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擦れ違い

 

 □□□



 今日の神楽は機嫌が悪い。


 否、正確には、昨日から既に薄っすら悪かったのだが、一夜明けてもっと悪くなった。


 一見いつも通りの無感情、無表情、不愛想な振る舞いに見えるが、明らかに焔獄鬼に対して棘がある。

 しかし当の焔獄鬼には全く心当たりがないので、正直困惑するしかない。


「――では、行って参る」


「ああ」


 晴れて直正に滞在の許しを得られ、奇妙な気配漂う山への偵察に行けることになり、いざ山へ出発すべく客間を一人出る時も、何だかいつもより素っ気ない。


 早く妖刀の行方を追わないといけないのに、正体不明の気配を自分が察してしまったばかりに足止めを喰うことになって、苛立っているのだろうか。


 いやしかし、機嫌が悪いのは今朝、もっと言えば昨日からだし。


「きゅぃ、きゅぃ!」


 自分から言っておいて、この短時間で妙な気配より神楽の機嫌の方が気に掛かってしまい、行って来ると言いつつもなかなか足を踏み出せない。


 そんな焔獄鬼に、狛が急かすように鳴く。


「行くなら早く行け」


 神楽にもそう言われてしまい、焔獄鬼は半ば慌てて「御免」と言って障子を閉めた。


 普通の妖ならば、機嫌を悪くする時は大体腹が空いている時とかなので、餌が見付かればそれですぐ解決なのだが……。


「……狛、お前、何か思い当たる事はないか?」


 訊いても仕方ない相手に至極真面目に訊く程度には、焔獄鬼は困り果てていた。

 案の定、狛は一つ鳴いただけで早々に焔獄鬼の肩に駆け上り、欠伸を一つ。


 そんな狛に小さく溜息を零したところで、玄関に着いた。


「――あら、焔さん。お出掛けですか?」


 そこへ、朱音と出くわす。

 ぴく、と狛が焔獄鬼の肩で体を強張らせたが、この子の人間嫌いは元からなので、焔獄鬼は気にせず向き直る。


「ああ、少々町の様子を見て回ろうと。ついでに、近くの山も」


「そうなんですね。でしたら私もご一緒します! 色々ご案内させて下さい!」


 そういえば、神楽の機嫌が悪くなったのは、この娘が自分達に礼をさせて欲しいと半ば強引に町に招待した辺りだった気がする。


 この娘に何か気に食わない所があるんだろうか。


 というかそもそも、彼女の招待を受けることを決定したのは神楽の方なのだから、それは些か自業自得ではないのか。


「いや、せっかくだが遠慮する。知らぬ場所を一人で見回る事に意味があるのでな」


 色々悩んでいたら段々焔獄鬼も苛々して来て、朱音に対して素っ気ない対応をしてしまう。


 神楽が朱音を嫌うのはどうでも良いが、その八つ当たりを自分にしないで欲しい。


「あのでも! 町に詳しい人間が一緒の方が、より町の事が分かりますし!」


 というか、何故にこの朱音という女は、こうも昨日から焔獄鬼に構おうとするのだろう。


 いやもう“構う”を通り越してちょっかいをかけているようにしか見えない。


 ――まさかとは思うが、神楽の不機嫌はそれが原因か?

 ……いやいやまさか。


 ああ、人間って分からん。


「要らん」


 募る苛立ちを隠さなかったのは、面倒さ半分、無意識半分だった。

 低い声で一蹴した瞬間、朱音がびくっと体を強張らせて硬直する。


 その隙にさっさと草鞋を履いて、焔獄鬼はようやっと山へと出発することが出来た。


 足早に直正達の家から遠ざかり、露店の並ぶ道まで出る。

 賑わう通りを一目見たら、何となく気持ちが少し落ち着いた。


「きゅぃ……」


 この短い時間だけで何度溜息を零したことか、と思いながらも、漏れ出る溜息。


 その時、狛が焔獄鬼の頬を舌で舐めた。

 狛は小さく震えていて、怒る親に怯える子のようでもあった。

 焔獄鬼の苛立ちに、少々委縮しているのだろう。


「……悪かった。怒ってはおらぬから、安心しろ」


 この時、焔獄鬼はこの狛を拾ったことを、初めて正解だったなと心底思った。


 この子が居なかったなら、昂った気を抑えることも、落ち着けることも一苦労だった。


 生まれて日の浅い正体不明の子妖だが、今は何だかその存在がちょっぴり有難いと思った。



 □□□



 直正の診療所には、代わる代わる患者がやって来ていた。


 怪我人や病人、身重の娘など。町に一人しか医者がいないので当然の事ではあるが、皆、直正の事を医者としても人としても慕っているのがすぐに分かる。


「――では、いつもと同じお薬をお渡ししますね」


「ありがとうねぇ」


 暫く逗留させてもらう代わりに診療所の手伝いを買って出ていた神楽は、焔獄鬼が出掛けた後、診察室で直正の手助けをしていた。


 腰の曲がった老婆に薬を渡した後に入って来たのは、片目に傷跡がある豪快な男だった。

 何処かにぶつけたのか、頭に包帯を巻いている。


「直正先生、誰だいこの別嬪さんは? もしや、これか?」


 ニヤニヤ笑いながら立てられる小指。


 幾度となく繰り返される患者達からのそんな揶揄に、直正は笑って「妹の命の恩人だよ」と受け流す。


「何でえ。俺ぁてっきり、やっと先生も妹離れする気になったんかと思ったのに」


「あのなぁ、俺だって別に結婚願望がない訳じゃないし、妹至上主義という訳でもないぞ」


「だったらちょうどいいじゃねえか。その客人を口説いて嫁にしちまえよ! そんな別嬪もう二度と拝めねえぞ!」


「おいおい、いくら何でも失礼だぞ、おやっさん。それに彼女には、ちゃんとお相手がいらっしゃるんだから」


「え、マジか!?」


 神楽が無言を貫いているのを良いことに、頭に包帯を巻いた体格の良い男は勝手に盛り上がり、勝手に驚く。


 見た目と違わず、下世話な話が大好物と見える。


「ああ、俺なんか足元にも及ばない程の美形なお侍さんだ。あまり軽率なことを言ってはそのお方にも無礼だよ」


「そ、そうなんか」


「それよりも、はい。薬です。これを引き続き、日に一度しっかり塗って下さい。今日診た感じだと、あと数日すれば傷口も完全に塞がって、傷跡も徐々に薄れていくと思うから」


「ああ、ありがとよ」


 男は直正から受け取った薬を掲げるようにしながら頭を下げて、じゃあな、とやはり豪快な笑みで去って行った。


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