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妖刀

 

 □□□



 戸板を突き破って姿を現したのは――乾涸びた人間、だった。


 神楽が目を瞠る間もなく、そいつは神楽に向けて刀を突き出す。


 神楽は咄嗟に身を引き、鉄扇を取り出して刀を受け止める。


「あぁー……!」


 爛れた口から歓喜のような声が漏れる。


 足元に血溜まりが出来ていくのが見えて確認すると、黒ずくめの左胸から血が溢れ出ていた。


 よく見ると背中からも血が流れていて、焔獄鬼にやられたのだとすぐに察しが付く。


 だが、焔獄鬼がここまで手傷を負わせて尚もこの力。それ以前に死んでいない、なんて。


 つい先程焔獄鬼が抱いた疑問を神楽も抱いた時、受け止める黒ずくめの刀が禍々しく光りを放った。


「……思ったより面倒な話だったようだな」


 そして焔獄鬼と同じ結論に至った神楽は、冷ややかに言い放つと、鉄扇で刀を弾いて、同時に黒ずくめの腹の辺りに当て身を喰らわせた。


「神楽様……!」


「動くな! 絶対に出て来てはいけない!」


 狼狽える助八達を部屋の中に半ば押し込んで、襖を閉める。

 簡易的に結界を張って、神楽もまた妖力と妖気の解放を開始した。


「主!!」


 黒ずくめが突き破った場所から、焔獄鬼も飛び出してくる。


 神楽を庇うように彼女の眼前に立ち、刀を構える焔獄鬼だったが、黒ずくめの興味はもう、神楽にしか向いていないようだった。


「妖刀か……それも、かなりの邪気と瘴気の濃さだ」


「ああ。恐らくは元来はただの刀であったのだろう。血を吸い、血を浴び、無念や怨念、或いは快楽が染み込み過ぎて、妖へと変貌したと思われる」


 吐き捨てるように神楽が言えば、焔獄鬼も苦々しく答える。


 黒ずくめが焔獄鬼との戦いを半ば放棄し、神楽に狙いを定めたのは恐らく、神楽の独特な臭いを嗅ぎ付けたからだろう。


 即ち、不死の妖がすぐ側に居る、と。


 妖刀にとってこれ程の器はない。

 だが無論、潔く明け渡してやる気など、毛頭ない。


「あの妖刀を破壊する」


 鉄扇を構えながら神楽が宣言すると、焔獄鬼も一つ力強く頷いて、刀と爪を構えた。


「あぁー……!!」


 不気味な唸りを上げて、黒ずくめが走る。狙いは神楽。


 先に邪魔な焔獄鬼を薙ぎ払うべく、刀を一閃。


 焔獄鬼はその一撃を難なく受け止めて、空いている手で黒ずくめの手首を掴む。

 その瞬間、神楽は焔獄鬼の背後から飛び出して、鉄扇を振り被る。


 まずは妖と化した人間の腕から妖刀を引き剥がすべく、腕を斬り落とす。

 だが黒ずくめの対応速度の方が僅かに上回った。


 黒ずくめは空いている左手で、焔獄鬼の右目を目掛けて手刀による刺突を繰り出す。


 焔獄鬼はそれを寸でのところで躱したが、そのせいで黒ずくめの腕を掴む力が微かに緩んでしまい、その隙に拘束から逃れてしまう。


 振り下ろされた神楽の鉄扇は、そのまま流れるような動きで妖刀に受け止められ、更に黒ずくめの左腕が、今度は神楽の手首を捕らえるべく伸ばされる。


 だがそれは、一転して黒ずくめの隙となった。

 今度は焔獄鬼が黒ずくめの腕を斬り落とすべく斬撃の態勢に入る。


 しかし、黒ずくめは突如神楽の腕を掴むのを止めて飛び退いた。


「……ちょこまかと鬱陶しい奴だ」


 冷徹に呟きながら、焔獄鬼は静かに、しかしどんどん妖気と妖力を上げていく。


 びりびりと全身を刺激する殺気と、闘気。


 ――腹の底が冷える。“死”が、喉元に突き付けられている感覚。


「……だ、旦那様……っ」


 その冷酷で残忍な予感と感覚は、部屋の中にいる人間達をも支配していた。


 今、下手に中から何かを口出ししたり、二人の名前を呼んだりするだけでも、次の瞬間自分は確実に死ぬ。そういう、馬鹿げているようで確かな、予感。


 人間達は辻斬りの犯人の殺気だろうと勝手に思う。


 ――知らないというのは時に不幸だが、時に、とんでもなく幸福だ。


 焔獄鬼は、高まった妖気を一旦落ち着かせるかの如く、一度、深く深く息を吐き出して――


 刹那。黒ずくめの真後ろまで一気に距離を詰める。


 神楽の目でさえ追えぬ速さ。人間が見たら、瞬間移動でもしたように見えただろう。この瞬きにも満たぬ速度の移動は、彼の得意技だった。


 黒ずくめも妖刀も何が起こったのか理解など出来よう筈もなく、これには反応し切れない。


 振り向いた刹那、焔獄鬼の爪が、黒ずくめの首を捕らえた。


「あ゛っ!」


 黒ずくめの悲鳴と共に、焔獄鬼は刀で黒ずくめの四肢を斬り落とし、喉に穿った腕を引き抜いて、更に心の臓の辺りを背中から貫き、そこに妖力を一気に叩き込む。


「あ゛ぁああぁあああああ!!」


 鼓膜が破れんばかりの悲鳴。


 黒ずくめの妖は、そのまま体が崩れて塵と化す。


 しかし妖刀の破壊にはまだ至っていない。


 妖刀は、器が壊されたのを察すると、すぐさま己の周りに結界を張って浮遊する。


 それを追撃するべく、神楽が跳ぶ。


 が、妖刀はその瞬間、眩い光を放出した。


『!』


 咄嗟に目を庇ったが、妖刀の追撃には届かない。

 二人が怯んだ隙に、妖刀は宿の屋根を突き破り、撤退していく。


「っ、おのれ……逃がしたか……」


 光が収まり、目の眩みも治って来た頃、焔獄鬼が苦々しく呟いた。


 神楽も少々苦い気持ちで、妖刀が去って行った夜空を睨む。


 既にその気配は失せて、追うことは敵わない。


 何とも不本意且つ情けない幕切れだが、致し方ない。


 少なくとも器を失った妖刀は、暫く身動きが取れないだろうし。それに。


 あの妖刀が器に神楽を狙うのならば、それまでの繋ぎとしての器を手に入れた後、また現れる筈。

 

 神楽は一つ深く呼吸を落とすと鉄扇を仕舞い、助八と寅蔵が隠れている部屋に施した結界を解除した。





「――本当に、お世話になりました」


 目的の町まで辿り着いたのは、翌日の事だった。


 商談先の店まで助八達を送り届けると、二人は神楽達に何度も何度もお礼を言う。


「お二人が居て下さらなかったら、今頃私達はあの町で死んでおりました……本当に、どうお礼を申し上げれば良いか」


「いえ、我等はただ、引き受けた仕事を熟しただけの事。大袈裟な礼など不要です」


 最大限の感謝を伝える助八に対して、神楽はやはり淡々とした様子で答える。


 短い道中だったが、助八はそんな神楽の態度にすっかり慣れてしまったらしい。

 助八はおおらかな笑みを浮かべたまま焔獄鬼にも向き合う。


「焔様も、本当にありがとうございました」


「いや、無事に辿り着けて良かったな」


「ああそうそう、こちらはお約束の礼金でございます。本当に、これしかお礼出来ずに心苦しいですが、どうぞ、お収め下さい」


「ありがとうございます。郷里(くに)にお戻りの際も、どうかお気を付けて。森や山で野宿など余儀なくされた場合は、なるべく中腹辺りで、火を焚くことをお忘れなく」


「はい。色々ご教示下さった事も決して忘れません。お二方もどうか……お気を付けて」


「旦那様、そろそろ……」


「ああ」


 最後の別れの挨拶を交わして、助八と寅蔵は店の暖簾を潜って中に入って行った。


 あの二人には、最後まで神楽と焔獄鬼が妖である事、辻斬りの正体たる妖刀が、神楽を器にと狙っている事は伏せておいた。


 辻斬りは成敗した、とだけ告げたが、肝心の死体らしきものが見当たらなかった事に、二人は特に言及したりはしてこなかった。


 あまりの恐怖に失念していたのかもしれないし、辻斬りが成敗されたのならそれ以外の事は知りたくもないと思っての事だったかもしれない。


 何にせよ、これで引き受けた用心棒の仕事は終わった。


 後は――


「これからどうする?」


 受け取った金子を仕舞う神楽に焔獄鬼が問う。


 辻斬りが人間という器を操る妖刀の仕業と判明し、次の器にと神楽を狙うなら、二人の取るべき道は決まっている。


 用心棒を引き受けた当初は、流石にこんなことになるとは予想していなかったが。


「取り敢えず、町を出よう。万が一あの妖刀が襲って来た時、ここでは器を選び放題だ」


「承知」


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