その罪の名は無関心
茜はそのまま、妖怪の試し斬りをするべく山に入って、遭遇した一匹目の妖怪に、呆気なく殺された。
刀はその妖怪が持ち去り、そいつは己が剛腕と刀で人間達を虐殺し尽くし、やがて、幾年も経った後に妖同士の戦いに敗れ命を落とした。
打ち捨てられた刀は、更にいくらか月日が流れた後、人間の落ち武者に拾われた。
決して短くはない月日、手入れも何もされずに野晒しとなっていた筈の刀は、されど、妖しくも美しい輝きを放ち、刃毀れさえもなかったという。
その落ち武者は、刀に魅入られて正気を失い、擦れ違う生き物達を悉く虐殺していった。
その後も妖や人間達の手に渡り、刀には持ち主のみならず、斬られた者達の怨念や執念が蓄積されていった。
鉄を打つ毎に刀工の怨念が染み込み、それを糧に生まれた刀は、更に刀工の執念によって名刀となり、そして、それらを始めとする幾百の邪念を取り込んで、妖刀となった。
正気と引き換えに、幸せと引き換えに、彼の刀工の名刀は、稀代の妖刀として世に名をひっそりと残すこととなった。
そうして、長い長い年月の中で、妖刀は己が意志で宿主を選び、或いは偶然ただ手にした者を宿主として支配し、あの土蔵に封印されるまで命を喰らい続けた。
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「……、」
大きく。息を、吐きだした。
握り締めていた鉄扇を、更に強く、握り締める。
「主……」
「きゅぅ……」
焔獄鬼が心配そうに肩に手を置き、狛が足元で鳴く。
大丈夫、という返事の代わりに、神楽は狛の頭をそっと撫でた。
少しの間神楽の手の平に擦り寄った後、狛は今度は神楽の肩に駆け上る。
心が、痛みを訴えているのは、刀工の嘆きにかつての自分の姿を垣間見てしまったせいか。
「……哀れな……」
吐き捨てるようでありながら、酷く苦し気な声音で神楽が呟いた。
同情している訳じゃない。どれ程真っ当に生きていても、所詮、弱き者は踏み付けにされる。
それを嘆いて、自身が踏み付ける力を手にして、踏み付け返すことの愚かさと虚しさを忘れてしまったら、もう、同情する余地などないのだ。
だがそれこそが――茜が壊れた理由、だった。
「この刀掛けが、全てを教えてくれた」
立ち上がり、神楽が溜息交じりに言う。
茜とその夫の末路、刀工の怨念を一身に浴びたが故に名刀ではなく妖刀となってしまった刀。
封じられたのは、茜の死後二十年程経った頃のことだった。
生きた人間が手にすれば、たちまち正気を失い、人を、生き物を見境なく虐殺する凶刃。
妖をも両断出来る程の武具。
決して世に放ったままにしておいてはいけないと判断した時の城主が、各地から僧侶を集め、兵を挙げて妖刀を捕獲し、この場に土蔵を建てて封印した。
「城主は町長にこの土蔵の管理を命じた。暫くはきちんと守っていたらしいけれど、その刀の脅威を知らない町は、時が経つにつれて刀への関心や警戒を失くして行った」
それは直正や朱音の様子から予想していた通りだったが。
「僧侶達もやがてただの習わしのつもりでしか祝詞を挙げなくなっていって、術を維持する力もどんどん弱まっていった。結果、雨風に晒されて碌に手入れもされずに廃れたのも相俟って、術は力を失った」
かつて、焔獄鬼を封印した術とは違い、こちらは半永久的ではない代わりに、きちんと定期的に術の綻びを正していれば、多少天候で廃れても封印は解かれない筈だった。
所詮、人の手に触れなければ脅威などない刀だと侮ったか、妖刀の脅威を正しく言い伝えるのを怠ったか。
いずれにしろ、妖刀が生まれた経緯も、封印が解かれた原因も、人間がその一端を担っていることは否定出来ない事実だった。
「では、妖刀の封印が解かれたのは……」
神楽の口調に段々と苛立ちめいた色が滲み始めたことに気付き、焔獄鬼も苦い声で言う。
「人間の杜撰と無関心、怠慢ゆえ」
答える神楽の声は身も蓋もなかった。
――つまり、この土蔵の“封”と書かれた札の貼ってあった扉は、誰かが故意に開けた訳でもなく。
悪意を以って封印を悪戯に解いた訳でもなく。
多分。中の妖刀の力で自然に、開いたのだ。
恐らくは弱まった自らを封じる力を、自らの力で打ち破って、自らの意志でここから飛び出した。
そうして、どういう経緯かあの黒ずくめの死体を乗っ取って、あちこちで辻斬りを起こした。
封じられて尚、消えることのなかった怨念を纏って。
「そうとも知らずに、あそこの住人は妖刀など自分には関係ないというような顔で、へらへらと生きておるのか」
呆れ返った表情で、焔獄鬼が町を睨む。
「……その妖刀で、今、現実として幾人もの罪なき人間が殺されているとも知らずに……否、認めようともせずに」
ぎり、と軽く奥歯を噛み締めているのが分かった。
朱音に「妖刀の封印は解かれている」と言った時、「そんなことある訳がない」と一笑に付されたことを思い出したのだろう。
「しかし何故妖刀は、あの町には行かずに放浪したのであろう? 宿主なら選び放題であったろうに」
町を睨み付けながら何とはなしに過ぎった疑問を口にする。
「いなかったんだろう。単に。殺したい程誰かを憎む気持ちを持った人間が」
自分の宿主は、そういう怨嗟を抱く人間が相応しい、と。
今あの妖刀が神楽を宿主に狙うのは、妖怪であること、不死の体であるということ、というこれ以上ない好条件の器であるが故だ。
「とにかくこれで、私が抱いていた疑問の答えは得た。行こう」
「ああ」
――人間が生んでしまった、刀という名の妖。
遭遇してしまったのが、同じように人間に絶望し、人間への怨嗟の為に道を過ってしまった妖二人というのも、一つの因果かもしれない。
しかも片方は、元は人間として生きていた女妖怪である、のなら。
同情はしない。けど、気持ちを察さずにはいられない。
だからやはり、あの妖刀は自分達が破壊しなければならないのだと、神楽は、思った。
これもまた運命ならば。
決意と覚悟を決めて、町とは反対方向に歩き出す。
――その時。
「きゃあぁああぁあ!」
「うわぁああ!!」
町の人間達の悲鳴が、幾重にも同時に、響いた。




