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呪いの刀

 

 ――いや、まさか。流石にそれはないだろう。


 なんて、自分で自分を誤魔化すように小さく頭を振った、けれど。

 焔獄鬼は半ば恐る恐る、刀掛けに手を伸ばして――そっと、触れた。


「……っ、!!」


 刹那。


 全身を駆け巡ったのは、吐き気を覚える程の、憎悪。


 耳の奥で怨嗟の声が、頭の奥で絶望の呻き声が木霊する。


 心の奥底で、殺意が波となって押し寄せる。


 ――死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。


 死ね……――!!


「っ、く!」


 頭の中で、誰かが誰かを惨殺した。


 その人物が一瞬、自分に見えた、気がした。


 その瞬間に焔獄鬼は、弾かれたように刀掛けから半ば飛び退くようにして手を離して、距離を取った。

 堪らず呼吸を乱してしまう。


「……っ、今のは……」


 気持ち悪さの中で、どうにか平静を取り戻そうと呟いてみる。

 片手で耳を押さえて、深い深呼吸を数回繰り返した。


 まだ耳の奥で声が響いている気がする。

 それくらい、焔獄鬼にも強烈だった。


 狛が心配そうに焔獄鬼の足元で鳴いた。

 そのまま肩まで駆け上り、もう一度、頬に擦り寄りながら鳴く。


「ああ……大丈夫だ」


 再度深呼吸をして、刀掛けを見遣る。

 そうして、刀掛けに触れた右手をそっと持ち上げて、手の平を見つめた。


 強烈な怨念と怨嗟と絶望、憎悪の残骸。


 ただ刀を安置しておく為の物に、これだけ深い怨嗟が染み込むとは思えない。


 ましてや、妖の頂点たるこの焔獄鬼の心を、不意を突かれたとはいえここまで乱す程の思念。


 それでも町に入って今朝まで気が付かなかったのは、この刀掛けに残る思念があくまで、“名残り”であるが故だ。


 焔獄鬼は苦い気持ちで、拳を握った。


 まさか、そんなことがあるのか。


 焔獄鬼と神楽がこの町に来たのは本当に予定外の事で、本当にただの偶然でしかなかったのに。


 だが、今、自分が見たもの、感じたものを否定することは出来ない。


 恐らく――この刀掛けは、本当に、ただ、刀を置いておく為にここにあったものだ。


 この土蔵に封印されていたものは、刀掛けなどではなく。


 一振りの、刀。


 そしてそれは、間違いなく……あの、妖刀。


 未だ手の平に残る匂いが、あの妖刀と同じだ。

 嫌な予感が、見事に当たってしまった。


「――戻るぞ狛。この事を、急ぎ主に報告せねば」


 硬い声で言って、焔獄鬼は今度こそ踵を返す。

 が、土蔵の戸に続く石造りの短い階段を下りた、丁度、その時。


「あ! 焔さん!」


 焔獄鬼の緊張など何処吹く風とばかりに、甲高い声がうすら寒い森に響いた。


 彼自身未だ呼ばれ慣れないその名で彼を呼ぶのは、ここでは二人しかいない。


 案の定、町の方角から駆け寄って来ていたのは、朱音だった。


「見付けました! やっぱりここにいらしたんですね!」


「……そなた、何故ここに」


「さっき、買い出しの途中で焔さんが森に入って行かれるのを見掛けて、追い掛けて来ちゃいました!」


 やたら目をキラキラさせて言う姿は、もしかして人間には“無邪気”とか“健気”に見えるんだろうか。


 来ちゃいました、ではない。来ちゃいました、では。


「あ……ここ、妖刀が封印されてる土蔵」


「……知っておるのか?」


 無視してとっとと帰ろうかと投げ遣りな気分になっていたら、朱音が思い出したように呟いた。


 思わず問い返せば、「ええ。町の人は皆知ってますよ」と返される。


「何でも随分昔に作られた刀らしくて、手にした人を残虐な殺人鬼に変貌させる呪いの刀だとか」


 半ばあっけらかんと答えるので、一瞬呆けてしまう。

 しかも住人も周知の事実という。


「聞いた話によると、ちょっとでもその刀に触れたが最後、人を斬り殺さずにはいられなくなるんだそうです。うちにある古い書物には、荒野の死体の山の上で不気味に笑う武士の手には、()の妖刀“白虎”が握られていた、なんて記述もあります」


「“白虎”……それが、その刀の名か?」


「はい。柄巻きって言うんですか? 握る所の。そこが真っ白で、見た目はまるで将軍様とかが使う刀みたいに高貴なのに、手にした者は須らく血を求めて彷徨うようになる。その姿はまるで虎のようだということで、付けられた名だと書いてありました」


 焔獄鬼が自分の話に真剣に耳を傾けてくれるのが嬉しいのか、いつもより高揚した様子で、頬を染めながら朱音は説明する。


 一度(ひとたび)手にすれば、人を斬り殺さずにはいられなくなる、呪われた刀。


 血を浴び過ぎた故に瘴気に塗れ、妖刀と成り果ててしまったものだと思っていたが、そもそもが邪気塗れだったいうわけか。


 恐らく、作った刀工が、鉄を打つ度に人間への怨嗟を深く籠めていたのだろう。


 人を斬る為だけに、人を殺したいが為だけに、作られた刀。

 人の手から生まれた、妖の刀。


 しかし、それよりも気になる事がある。


「……そなた、随分何でもないことのように喋っておるが、恐ろしくはないのか? そのような曰く付きの、それも呪いの刀などと呼ばれるものが、己が目と鼻の先に封印されておるのに」


 しかもこんな寂れた土蔵で。

 少々困惑気味に言えば、朱音も少し困ったように苦笑して、ちらりと土蔵を見遣る。


「仕方ないですよ。あの土蔵が建てられたのは、この町が出来て暫く経った後の事ですし、嫌だからって町を出ても、こんな世では移り住む場所だってなかなか見付からないし。子供の頃初めて聞かされた時は、そりゃあもう怖くて怖くて夜も眠れないくらいだったんですけどね。でももう、今は平気です。だって封印してあるし。町の人達も、別に何とも思ってないと思いますよ」


「それは、慣れか?」


「それもありますけど、年に一度、隣町の僧侶の方が祝詞を挙げに来て下さるんですよ。前回は半年程前だったかしら。土蔵は見た目は結構草臥れてますけど、それは二月程に大嵐に遭ったせいで、次に僧侶の方がいらしたら、新しい札を頂けるようお願いするつもりなんですから」


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