変わらぬ愚かしさ
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直正達の家に保管されていた妖刀に関する文献というのは、彼の妖刀を作った刀工の身内が綴った手記だった。
刀工が妖刀“白虎”を作るより以前から記されていて、備忘録に近い。
妖刀について書かれた書物を読ませて欲しい、と直正に言った時、彼は当然不思議そうにしていたが、ただの興味ですと神楽が答えたら、あっさりと読ませてくれた。
成程確かに、この町の人間は妖刀がすぐ側にある事実にかなり無頓着だ。
「……何が書いてあるのだ?」
客間に戻り、神楽が手記を食い入るように読み始めると、焔獄鬼も傍らに寄って中身を覗き込む。
「これを記したのは、“白虎”を作った刀工の……夫だ」
少しだけ苦い口調で返って来た声に、焔獄鬼は僅かに目を瞠る。
「あれを打った刀工は、女であったのか」
「ああ」
炊事洗濯針仕事ばかりが女の仕事でも、生き様でもない。
日ノ本の女の大半はそういう生き方をしているけれど、そうでない者も勿論存在する。
実際焔獄鬼も神楽も、女城主が治める国や屈強の男達の中で鎧を纏って戦う女兵士を、これまでの長い月日で何人も見て来た。
なので、驚いたのは女が刀工をしている、という事ではなく、妖刀を作った刀工が女である、という事実だった。
あんな禍々しい妖の刀だから、半ば先入観で男が作った物だと疑っていなかった。
――手記の始まりは、記した男と刀工の女が祝言を挙げた日から書かれていた。
その後、二年程は他愛のない日常の事や、なかなか子宝に恵まれない事を憂う内容などが書かれている。
不穏な香りが文面から漂い始めたのは、彼等の祝言から三年経った春頃。
「……“城の兵士がとんだ言い掛かりをつけに怒鳴り込んで来た。茜は時々あることだと笑っていたが、相手の剣幕に少々狼狽えた様子だった”」
「ん? あかね?」
神楽が声に出して文面を読み上げると、聞き慣れた名が出て来て思わず焔獄鬼が声を上げた。
これには神楽も内心ちょっと驚いていた。
何の偶然か、“白虎”を作った刀工の名と、この手記を保管する家の娘の名が同じであった。
「同じ名前だな。だがありふれた名だ。よくある事だろう」
字は違うし。と締め括れば、焔獄鬼はそうだなと頷いた。
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城の兵士曰く、茜が打った刀が戦場で折れてしまった、のだという。
鍛え方が足りなかったのだとか、打ち方が甘かったのだとか散々怒鳴り散らして、挙句、「所詮は女が打った刀か」と吐き捨て、早急に代わりの刀を打てと命じた、とある。
しかも代金は一銭も支払わず。
これには夫が堪らず抗議したが、茜がそれを止め、彼女自身は兵士の要望に応じた。
そもそも茜は、代々続く刀工の家の立派な継承者である。
幼少の頃から名を継ぐ者として、父から厳しい手ほどきを受け、過酷な修行に耐えて技を磨いて来た。
近所の町娘が白粉や紅、着物、色恋沙汰に浮かれる間も、茜はひたすらに鉄を打ち続けて来た。
件の兵士の刀が折れたのは、彼女の作った刀が鈍らだったからではない。
刃毀れしてるのに一度も研がなかったから、という武将にあるまじき乱雑さのせいだ。
そんなことは刀工でも何でもない茜の夫でも見れば分かる事だったのに、兵士はあろうことか茜のせいだと言って言い掛かりをつけた。
「……いつの世にもいるのだな、そういう阿呆は」
焔獄鬼が文字を追いながら呆れたように吐き捨てる。
いつの世に於いても、自分の落ち度を一切認めず、全て他人の責任だと言い張る器の小さな輩はゴロゴロ生息している。
――こういう事は初めてではないから、と茜は心配する夫に笑って、新しく刀を作った。
刀が出来上がると、茜はそれを城に届けに行って、その件はそれで片が付いた。
だが、その後も茜の作った刀に文句を言う者達が現れた。
お前の打った刀では妖怪に傷一つ付けられない。普通の刀ならかすり傷くらい付けられるぞ。
お前の打った刀はすぐ刃毀れする。鈍らしか打てないなら刀工を名乗るな。
お前の打った刀は切れ味が悪い。急所を斬っても相手が死なない。
どれもこれも子供じみた言い掛かりの数々。
茜は人間の刀を作る刀工であって、妖を退治する為の武器を作る鍛冶屋ではない。
長く使えば刃毀れくらいするし、急所を斬っても死なないのは使い手の腕の問題であり、相手と自身の力量の問題だ。
女が打った刀だからだ、という言い分だけを掲げて、自分の未熟さを、自分の刀を作ってくれた相手のせいだと平気で宣う、腐った兵士達。
けれどそれでも茜は、女の刀工は珍しいし、男ほど槌を打つ力が足りないのも事実だからと、せっせと兵士達の言い掛かりや無理難題に応じ続けた。
夫は茜の事が心配で心配で堪らなかった。
来る日も来る日も、茜に嫌がらせのように言い掛かりをつけて来た兵士達の為に鉄を打つ日々。
そんな、ある日のことだった。
初めて茜の刀に難癖を付けて来た男が訪ねて来てから、半年程経った、秋口の頃。
“お前の刀では急所を狙っても相手が死なない”と言い掛かりをつけた兵士の新しい刀作りに取り掛かって、茜が仕事場に籠るようになって数日。
夕餉の席に顔を出した茜の様子が、いつもと、違っていた。
虚ろな目で、何やらぶつぶつ独り言を呟きながら、ご飯を掻き込んで、夫と一言も喋らないばかりか目も合わせようとせず、ふらふら仕事場に戻ろうとした。
この半年、言い掛かりをつけて来た兵士達の刀や、新規客の注文などもあり、茜は寝る間も惜しんで仕事に取り組んでいた。
流石に疲労が限界まで来ているのだろう。
そう思った夫は、半ば無理矢理茜を寝かしつけた。




