己が心に翻弄されて
「……成程、あの妖刀はこの地から持ち出されたものだったか」
「最後に僧侶が祝詞を挙げて行ったのは半年程前、誰かが妖刀を持ち出して辻斬りをやるようになったのは、それ以降ということになるな。それにしても、同じように妖が封印されているというのに、この町は鬼神村とは随分違うな。人を殺人鬼に変貌させる呪いの刀が目と鼻の先にあって、無関心とは」
朱音との会話を思い出しながら、焔獄鬼は何処か苦い調子で吐き捨てる。
鬼神村。それは――神楽と焔獄鬼が初めて逢った……否、百年越しの再会を果たした場所だった。
「ここは妖刀に何らかの恩恵を受けている訳じゃないし、妖刀が何か害を成している訳でもない。所詮は扱う者なくば害のない戦の道具でしかない、という認識が強いせいだろう。そうではなく、妖刀とて妖の類い。意志を持つ者もあるとも知らずに」
言ってみれば、お前とは真逆の環境だからな、と神楽は締め括る。
鬼神村にもかつて、妖怪が封印されていた。
封じたのは神楽の父、聖。封じられていたのは、“最強の悪鬼”と後に人の世に名を遺すこととなった、焔獄鬼。
聖が焔獄鬼にかけた封印とは、焔獄鬼をただ眠りに就かせる為だけのものではなかった。
慈悲の心を見失い、殺戮と闘争という本能に呑み込まれて、途方もない瘴気を纏い振り撒いてしまった焔獄鬼を救う為のものだった。
聖が残した術具で瘴気を浄化し、その浄化された瘴気で、穢れた大地を清浄なる場所に蘇らせる。
それが叶った時、瘴気が消えた焔獄鬼は元の“慈しみの鬼”へと戻り、穏やかに生きられるようにする為に。
だがその封印の真の目的を正確に語り継ぐ者も、言い伝えとして残す者もなく、いつしか封印された鬼神の浄化された瘴気は、永劫人々と大地の安寧と平和を約束するものとして、やがて作られた村の人々に伝えられていった。
恩恵を受け、自分達の暮らしを永劫守ってくれるもの、と思い込んでいたから、鬼神村は焔獄鬼について無関心という訳ではなく、彼を半ば神に等しく扱った。
けれどこの町は違う。
刀という、人が扱わなければ何にもならない代物であり、封印されてから今まで何も起こっていないという現実が、住人達の関心を薄くさせる。
「だが現に、妖刀はあそこにはない。どころか、既に幾多の命を奪っている。それを朱音に告げてみたが、何を馬鹿なと一笑に付されてしまった」
それも無理のない話である。
妖刀が持ち出されたのなら、その瞬間、この町は壊滅していて然るべきだ、と神楽も先程朱音が焔獄鬼に返した道理と同じ意見を抱く。
そう、朱音が笑い飛ばすのは無理はない。無理はない、が。
ちょっと待て。
「……お前、朱音と一緒だったのか?」
「ん? ああ、一緒だったというか、我が山に入るのをたまたま見掛けたそうで、我の後を追って来たらしい。土蔵を見た瞬間に妖刀の事を言い当てたので、詳しい話もそこで聞いた」
焔獄鬼の口調が、疲労と面倒さが綯い交ぜになったようなものになる。
神楽もそれに気が付いていたが、焔獄鬼の心情はさておき、一緒だった、という事実が彼女の心にさざ波を立てる。
「ちなみに、雑魚妖怪にはその土蔵付近で襲われた。無関心故に、普段はあそこに滅多に人は出入りせぬらしいが、珍しく現れた人の匂いに引き寄せられたのであろうな」
詳細な報告は従者としては立派な事だが――。
……ああ、道理で。
神楽は、良い香りのする薬湯の中に在って、別の匂いまで正確に拾ってしまう己の嗅覚を、この時、少しだけ呪った。
昨日より。今朝より。焔獄鬼から、朱音の匂いを濃く感じる。
多分、それは……妖怪に襲われた時、焔獄鬼が彼女を身を挺して守ったから、なんだろう。
当然の行動である。よくやった、とここは言うべきだ。
「――焔獄鬼」
ばしゃ! と少々勢いよく湯船から立ち上がりつつ、神楽は不機嫌な声で臣下の名を呼んだ。
「っ、は……何だ?」
主君の硬い声に、思わず焔獄鬼は姿勢を正す。
「今すぐ私と入れ替わりに風呂に入れ」
「……は?」
「聞こえなかったか」
「い、いや、聞こえたが……何を唐突に……?」
「妖怪の臭いを染み付かせたまま、私の前に出て来るつもりか」
「それは、そうだが……」
「良いな。私が脱衣所から出たらすぐに入れ」
「し、承知した」
焔獄鬼が返事をすると、神楽は湯船から出て行った。




