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気が乗らない戦い

 

 管理や守護とまではいかなくても、一応刀の呪いを鎮めるための儀式は行っているから問題はない、という事なのだろう。


 確かに、封印術の力が保たれている間ならば、それだけでも問題はないけれど。


「……呑気に申すが。この土蔵の封印が解かれていて、中の刀も消えておる、と言ったら何とする?」


 今、確かな儀式を行って正常に封印が施されたままになっている筈の土蔵は、その実、既に、術の効力を失っている。その上、刀も消えていて、更には。


 既に幾人もの命を奪っている。


 ――だが、敢えて低く冷徹な声で問う焔獄鬼だったけれど、朱音は、一瞬きょとんとしただけで、すぐに小さく吹き出した。


「はは! やだ、焔さん。そんなことある訳ないじゃないですか! だったら私達、なんで生きてるんです?」


 思い掛けない切り返しを喰らって、焔獄鬼は言葉に詰まった。


 朱音は焔獄鬼が冗談を言ったものだと信じ込み、腹を抱えて笑っている。

 この様子では、朱音は勿論、町の人間の誰も、土蔵の封印が解かれていることに気付いていない。


 もっと言うなら解ける訳がないと思い込んでいる節がある。


 実際、朱音の言う事も至極尤もだった。


 誰が何の為に妖刀を持ち出したかは知らないが、手にした者は須らく人を非道な殺人鬼とさせる刀、ならば、持ち出された瞬間にこの町の人間全部虐殺されていなければおかしい。


「ふふっ、さあ、焔さん。そろそろ帰りましょ。もうじき陽が暮れますよ」


「……ああ」


 色々と腑に落ちない事はあるが、確かに気が付けば辺りは薄暗くなっていた。


 こんな土蔵の側に長居していたら、良くないものを引き寄せるかもしれない。


 すっかり上機嫌な朱音に腕を引っ張られるまま、焔獄鬼も歩き出した。


 ――が、その瞬間。


 突然背後に妖気が膨れ上がった。


 ――シャァァァ!


 鳴き声なのか雄叫びなのか分からない声と共に出現したのは、巨大な蟷螂(かまきり)だった。


 ここは滅多に人間は足を踏み入れない場所。

 そこに珍しく現れた人間の臭いに誘われて来たのだろう。


「きゃあぁ!」


 蟷螂が二人を目掛けて前脚を振るう。


 朱音が咄嗟に焔獄鬼に抱き着き、焔獄鬼はその背をしっかりと抱いて跳躍した。

 難無く鎌を躱して、適当な木の陰に朱音を隠す。


 シャァア!


 再び響く声と、振るわれる鎌。

 背後で朱音が悲鳴のように焔獄鬼の名を叫んだ、が。


 次の瞬間、場を支配したのは、金属同士が激しくぶつかり合ったような耳障りな音。


 朱音が堪らず閉じていた目を開ければ、眼前に広がっていたのは、いつの間にか抜いた刀で蟷螂の鎌を止める、焔獄鬼の姿だった。


 それも、眉一つ動かさず、片手で、何処か面倒そうな顔で。


「……言葉も話せぬ雑魚か」


 朱音には聞こえなかっただろう声は、焔獄鬼も無意識に紡いでしまった悪態だった。


 正直に言って、今日はもう疲れた。

 なので早々に退散したいし、退散してもらいたい。


 焔獄鬼の右肩で狛が縮こまる。苛々がぶり返した焔獄鬼に委縮しているのか、子供故に目の前の雑魚が単に恐ろしいのか。


 シャァア!


 怒りに満ちた声を三度(みたび)上げて、蟷螂はもう片方の鎌を振るう。


 同時に焔獄鬼と鍔競り合いになっていた鎌も一旦離して、両足で交差するように攻撃して来た。


 焔獄鬼の得物は刀一振り。片方を防いでも片方の刃が彼を切り裂く。


 単純な攻撃だったが、下手に躱せない状況もちゃんと把握しているのなら大したものだ。


 つまり。今、この蟷螂の二刀を避ければ、後ろにいる朱音が、死ぬ。


 (何だ今日は。もしやこれが厄日というやつか?)


 鬼らしくない事を割と真剣に思った、刹那。


 ――ギィァァァア!!


 雄叫びは、一瞬で絶叫へ。


 何が起こったのか、分かるのはこの場に、焔獄鬼一人だった。


 焔獄鬼を、引いては朱音をも切り裂こうとしていた筈の蟷螂の両脚は、いつの間にか、その両方ともが真っ二つに両断されていた。


 焔獄鬼はその場から動いてはいない。

 一体何をどうやったのか、蟷螂は勿論、朱音にさえ理解不能だった。


 簡単な話だ。片方しか防げぬ状況で、片方だけを防いでも意味はなく、かと言って躱しても損害が出る、というのならば。


 どちらも斬り落としてしまえばいい。

 蟷螂の左足を刀で。右足を、伸ばした爪で。


 焔獄鬼の武器は、刀だけじゃない。刀だけだと蟷螂と朱音が思い込んでいるだけだ。


 焔獄鬼は左手の爪を、朱音には見えないように体の前で人の姿に戻す。


 自らの鬼の爪は確かに焔獄鬼にとっては武器だが、今はまだこの町の人間達に自分達が妖だと知られる訳にはいかない。


 焔獄鬼は小さく息を吐いて妖力を鎮まらせると、すかさず地を蹴って蟷螂の上空へと飛び上がった。


 言葉も話せない雑魚妖怪の蟷螂は、背中を一突きしただけで呆気なく絶命、耳障りな絶叫と共に霧散した。


 無論そんなことで気持ちが晴れる訳もなく、焔獄鬼は少々乱暴に血振りをして、刀を鞘に納めた。


「きゅぃ」


 狛が嬉しそうに焔獄鬼に頬擦りしてくる。


 素直に愛らしさを感じて、ちょっとだけ苛立ちが萎える。


 つくづく狛を拾って良かったなと思った。


「焔さん!」


 朱音が何だか興奮した様子で駆け寄って来る。


「大丈夫ですか!? お怪我は!?」


「……問題ない」


「良かった。あの、ありがとうございました。守って頂いたのは、これで二度目ですね!」


 キラキラお目々再び。

 頭痛と眩暈がして来たのは果たして気のせいだろうか。


「あら? 焔さん、怪我はないみたいですけど、お顔に泥が……」


 溜息が零れそうになったところで、朱音が口元に手を遣りながら言った。


 先程蟷螂の攻撃を躱した時か、弾いた時にでも汚してしまったんだろう。


 汚れた面で主君の前に出る訳にはいかない。帰ったらすぐに井戸を借りて顔を洗うか。


 そんなことを一人考えている間に、朱音が懐から手拭いを取り出した。


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