苦手な事
料理は最高級のものが用意された。
用心棒を引き受けてくれた礼にと、助八が手配してくれたものだった。
「こんな贅沢、いいのに」
流石に少々申し訳なさそうに神楽が言うと、助八は首を勢いよく振りながら「何を仰います! どうぞご遠慮なさらずに!」と膳を勧めてきた。
余程先の用心棒に逃げられてからこっち、不安が大きかったと見える。
まだ旅の途中だというのに、助八にはその不安そうな様子は微塵も感じられなかった。
「では遠慮なく――いただきます」
そこまで喜ばれもてなされては無下にも出来ない。
神楽は一つ小さく息を零して、手を合わせて箸を取った。
焔獄鬼もそれに倣い、二人で食事を口に運ぶ。
流石は漁が盛んな港町、調理された魚は何とも美味だった。
「焔様、どうぞ一献」
「、……ああ」
寅蔵が銚子を持って焔獄鬼の前に座って彼に酒を勧める。
焔というのは、人の世で名乗る為の焔獄鬼の偽名であり、神楽が付けたものだった。
真名の頭文字を一字取って読み方を変えただけ、という単純なものだったが、仮の名であるし奇をてらう必要もないだろう。
実際、その偽名の方が呼び易いのにな、と時々神楽は感じてしまう。
「旦那様、久し振りでございますね、このような何の憂いもない食事というのは」
「ああ。このところ毎晩、先行きが不安で食事も喉を通らなかったからね」
「……水を差すようで悪いが、あまり気を緩めませぬよう。返り討ちに遭う恐れもなくはないし、警戒すべきは辻斬りばかりではありません」
「あ、はい。勿論、心得ております」
念の為忠告すれば、助八達は罰が悪そうに苦笑する。
しかし気持ちは分からないではない。辻斬りでなくても、如何な危険が降り掛かるか分からない世、その中での行商。
命の危機を顧みず旅立たなければならない者は、何も兵士や武士だけではないのだ。
穏やかに明日以降の旅程などを話す助八達を、食事を口に運びつつ眺めていると、ふと視線を感じた。
「……何だ?」
その相手は焔獄鬼で、何やら不思議そうな顔で神楽を見つめていた。
「前から気になっておったがおぬし……我と出逢う前からこのような手段で路銀を稼いでおったのか?」
「そうだが」
「確か数ヶ月前は戦の雇われ兵などもしておった気がするが……そういった事も?」
「ああ。何処かの宿や屋敷で下働きをしたり、食事処で給仕をしたりするより、ずっと賃金が良いし。何より私は、そういった所謂女の仕事よりも、こういう剣を振るう仕事の方が合っているから」
何となく落ち着かない様子で言う焔獄鬼に、神楽は事も無げに言い放つ。
愛想に乏しい神楽が、宿や大きな屋敷で下働きや勝手仕事というのは、確かに何処か不似合いだとは思うが。
「……良いのか? 不死の妖とバレやすいのでは」
「実際バレて捕らえられそうになったこともあるが……そうさせぬ為の手段はいくらでもある」
焔獄鬼は一瞬どう返すべきか困った。
ほんの少しだけ、神楽を捕らえようとして退けられた人間を哀れに感じた。
「しかし、女の仕事が合わぬというのは……単に性分が合わぬということか? それとも、実は苦手なのか?」
次いで好奇心から来た疑問を何とはなしに訊ねてみれば。何だか神楽の表情が不貞腐れた。
「あ、いや、すまん。無礼な事を申したか?」
「いや、違う。性分的に合わないというのも当たりだし、得意でもないし苦手というのもそうだ」
「そう、なのか? 鬼神村ではそういった事もこなしておったと思うが……」
「人間の娘というのは、得手不得手に関わらずある程度の年齢に達すれば、そういう事を当たり前のように学び、当たり前のように会得する。そこは私も例外ではない。だが会得しているからと言って、得意であり好きなことであるかと言えばそうじゃない。人それぞれだろう」
言われて焔獄鬼は、何というか、目が覚めるような気分に包まれた。
当たり前であることが、確かに得意な事だとは限らない。
焔獄鬼が――鬼でありながら、生き物を殺すことが得意でないように。喰い殺すことが、当たり前ではないように。
「だが私の言う合わないというのは、それだけじゃない」
「……と申すと?」
「たとえば何処かの屋敷に下働きとして入ったら、好色の主人に出くわすことがある」
「……は?」
「たとえば何処かの宿に女中働きで入ったら、宿泊していた何処かの国の大名に手籠めにされそうになることがある」
「………は?」
は? と言う短い焔獄鬼の声は、不機嫌を通り越して殺気が籠っていた。
人の世ではこれまたよくある話だ、と神楽は呆れ返った様子で続ける。
「被害に遭う女は大勢いる。だが私がそこに入れば、ほぼ確実に相手は私を標的にする。故に私には、ただの女としてやる仕事は不向きだと悟った」
自分は、男の良くない心を悪戯に刺激する容姿をしているから。
面倒そうに吐き捨てる神楽は、その口調の通り自身の容姿を誇ってもいないし自慢している訳でもない。
自身の顔形がそういう容姿である、というのは、神楽が自覚せざるを得ない、ただの事実として認識している事でしかなかった。
故に、どれ程の人間の男に「美しい」と称されても、正直、何も嬉しくないし何も感じない。