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友が夢見たものは

 

『どうしよう、焔獄鬼……』


『それを我に訊くか』


 呆れ半分、だが、少々可哀想な気もした。


『というか人間というのは、親しければ誰とでも抱擁を交わすものなのか?』


『んー……まあ、そうだな。性別関係なく、めちゃくちゃ嬉しい時とか、どうしようもなく悲しい時とか。流石に昨日今日会ったばかりの奴にはやらないだろうが。それにほれ、あいつらの中では血は繋がってなくても兄妹だし』


 そういうものか。

 よく分からないが、聖がそう言うならそうなんだろう。


『もう一つ訊くが、お前は何故そんなに憤ったのだ?』


 知識というか何となくの感触として、自分の妻が見ず知らずの男と抱擁を交わしていた事実は、夫である聖としてはさぞ面白くないことだっただろうことは、分かる。


 だが別にそれは、聖がもっとしっかり己を律して、冷静に神夜に尋ねてみればすぐに解ける誤解だったのではないのか。


 聖はそもそも、人の姿を取れる大妖怪。人に化けて人に紛れる妖怪ということ。

 自然、そこまでの力を有するまでに知識や知能という部分も蓄積されていく。


 だというのに、いきなり頭ごなしに考えなしに神夜を怒るから、結果こういう事になったのではないか。


 ――焔獄鬼の中に生まれた、愛だの恋だのが理解不能であるが故の疑問。


 問われて聖は、ぶすくれた顔を上げて、「そういうもんなんだよ」と吐き捨てた。


『いいか焔獄鬼。人が人を心の底から愛するっていうのはな、綺麗な事ばかりじゃないし、いつも冷静でいられなくなる事ばかりなんだ』


『……う、む……?』


『側に居たい、触れたい、独りぼっちにさせたくない、笑顔が見たい、泣かないで欲しい……いつも相手にそう願って、そう在ってもらえるように自分も努力する』


『……、』


『けどな、その願いは、裏返せば全部醜い欲望の塊だ』


 側に居たい。だから自分以外の人間の隣には行かないで欲しい。


 触れたい。だから自分以外の誰にも触れさせないで欲しい。


 独りぼっちにさせたくない。だから自分とだけ一緒にいて欲しい。


 笑顔が見たい。でも自分以外の人間にその笑顔を見せないで欲しい。


 泣かないで欲しい。でも泣くなら自分の前でだけで泣いて欲しい。


『全部全部、自分にだけ向けて欲しい。自分にだけ与えて欲しい。自分だけのものにさせて欲しい』


 一言で言えば独占欲とか嫉妬心だな、と聖は腕を組みながら言う。


『俺は神夜に対していっつもそういうことばっか思ってる。正直、片時だって一瞬だって離れたくない。薬の売り付けや往診にだって本当は行かずにあいつと野良仕事してたいし、お前に会うのだって、お前に出向いて欲しいくらいだ』


 無茶を言うな、と渋く言えば「分かってるよ」と返される。


『そういう不埒な願いを抱いて見つめてる相手がだ。いきなり見知らぬ男と抱き合う場面なんか見ちまったら、そりゃ取り乱しもするさ』


 ここまで聞いても、焔獄鬼はやっぱり、よく分からなかった。


『とにかく俺は、神夜が男でも女でも俺以外の奴に触られるのが嫌なの。あいつが男でも女でも笑い掛けるのが嫌なの。そのくそしょうもない感情が爆発して、あろうことがあいつを頭から疑った上に傷付けちまったから、今こうなってんの』


 よく分からないが、つまり。


『ならば詫びれば良いだけではないのか』


『……へ?』


『お前が今、我に打ち明けた独占欲とやらを全て有り体に神夜殿に申して、その上で要らぬ勘違いをしてしまった事を誠心誠意詫びて、許しを乞えば良いのではないか?』


 そう、聖が自分の言動を省みているのなら。

 そうするのが最善、というか、そうする以外ないのではないか。


 何を迷っているのだと言わんばかりに焔獄鬼が言えば、聖はぽかんと間抜け面で焔獄鬼を見上げた。


 多分、勘だが、聖は一度は詫びはした、んだろうと思う。


 けれど神夜の怒りを落ち着かせる事だけに気を取られて、聖が勘違いしてしまった理由や聖の胸中を誤解したままなのではないか。


 この時焔獄鬼は、自分でも驚くくらい真剣にそんな事を思い、聖に伝えた。


 すると聖は、ややあって脱力したように大きく息を吐いて。


『くくっ……あはははは!』


 いきなり、腹を抱えて笑い出した。


『いや、悪い……! 言われるまでそんな単純な事に気付いてなかった自分が馬鹿馬鹿しくて……っ!』


 しかもそれを焔獄鬼に諭されるとか。

 そう言って聖は尚も笑った。


 憑き物が落ちたみたいに、その姿は落ち込んでいたさっきまでとは別人に見えた。


 ――その後聖は、一頻り笑って、とても清々しい良い笑顔で「ありがとな焔獄鬼。やっぱり持つべきものは友達だな!」と焔獄鬼の硬質な腕をばしばし叩いた。


 そろそろ帰るわ、と言って聖が立ち上がったのは、陽が傾き始める少し前。


 また来るよといつもの調子で言って、聖は妖術で空に浮き上がる。


『そうだ、焔獄鬼』


『何だ』


『お前にも、いつかそういう相手が現れるかもしれないな。平穏と笑顔を望みながら、その全てを自分だけのものにしたい、なんて、そんな面倒な感情を抱く相手が』


『……阿呆か。我は鬼だぞ。そのような相手に巡り会うわけもなければ、そのような感情が生まれるわけもない』


『えー? 分かんねえぞ? 俺だってそう思ってたけど、今やこんな有様だし』


 阿呆か、ともう一度吐き捨てた。


 ――そこで突然、光景に靄がかかる。


 懐かしい友の姿が、少しずつ、でも確実に、ぼやけていく。


『もし巡り会えたら。今日俺が言った事が分かる日も来るかもな』


 温かい、穏やかな微笑みは、けれど、靄のせいで薄っすらとしか見えなかった。


 じゃあな、と言った声は遠く、もはや故郷だった大地の緑さえ、遥か遠く。


 今の焔獄鬼を見たら、聖は「俺の言った通りだったろ?」とでも言って、笑うだろうか。


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