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人であるのならば

 

 ――喰わずに、いたかった。


 喰わないでいられたら、どんなに、良かったか。


 焔獄鬼と出逢えないままでも、あのまま、静かに生きていられる世界があったなら。


 父も、母も、友も……焔獄鬼も。誰の行く道も、今頃。


 でも――それを、壊したのは。


「――、っ!!」


 振り切るように。振り払うように。


 神楽は、更に妖気を漲らせて、“白虎”が突き刺さる左腕を、力任せにぐい、と引く。

 信じられない剛力で朱音も体を引き起こされて、平衡を崩して神楽の方に体が傾く。


「っ、ぐ、ふ……!」


 その隙を突いて、神楽の妖力を込めた鉄扇が、朱音の心の臓を正確に捉えた。


 血飛沫が舞い、二人の女の着物を赤く染め上げる。


 朱音は口から大量に血液を吐き出しながら、力なくその場に崩れ落ちた。


 ずるりと“白虎”の柄から彼女の手が滑り落ち、妖しい輝きが翳る。


 神楽はすかさず自身に突き刺さる“白虎”を引き抜いて、地面に放り捨てた。


「あ……朱音……っ!!」


 直正が肩を押さえたまま、倒れた朱音に駆け寄る。


 地面には血溜まりが広がっていき、見開いたままの朱音の目にはもう、生気はない。


「何で……っ」


 何度も妹の肩を揺すり、名を叫ぶ直正が、やがて、明らかな憤りを露わにして、神楽を見上げた。


「何で殺した!!」


 神楽は、隠しもせずに眉を顰める。


「朱音の暴走は、妖刀のせいだったんだろう!? 妖刀が朱音を操って町の人を殺したんだろう!? だったら朱音は被害者じゃないか! 妖刀だけ朱音から引き剝がして破壊すればいいだけの話だったんじゃないのか!?」


 ――気持ちは、分からないではない。人間の心情として、どうしてもそういう風に思ってしまうのも、分からないではない。


 だが、この兄は、妹の一連の発言を聞いていなかったのだろうか。


「それを望んだのは、他ならぬ朱音自身だ」


 全ては、神楽を殺す為。

 神楽を殺して、焔獄鬼を手に入れる為。


 朱音自身が言ったことだ。


「普通の人間ならば。分を弁えている者ならば。潔く身を引くべき場面で、あろうことか惚れた男の心を無理矢理手に入れようと、妖刀の器になることを自ら受け入れたと、他ならぬお前の妹が、豪語したのだ」


 その為に、同じ町に住む者達を、無関係の罪なき人間達を、殺した。

 女子供まで見境なく。


「それを、「妖刀のせいなんだから仕方ないだろう」とでも言うつもりか。そう言って、殺された者達やその家族は果たして納得してくれるのか?」


「それは……!」


「そんな自分勝手な言い分で「妹は被害者だ」と宣って、殺された者達やその家族が、許してくれると思うのか?」


 何処までも冷徹に、神楽は言う。


 たとえば本当に、朱音が“操られているだけ”であったなら。


 神楽はまだ、何か方法を探したかもしれない。


 彼の言うように、妖刀だけを破壊して、瘴気に汚染された体を、神楽がどうにか力を注いで浄化させようと手を尽くしたかもしれない。


 朱音の事は好きではないが、神楽は人間を好き嫌いで殺さない。


 殺すと決める時はあくまで、相手に「自分が殺すと決めた理由」がある時だけだ。


「っ、そうだ! 許される事じゃない! たとえ妖刀のせいだとしても、朱音がやった事には違いない! 町の人達に事情を説明しても、何処に怒りをぶつけていいか分からずにきっと俺達は憎まれる! でも、それでも……朱音はやっぱり被害者の一人だよ!」


 軽蔑すら滲む神楽の瞳を真っ向から見つめ返し、直正は尚も反論する。


「だってそうじゃないか! 誰かを妬んだり憎んだり……殺したいと思ったり。そういう感情は、人間だって誰もが持ってる! それを抱いた事自体は、誰にも責められるもんじゃない! 朱音は確かにあんたに対してそういう感情を持ったのかもしれないけど、妖刀に付け込まれさえしなきゃ、本気であんたを殺そうとなんかしなかった筈だ!」


 それは、確かに、そうだろう、と神楽も、思う。


 武人でもなく、武術を学んだことすらなく。


 小さな世界で、確かな幸福の中で生きて来た人間ならば、尚の事。


 まともな人間ならば、誰でもそういう分別を、ちゃんと持っている。


「なのに、たまたま……っ、朱音が妖刀に付け込まれてしまっただけなのに、妖刀さえ現れなきゃこんなことにならなかったのに……朱音を諸悪の根源みたいに扱って断罪するなんて、そんな権利が、そもそも人間じゃないあんたにあるのか!!」


 ――そうだ。


 朱音は多分、断じられるような事を、した訳じゃないのだ。


 少なくとも、妖刀に見付かる直前までは。


 ただ、幸か不幸か一目見て初めて恋をした相手が鬼で、初めて抱いた気持ちを持て余してしまって、膨れ上がらせ続けてしまって。


 それ故に、相手の心の中心にいる人物を、疎ましく思ってしまった。


 それこそ、人の世では、よくある話だ。


 直正の言うように、たまたま。不幸な偶然が重なってしまった結果だ。


 でも――だから、こそ。


「だが現実として、朱音は人を殺し、ただ一人の家族である貴様を斬った」


「っ……」


 言わなくては、いけなかった。


 そんなの誰でも当たり前に持つ感情だろう、と、妹の為に言い訳をする兄に。


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