心底ほっとした表情を見せた。
「さっきは、ごめ、んな……酷い、事を……言った……」
「いえ。至極尤もな言い分です。認められるか許されるかは別ですが」
「はは……はっきり、言う、なぁ……でも、……たしか、に……これが……罰、だ、な……」
妹の暴走を止められなかったこと。
妹の想いは純粋なものだと信じて、一瞬も疑わなかったこと。
妹であるが故に、という理由だけで、罪を言い逃れようとしたこと。
だが直正のそれらの罪は――死で贖うには、重過ぎる。
神楽は拳をきつく握った。
殺すと決めた相手ならば、どんな事情や理由があろうと容赦はしない。
でも、そうでない者が、巻き添えで死ぬというのは、やはり、後味が、悪い。
「……人間嫌い、の、くせに……残念な、性格、してるな……君は……」
そんな神楽の気持ちを見透かしたように、直正が苦笑する。
それはまるで、妹の欠点を包み込んで「しょうがないな」と言うような苦笑だった。
「いいさ……俺は……あの子の……兄さん、だから……」
笑みを浮かべたまま、直正は僅かに顔を動かして、空を見上げる。
小さく息を零して、目を細める様子は、緩やかに訪れる死を受け入れる準備のようだった。
「焔さん、にも……よく、おわ、び、を……――」
その言葉が、最後までちゃんと紡がれることはなかった。
自分が何かを言っていることにも気付いていない様子で、直正は、静かに、ゆっくりと……眠るように目を閉じて、息を、引き取った。




