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新たな怨嗟

 

 無意識に唇を噛み締めて、鉄扇を構える。


「っ!」


 が、“白虎”の刃が神楽に届くより先に、焔獄鬼が間に割って入り、自身の刀でそれを受け止めた。


 それは誰の目から見ても、神楽を庇ったのは明白だった。


「――貴様、我が主に刃を向ける意味、分かっておらぬようだな」


 人間の朱音なんかより、ずっと冷たく凄みのある琥珀色の眼差し。


 上手く把握も咀嚼も出来ていないが、少なくとも先程の朱音の言葉は、神楽への暴言であるということだけは分かった。


 ならば、焔獄鬼に躊躇う理由も必要性もない。


 元からこの女の事はあまり気に入らなかったのだ。


 妖刀に魅入られた挙句神楽を殺そうというのならば、是非もない。


「……退いて下さい、焔さん」


 だが、朱音はややあってあっさりと構えを解いて二歩下がった。


「私、貴方の為に妖刀の器になることを受け入れたの。それなのに貴方と戦うなんて、本末転倒だわ」


「器になることを……受け入れた、だと?」


「そう。だってそうしなきゃ、神楽さんと取って代わるなんて到底出来ないもの」


 血に濡れた顔で、何処かあどけなさを潜ませた笑みを浮かべて、朱音はその場で両手を広げてくるりと一つ回る。


 ここへ来てこれまでの辻斬りや妖刀の器にされてしまった者達とは違う気色が見えて、焔獄鬼も微かに困惑した。


「昨夜、あの後。呼ばれたの。この刀に」


「呼ばれた……?」


 小さく反芻したのは神楽だった。


「焔さんが私を受け入れてくれなかったこと。あんたに馬鹿にされて見下されたこと。全部が悲しくて、悔しくて、部屋に帰って一人で泣いてるうちに、それが神楽さんへの恨みに変わっていったの。殺してやりたいって思った。あんたがいなくなりさえすれば、焔さんは少なくとも誰のものでもなくなる」


 再び朱音が、妖刀を眼前に持ち上げた。


「そうなったら……ねえ。私が焔さんをお慰めして、貴方が出来る事を私も一つずつ出来るようにしていって。そうやって焔さんの心を私の方に少しずつ揺り動かさせるの」


 うっとりとした目で、片手で刀身に触れ、愛おしむようにそこに頬を寄せる。


「人を平気で見下すような高飛車で傲慢な女の事より、私の方がずっと焔さんに相応しいって、すぐに気付くようになるわ。ましてや神楽さんは……妖怪の心の臓を喰って不死の妖怪になった、醜い化け物。私みたいな平凡で真っ当に生きて来た女とは、確かに違うもの」


「……どうして、それを」


 思わず神楽が問い返す。


 彼女には勿論、直正も町の人間の誰も、神楽が不死の妖怪であるということは知らない筈。


「この“白虎”が教えてくれたの。貴方と戦った時のこととか。ついでに、この妖刀を作った人や、この妖刀の宿主にされた人達のことも、みんな教えてくれたわ」


 恍惚の笑みは、不敵な笑みへ。


 神楽に見下されていると信じ込む女の目は、今正に神楽を見下していた。


「まあとにかくね。神楽さんが嫌い、神楽さんを殺したい、神楽さんから焔さんを解放してあげたい、そんな思いに支配された時にね。私を呼ぶ声が聞こえたのよ。“おいで”ってね」


 それが、呼ばれた、という言葉の意味。


 恐らくだが、妖刀は先の戦いでの傷を回復させて、神楽の気配を探し出してこの町に来たのだろう。


 別の宿主を経て、着いた途端脱ぎ捨てたのか、はたまた一人浮遊して来たのかは知らない、けれど。


 そうして、神楽を自身の器とすべく辿り着いた先で、大きな怨念を見付けてしまった。


 それも、神楽を殺したい、という、怨嗟。


 多分、妖刀にとっては、朱音が神楽を殺せるか否かはどうでも良いのだ。


 殺せたならば死体を、砂塵となる前に支配すればいいし、殺せないならば早々に朱音に見切りを付けて神楽の隙を突いて乗っ取ればいい。


 要するに、神楽という器を手に入れる為、最大限利用出来る格好の餌食が、朱音だった。


「ああ、焔さん。本当は焔獄鬼っていうお名前なんですよね。それもこの刀が教えてくれましたよ。“最強の悪鬼”と言い伝えられる鬼だって。そのお姿は仮の姿なんですよね。最初はびっくりしましたけど、私、そんなの全然気にしません。だって私も……もう、半分妖怪みたいなものですから。そういう意味では、神楽さんとの違いが一つ無くなりましたね?」


 冷静に、己の意志で判断し、己の意志で受け入れたのだと朱音は思っているようだが、真実は、違う。


「焔さん。私は貴方のものになる為に、この妖刀の器として自分を差し出しました。この刀を握れば誰かに教わらずとも戦うことが出来ます。人も殺せるし、妖怪だって殺せる。貴方が望むなら、今すぐ兄を殺すことだって厭いません」


 昨夜、悲しみと悔しさのあまりに、ほんの一瞬、ほんの僅か、正気を見失った、ばかりに。


「貴方が望むなら、神楽さんを殺した瞬間から、私は“神楽”と名乗ります」


 その一瞬に、付け入られた、ばかりに。


「ねえこれで、その女と違うところなんて、何も無いでしょう?」


 朱音は――人間としての正気と精気を代償に、もう、妖の一部になりかけている。


「焔――いえ、焔獄鬼。私は鬼の子だって産んでもいいわ。神楽より私の方がずっと貴方に相応しいって、これで分かってもらえますよね?」


 理解せずには、いられなかった。


 妖刀を破壊した、ところで。


 朱音はもう、元には、戻らない。


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