「鬼」対「妖刀」
「朱音!!」
妹の名を呼ぶ直正の声が、何だか耳障りだった。
狂喜と共に振るわれる刀を、次々と受け止め、弾き返し、反撃する。
朱音――否、“白虎”は焔獄鬼の動きに付いて来ている。どころか、時に躱し、時に一瞬の隙を正確に突いて来る。
一度刃を交えたせいか、と焔獄鬼は微かに苦い気持ちになったが、すぐにそれだけではないことにも気付いた。
「うひひひひひひひひひ」
口元を歪め、光のない瞳を見開き、凡そ人の領域ではない速度で走り、跳び、剣を振るう。
それは……妖刀が無理矢理、動かしているせいだった。
焔獄鬼が首元目掛けて突き出された刀を躱して朱音の背後に身を捩れば、“白虎”は朱音の首だけを真後ろに回し、更に腕を前から後ろに回転させて振り落とすようにして彼を両断しようとする。
体全体ではなく、その部位だけ、を、無理矢理回したり曲げたりしているのだ。
生きている人間が首だけを真後ろに回すことなど出来ないし、誰かの手によってそんなことを無理にやらされたら首が折れて死ぬ。
腕を向きを変えずに前から後ろに回転させて動かせば、肩が外れる。
こう動けば、躱せば、次はこう仕掛けて来るだろう、という定石が通用せず、焔獄鬼は意図せず動きに狼狽が出てしまう。
しかも朱音自身は死人であるが故に、斬っても斬っても悲鳴も上げないどころか怯みも倒れもしない。
「やめろ! 頼む、朱音! 焔さんも……っ、もうやめてくれ!!」
直正の悲痛な叫びが続く。
やめられるものならとっくにやめている。
そもそも、この“最強の悪鬼”が、たかだか刀一本、死人一人に手古摺っているなどと、流石に腹が立って来た。
焔獄鬼は小さく舌打ちをすると、一旦、刀を鞘に納める。
にぃ、と朱音の口元が不敵に歪む。
好機と見たか、朱音が嘲笑の高笑いを上げながら、一気に焔獄鬼との距離を詰める。
懐の中で、狛が身を強張らせたのが分かった。
焔獄鬼は、鋭い視線で朱音を見据えて――朱音の足が、間合いに入ったと同時に、息を、止める。
そして、目を見開き、瞬時に間合いを詰め、刀を一気に引き抜き、一閃。
「ぐあぁあああぁっ!」
哄笑は、断末魔に一変する。
焔獄鬼が放った一撃は、朱音の冷たい体を、的確に切り裂いていた。
血飛沫が舞い、焔獄鬼の体に、顔に、地面に、降り掛かる。
生きていたならば即死か、失血死する程の深手である。
たとえ妖刀とはいえ、器に与えられた衝撃は自身にも影響がある筈。
思った通り、朱音の体はそのまま力なく倒れ込んでいく。
「朱音!!」
妹の死にゆく様を二度も見せられて、直正の声はもはや悲鳴というより絶叫だった。
焔獄鬼はすかさず次の構えを取る。
朱音の体が地面に伏したら、すかさず妖刀を粉砕する。
今度こそ、それで終わりだ。
――そう、その場の誰もが、これで終わりだと、半ば確信した。
しかし。朱音の体が前のめりに傾いて、地面に倒れ込む、その、刹那。
焔獄鬼の胸に、一陣の冷たい風が、吹き抜ける。
予感か、警告か。
息を詰めた瞬間、彼の目に飛び込んで来たのは――歪んだ朱音の口元だった。
(いかん……!)
思ったのは直感だった。
妖刀を粉砕すべく構えた刀を、もう一度、朱音目掛けて振り下ろす。
だが――遅かった。
「!」
振り下ろされたと同時に、朱音は地を蹴り跳び上がる。
焔獄鬼の刀の切っ先が彼女の額を割ったが、そんなことは妖刀は構わない。
朱音の体は焔獄鬼を飛び越え、着地と同時に神楽と直正に向けて一気に駆け出す。
「神楽……!!」
失念していた。
妖刀の狙いは最初から、不死の体を持つ、神楽。
深手を負い、焔獄鬼との戦いを静観し油断しているだろう今は、妖刀にとって絶好の機会だった。
神楽の背中の傷は、とうに癒えている。
必要とあらば焔獄鬼に加勢するべく機を窺ってもいた、けれど。
焔獄鬼に斬られ、これで終幕だと思って気を微かに散じたせいで、咄嗟に反応が遅れた。
何とか妖刀の刃が届くより先に、鉄扇を広げて身を庇うように掲げる。
――刹那。
「、え……」
ふわりと、鼻腔を擽った、薬と、草の、匂い。
無意識に声を上げて、次いで、眼前に、白い何かで視界を遮られる。
――そして。
「……っ、ぁ……!」
肉を裂く音と、くぐもった声。
頬に手に、飛び散る生温かく赤い液体。
視界を遮る真っ白な何かは……その瞬間、真っ赤に、染まった。
直正の口から、大量の血液が吐き出される。
薬と草の匂いは、すぐに、血の臭いに覆い隠される。
神楽も焔獄鬼も、思わず絶句した。
まさか、こんな真似をするなんて……夢にも思わなかったのだ。
「直正……っ」
堪らず神楽が悲鳴にも似た声で直正の名を呼ぶ。
今、正に、死人となった妹の凶刃から、身を挺して庇ってくれた、人間の男の名を。
朱音が突き刺した妖刀は、直正の体を腹から背中まで真っ直ぐに刺し貫いていた。
背中から、腹から血液が溢れて、地面に血溜まりが出来る。
「あか……ね……」
呼吸さえままならない口で、妹の名を紡ぐ。
更に大量の血液を吐き出して、それでも彼は、死人となり生前の愛らしさの欠片も残っていない妹に、微笑みを向ける。
「朱音……も、う……やめ、よう……俺、も……い、……一緒……に」
それは、奇しくも。
“白虎”を作った茜に……自身の怨嗟に呑み込まれてしまった最愛の妻に、夫が最期に放った言葉と、同じだった。




