人であるが故に人でなくなった夜
急速に、近頃彼の耳に届いていた不穏な事件の数々のことが思い出される。
自分が、仲間の侍達と共にこの刀工に刀の打ち直しを命じて暫くして、城下に出没するようになった辻斬り。
仲間の侍のうちの一人の乱心騒動。
そして――実はこの三日の間に、茜の元を一緒に訪ねた侍達が、相次いで闇討ちされたと城中で騒然となっていたのだ。
「まさか……お前が……!?」
二十人は殺した、と彼女は言った。
妖怪を殺せて、人が殺せて、刃毀れしない刀を作れと命じられて、その、出来栄えを確認する為に。
「渡そうとしたら斬り掛かって来られたんですよ。注文しておいていい加減横暴が過ぎます」
侍は、もはや絶句した。
「貴方方は私達下々(しもじも)の人間が何か意見すると、口答えするなとか無礼者だとか言って怒鳴りますけど。貴方こそ、私の刀がなければ何も出来ない分際で、調子に乗らないで下さいよ」
殺せるんですよ、私でも。
この刀なら。
――そう、不気味に嘲笑った、瞬間。
ついに侍が、床の間に置かれた刀を手に取り、鞘から抜いた。
「おのれ小娘!!」
怒り諸共斬り伏せようと、侍は茜を両断すべく刀を振った……けれど。
次の瞬間、首と胴を絶たれて倒れたのは、侍の方だった。
「……死ね。塵侍」
転がった首を足蹴にして、茜は吐き捨てる。
刃毀れしたから鈍らだって?
人が斬れないから鈍らだって?
妖怪に傷一つ付けられないから鈍らだって?
戦場で折れたから鈍らだって?
じゃあ、刀は打てても武術の心得のない女に殺されたお前等は何だ?
私の刀がなくば何も出来ないくせに、偉そうに。
「死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――死ね!!」
首だけとなった男の顔を、茜は刀でめった刺しにする。
漸く気が済んだ頃には、その男の顔は、もはや原形を留めていなかった。
今まで殺した侍達も、同じ目に遭わせてやった。
恨まれる筋合いはない。だって、そういう刀を、他ならぬお前達が。望んだんだ。
これだけの血に塗れても、美しさは失われていない。
何処までも美しく……誇らしい。
「ふふっ……ふふふふふ……あっははははははははは!!」
何て、素晴らしい刀だろう。
先代の過酷な修行に耐え、刀工として名を売るようになって幾年。
刀工人生の中で一番の出来と言っていい。
さあ、こうなったら何人斬ったところで刃毀れするのか、検証してみよう。
そうしてまた研ぎ直して、改良して、次はもっと凄い刀を打つのだ。
その後は国の兵士なんかじゃなくて……理不尽な憂き目に遭わされている町人に、良心的価格で売り付けるのも良い。
そして一人、また一人と蛆虫や屑の人間が始末されていって、平和で優しい日ノ本になれば、私は平和への立役者だ。
「あはははははははは!! っふふふふふふ……はははははは!!」
どうしよう。笑いが止まらない。
そう考えると、言い掛かりを付けて刀の打ち直しを命じた糞侍達は、尊い功労者であり犠牲者とも言えるだろう。
ああ、しまった。だったらここまで切り刻んでしまって申し訳ない。それこそ無礼な仕打ちだった。
まあそれ以上の無礼を働いたのだからおあいこってことでいいだろう。
――高笑いを止められないまま、茜はぐちゃぐちゃにした侍の首を蹴飛ばす。
その時。
突然、部屋に誰かが飛び込んで来た。
「っ、?」
障子を勢いよく開けた先、そこに絶句して佇んでいたのは。
茜の夫である男。
「あ……あぁ……っ!」
地面に転がる侍の首無し死体と、その側に倒れている女性と子供の死体。
返り血を全身に浴びて高らかに笑う、女房。
誰が見ても、誰がこの惨状を生んだのか、は、一目瞭然、だった。
「何故……どうしてこんなこと!!」
悲痛な叫びは、けれど、妻の心に些かも響くことはない。
「どうして、って……刀の出来栄えを確認するのは、刀工として当然でしょう?」
少しも悪びれることなく。どころか、何が悪いの? と言わんばかりに。
「だってこの人達が言ったのよ。どんなに斬っても刃毀れせず、折れもせず、ちゃんと人が殺せて妖も殺せる刀を寄越せ、って。で、出来上がったのはこれ。凄いでしょう?」
今まで出来なかった事が出来るようになって喜ぶ子供のように、茜は無垢に笑う。
血を被った笑みは、不気味を通り越して悲しかった。
「ああでも、人間はもう散々斬ったけど、妖怪はまだ斬ってないや。妖怪って何処にいるのかな? 近くの森とか?」
何故――何故、こうなるまで、気が付かなかったんだろう。
茜の夫は、項垂れる。
予兆はあった。そう、あったのだ。
たとえば、食事時に独り言が増えたこと。
たとえば、仕事場に籠る時間が増えたこと。
たとえば――夜中、気付くと寝床にいない日が増えたこと。
そして、辻斬りの噂を聞いても、何も、動じなかった、こと。
本来茜は、そういう不穏な噂を聞いたら、怖がるような性格であるのに。
「じゃあちょっと私、妖怪探して来るね。見付けたら斬ってみなきゃ。何匹斬ったら刃毀れしたり折れたりするかな。一匹も殺せなかったらまた一から色々練り直さないと」
絶望に沈む夫の横を、素知らぬふりで茜は通り過ぎる。
殺した女と子供の死体を、何の躊躇いもなく踏み付けにして。
――どうして気が付かなかった。
先程からぐるぐると頭と心の中で繰り返される自問と、後悔。
けれど――今は、後悔に足を絡め取られてる場合じゃない。
こうなってしまった責任は、夫である自分にもある。
夫は次から次に溢れ出る涙を、着物の袖で乱暴に拭って、茜に気付かれないように、懐刀を、取り出した。
(茜……すまない。お前を、止めてやれなくて……)
ぎゅ、と震える両手で、懐刀を握り締める。
(俺も一緒に、罰を受けるから……だから)
心の中に浮かぶ、愛しい女の笑顔に向けて、祈るように告げる。
そして。
「死ね、茜! 俺も一緒に死んでやるから!!」
振り向きざまに、一気に妻の背中目掛けて駆け出し、叫ぶ。
――だが。
「っ――……が……っ!」
次の瞬間、夫は腹部を深く二度切り裂かれて、倒れた。
口から血液を吐き出しながら、彼は、最期の力を振り絞って、愛した妻に向けて手を伸ばす。
茜、と力なく呼ぶ声に、けれど彼女は答えない。
添い遂げると決めた相手を見下ろす茜の目は――ぞっとする程、冷酷だった。




